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「舞姫」森鷗外

森鷗外の作品で好きな作品を幾つか上げよ、といわれれば「舞姫」を間違いなくあげるだろう。
それは自分自身が海外に長く駐在し、主人公太田豊太郎の状況を重ね合わせて、思い浮かべることができるからだと思う。
ちなみに、「舞姫」は高校の教科書で取り上げらている、ということだが、それについては全く記憶、認識がない。きっと、その時に読んでも、全く共感性は得られなかったに違いないのは、上記の理由と後述する歴史認識の欠如にあると思う。


「舞姫」は、ドイツ三部作の初作、且つ鷗外のデビュー作でもある。
もちろん、本作はフィクションではあるものの、鷗外のドイツ駐在時の経験が反映されていることは間違いなく、登場人物のモデルもおおかた特定することができる。

鷗外が、登場人物のキャラクター、心模様をこれだけ巧みに表現できた理由は、鷗外が間違いなく、ドイツの生活に溶け込んでいた、馴染んでいたからだろう。
この点で、夏目漱石がロンドンで社会に馴染めず、鬱に陥ったことと比べてみると面白いし、このことが、鷗外と漱石の西洋文化に対する認識、捉え方の違いの源泉にあるのかもしれない。
なお、鷗外は、日本の伝統文化、保守性も重視していたが、決して西洋文化を否定はしてこなかったし、その観点で国粋主義では決してなかった。
(ここが鷗外の二面性の面白さでもある)

なぜ、鷗外がドイツの生活に馴染むことができたのか?
今でも、日本人が海外での留学、駐在で現地社会に馴染めないケースがあることを考えると、当時の鷗外の順応性は特異なことと捉えても良いだろう。
その理由を少し考えてみた。

もちろん、留学前から語学力が卓越していたことは大きいと思う。
当時、帝大には、おかかえ外国人が多くいたし、会話においても不自由はなかったと思える。
ちなみに、最近、日本の若者の英語力が世界水準に比べても低下が著しい旨のニュースをみたが、当時の大学創成期には多くのおかかえ外国人教授がいて、今の大学よりもずっと国際性に優っていた、と思われる。
何とも皮肉な現象だ。

閑話休題、その理由について、
①鷗外が津和野から東京にでてきた、ということは意外と大きいことかもしれない。当時の日本では藩が違えば、国が違う位のカルチャーギャップがあったはずだ。
つまり、鷗外は10歳で家族共に東京に居住地を移すのだが、それは海外に行くような感覚があっただろうし、その経験はドイツに馴染むための事前準備的なところがあったのかもしれない。
②医学という専門知識を有していたこと。
ここは漱石と決定的に違うところかもしれない。
つまり、この専門知識はドイツ人と対等となる大きな自信につながる。
コミュニケーション能力が多少を劣っていたとしても、この専門性がドイツ人より高い可能性は十分にあっただろうし、それにより現地で敬意を得ることもあったと思う。
これは、現在にあっても、日本人のスポーツ選手、芸術家が、臆することなく、海外で活躍していくことと同じことだ。
③鷗外が軍人であった、ということも間違いなく大きい。
海外での生活処遇面はもちろんのこと、特に帝政ドイツにおいては軍人のステイタスは社会的にも高いものであったことは想像に難くない。
ちなみに、しつこいようだが、この点でも漱石とは大きな違いだ。



「舞姫」に関する感想をネットで調べてみると、「豊太郎クズ男」、「何を以って名著なのか?」等、教科書に取り上げられるという事実とのギャップが大きいことに気づき、ある意味、不可解なことでもある。

毎日新聞学芸部著の「よみがえる森鷗外」で作家の平野啓一郎氏はこのように述べている。

凡そ『舞姫』ほどよく悪口を言われる小説も珍しく、大変な名文だが、
今の読者には「読みにくい」と感じられており、更に、そのストーリーも、主人公の太田豊太郎も、とにかく赦せない、とクソミソに貶(けな)されている。

よみがえる森鷗外


このような”現代人”として感想は、理解できるところだが、鷗外を読むときに意識する必要があるのが、当時の状況を確りと理解した上で読む、ということだと思っている。
特に、鷗外の魅力は、当時の日本の近代化に関する様々な思い、葛藤を、作品に反映しているからだ。そして多くの場合、それが直接的ではなく、思想的、哲学的だったりする。
(それを解釈していくのが面白いところなのだが)
自分がなぜ鷗外が好きなのか?と問われたら、「当時の日本の近代化の実像を学ぶため」と答えると思う。
関心は、当時の知識人が、日本の近代国家作りをどのように捉え、評価していたか、という点にある。

そう考えると、当時、主人公の太田豊太郎には個人としての人生の選択というもが、そもそも存在していたのか?というところに行きつく。
「個」「自我」というものは、明治以降の近代化の中で徐々に認識されたものであり、且つ、当時の日本の最大のミッションが欧米諸国に国家を上げて追いつくことであったことを考えると、太田豊太郎の存在は自明だ。
この時代認識から「舞姫」は読み解く必要があると思う

