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「鬼滅の刃」の作者が女性であると聞いて、なぜ驚くのか?

今、巷では空前の"鬼滅ブーム"が巻き起こっているが、筆者も例に漏れずどハマり中である。

流行っているのは知っていたが、実際に漫画を読み出したのは2020年1月のこと。あの山Pこと山下智久くんがインスタのストーリーで「泣ける」という文字と共に18巻の写真をアップしておられるのを見て、「絶対読むーーー!!!」と着火。

翌日、早速都内の大型書店に出向いたら、なんと全巻完売してるとな。私は一人立ち尽くし、そんなことってある!?状態。

その後も数軒、本屋をはしごしたがどこも完売。ならばと思ってネットで買おうと見てみると、転売ヤーによって、ぼったくり価格で転売されている始末。完全にリサーチが甘かった。山Pの情報だけで本屋に向かった己の非力さよ。(山Pは何も悪くない)

後日、近所の小さな本屋にて再入荷するとの情報を入手し、めでたく全巻揃えたわけだが、うん。こりゃハマるね、面白い!

先日、最新刊の20巻が販売されたばかりであるが、コロナ禍・外出自粛・3密避けよう!のこの時期に、大型書店には鬼滅最新刊を求めて長蛇の行列が出来ていたのも、記憶に新しい。

と、前置きが長くなったが。今日は、Twitterで「鬼滅の作者」がトレンド入りしていた。

作者の吾峠呼世晴先生が、女性であるということが話題になったそうだ。

この情報を目にした私の率直な感想としては、

「へぇ!そうなんだ!!知らんかった!!」

である。と、同時にちょっと嬉しいとすら感じた。少年誌という男性社会(おそらく)で、女性が活躍している!というのが、同じ女性としてシンプルに好印象なのであったが、そう思うこと自体が考え方としてはもしかしたら古いのかもしれない。

一部ネットでは、女性作者であることに対して批判も出ているそうだ。男性が描いていると思っていたのに、女性なのかよ、がっかり、ショック、残念、といった所なのだろうか?だとしたら、おいおいちょ待てよ、なんで女性作者だとがっかりするんだ、作品の素晴らしさは変わらんだろうよ!水の呼吸、壱のか(以下、省略)と声を荒げたくなるのだが。

そして作者の「吾峠呼世晴」という名前が、いかにも男性の名前のように見える。なぜ「田中よしえ」等ではなく「吾峠呼世晴」なのか。

詩人の銀色夏生さんは女性であるが、無骨な作品も書きたいが為に、読み手が女性と分からないように、あえて男性のような名前を付けた、という話を学生時代に教授から聞いたことがある。

きっと吾峠呼世晴先生も、少年誌で連載するにあたって、男性だと思われた方が読み手に先入観なく読んで貰えるから、と感じたことからこの名前にしたのではないかと、私は考える。かつて、ハガレンでお馴染みの「鋼の錬金術師」の作者の荒川弘先生も、女性だったということで話題になったことがあるが、荒川先生もまた一見、男性っぽい名前であった。

が、この先入観というのが、今回物議を醸してる要因の一つであることは確かだ。

少年漫画=男性作家であろう、という先入観。

そして、女性だからこういう作品を描く、男性だからこういう作品を描く、という思い込みが、きっと大多数の日本人の中にはあって、もっというと小説なんかも、「女流作家」という言葉があるくらい、ジェンダーの違いが色濃く反映されているように感じる。

私は、吾峠呼世晴先生も荒川弘先生も、女性であると聞いて、嬉しかった。

この嬉しいという感情こそが、「女性なのに少年誌で連載している、女性なのに男性と同じ土俵で戦い、女性なのに少年漫画でヒットして今や空前の大ブームを起こす第一人者となっている」という、男性へのある種のコンプレックスのようなものが、裏で蠢いているからこそなのかもしれない。

そう考えると、私の発想もアンチとさして変わらないのではないか?それを好と感じるか、嫌悪と感じるかの違いなだけであって。

うーむ、悩ましいところである。

聞けば、「ハイキュー」や「リボーン」、「約束のネバーランド」も女性作者だそうだ。「犬夜叉」も「金田一少年の事件簿」も女性作者、「聖おにいさん」や「DGrayman」も女性作者。

なんだ、全然珍しいことではないではないか。

女性作者であろうと、男性作者であろうと、面白いものは面白い。そこにジェンダーの違いは関係ない。

そんなことで論争すること自体が愚の骨頂なのだ。

あまり詳しくは書けないが、話題になったTweetで、鬼滅ファンの少年が親から「鬼滅の作者は女性らしいよ」と教えられ、「そんなこと考えもしなかった」と思案したのち、「そうか、(作者は)人間…」という言葉を呟いていたそうだ。

そう、「鬼滅の刃」の作者は、人間なのだ。


#鬼滅の刃 #吾峠呼世晴 #ジャンプ #少年漫画

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