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PoppaとNannyと~ウェリントンに通って20年~

初めて投稿します。よろしくお願いします。なお、人物名は私を含め、すべて仮名です。

語学留学すると、ホームステイ先はよく、その学校から紹介される。1回目の時は母親と就職したての息子の2人家族だった。2回目がこのあと世話になる家族なのだが、家自体はおじいさん、おばあさんのだけが住んでいるが、子供が6人おり、特に近くに住む娘2人がよく出入りしていた。
そのうち、スーザンの息子はまだ小さく、働きに行く間この家で預かっていた。その子がおじいさんをPoppa、おばあさんをNannyと呼んでいた。小さい子はこれくらいが言いやすかったのだろう。

私はこの家にお世話になりながら2か月ほど、ポリテクニックと呼ばれる、高等専門学校の語学コースに通った。帰国すると私はお礼の手紙を出したら、おばあさんから返事が届いた。なのでまた手紙を書く。するとまた手紙が来る、ということが続き、冬休みを意識するころ、とうとう私はこう書いた。

ホームステイ代は払うから、クリスマスに泊っていい?

OKの返事が来て、再会して、また次の年も。これが今まで続いて20数年。図々しいな、とは思いつつ、外国の人との縁なんてなかなか作れるものではないので大切にしてきた。

おじいさんもおばあさんも今は天国だが、息子、娘たち(いまはこの人とたちがじいさんばあさんの年齢に近づいた)に世話になり、冬(向こうは夏)の数日ウェリントンの近郊の街に滞在させてもらっている。

これから、こうした滞在の間に起ったことを、書いてとどめておこうと思います。おじいさん、おばあさんからは「本を書きなさい」と言われていたので。

書いているうちに二人の姿が頭に浮かんでくる。おじいさんは90歳まで生きた。
私は指定難病というのと付き合いながら生きているので、そこまで長生きするとは思っていない。そう遠くないうちに天国で会えるかもしれない。
でも、天国って何語の国なんだろう。やっぱり英語は通じるかな。少しでも頭のさえているうちに勉強しておいたほうがよさそうだ。老後の楽しみにしよう。

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