儒教思想がベースにある明治以前は、「家」「ムラ社会」がベースがあり、「個」はそもそも存在しなかった。
鷗外は、ドイツに渡り、先駆けて近代化に成功した欧州に学び、実体験し、「個」の存在と「国家」のはざまで大いに悩んだのであろう。
そして、その葛藤を、「舞姫」にぶつけ、その思いを世に問うた、という捉え方もできる。

鷗外の評論として、必読書である山崎正和氏の「鷗外闘う家長」の記述が興味深い。

彼は自分の内部に「自我」(近代的自我)の手応えが感じられないことを歎き、しかも、その手応えなしに生きることは苦しいといっていらだっているのである。~「永遠の不平家」

鷗外は近代について深い知識を持っており、近代社会が彼に課して来る現実的な課題を担っていた。彼は、独創的な「研究」をしなければならず、個性的な「小説」を書けなければならず、西洋人の自我観というものを書物で読んで知っていた。そうして、それらいっさいの知識は「近代的自我」の存在を前提として求めていたから。鴎外はみずからの自然に反して、いわばこの脅迫観念に悩んでいたというべきであろう。

鷗外闘う家長

近代化における「個」をテーマにするならば、皮肉ながら、エリスにとっては、その「個」が存在した、と解釈することもできる。
少なくとも、豊太郎がその気になれば、エリスは彼と結婚することができただろうし、そして日本に行くこともできたのだ。そこにあるのは、全くもって個と個の関係性のみである。
つまり、鷗外が近代化を「個」の確立という観点で捉えていたとすると、エリスこそが勝者であったのかもしれないし、それを間接的に(個がない)日本の女性との比較を意識し、テーマとして取り上げていた可能性すらあるのではないか。



「舞姫」を読書会で取り上げたのだが、恋愛論で喧々諤々となった。男女でも意見が違うし、結論がでるものではないのだが、これはこれで面白い。
なお、山崎正和は、この恋愛論について興味深い考察をしている。

恋愛というものの痛烈な逆説は、相手を選びとり、創り出すこの能動的な心の働きが、他方において、相手に愛されるという完全に受動的な状態をめざしていることである。
彼はエリスを極度に「父性」的に愛するあまり、無意識のうちに、彼女によって愛されることを拒んでいたと見ることができる。
そして、愛されることを望むこの受動的な側面が欠けたとき、その愛はけっして先に述べた愛の閉鎖的な世界を造ることはできない。なぜなら、純粋に能動的な愛はむしろ人類愛や家族愛に似るのであって、本質的に、より多くの対象を求めて外の世界へ開かれているものだからである。

鷗外闘う家長

鷗外は「舞姫」を出す同じ年に、前妻登志子と1年足らずで離婚している。ここに家長である鷗外の恋愛観が反映されているのだろうか。

ここに登場する相澤謙吉は賀古鶴所、そして天方伯爵は山県有朋がモデルとされている。つまり、最終的には豊太郎(鷗外)は、「個」を抱きながらも、「国家」に身を投じることになる。当時、日本がおかれた状況からは、「国家」が「個」を凌ぐものだったのだ。
ちなみに、当時の日本は、今と違って外交上の同盟関係はないし、隙あらば、植民地となってもおかしくない状況であった。そこに陸奥宗光や小村寿太郎のような名外交官を登場させる遡上があったのかもしれない。
現在の外交官で固有名詞で語られる人がいるのだろうか。(いたら、アメリカにとっては具合が悪いのかもしれないが)

そういう豊太郎のまえに、あたかももうひとりの求愛者のように迫って来たのが彼の祖国という存在であった。実質的には、幼い明治国家が有為(ゆうい)の青年にむしろ助けを求めて近づいて来たのであった。

鷗外闘う家長


「舞姫」の最後の有名な一文。
この解釈が色々とあるのだが、彼(相澤=賀古)を憎む、ということよりも、「国家」に対して鷗外としての「個」「自我」への固執を表現したものであり、鷗外は生涯を通じ、この二面性を持ち続けていたのだと思う。
だから鷗外は面白い。

「されど我が脳裏に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり」

舞姫(森鷗外)


最後になるが、
「個」「自我」と「国家」の葛藤をテーマにしてきたが、これは明治大正時代のことだけとして捉えていいのか?という思いがある。
現代社会は当時に比べると大いに自由で、憲法でも個人の基本的人権が守られている。
しかし、実質的な「個」「自我」はどうなのだろう。
ネット社会、監視社会、そして「国」時代が曖昧なものになるなか、今一度、「個」「自我」について考える必要があるのかもしれないし、先人の態度、姿勢に学ぶことがあるのかもしれない。


余談として、
「舞姫」は擬古文で書かれているので確かに読み難いのだが、鷗外が意識して擬古文を使っているところに文章の美しさを感じることができるので、 安易に現代語訳に流れるのはお勧めしない。
ただ、擬古文を読んだ後に、目では擬古文を追いつつ、現代語訳を聴くと理解が深まることを発見した。


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