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『悪左府の女』と保元の乱特集 【歴史奉行通信】第七十一号

こんばんは。伊東潤です。
『歴史奉行通信』
第七十一号をお届けします。


〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓


1. はじめに

2. 『悪左府の女』単行本発売時インタビュー
<完全版>

3. おわりに / Q&Aコーナー / 感想のお願い

4. お知らせ奉行通信
新刊情報 / 読書会 / TV番組出演
その他


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1. はじめにーー保元の乱の歴史的意義

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長い梅雨もようやく終わりましたが、
まだまだコロナが蔓延しています。
それでも皆さんは、
もうどこかに行かれましたか。
私は講演旅行などがあるので、
それを休暇代わりにしています。
もう子供も大きいので
(23歳の長男と20歳の長女)、
どこにも連れていかなくていいのですが、
家族旅行をよくしていた昔を思うと、
少し寂しい気もします(笑)。


さて今回は、本日8月5日発売の
『悪左府の女』(文庫版)の特集です。


この作品は、その苛烈で妥協を知らない性格から「悪左府」という異名を取った藤原頼長と、
架空の女官とのデュアル視点の長編歴史小説です。


物語の舞台は成熟期の平安京――。
白河院の庇護を得て勢力を伸ばしてきた院近臣と平家に対し、
様々な手を使って勢力の挽回を図ろうとする摂関家の氏長者・藤原頼長の駆け引きが物語の中心になります。
なお、当メルマガでは保元の乱の経緯や
主要人物のプロフィール等について詳述しませんので、
それらについてはWikipediaなどを
参照して下さい。


本作のクライマックスとなる保元の乱ですが、
保元元年(1156)に勃発したこの戦いの意義は、
慈円の『愚管抄』の一節
「むさ(武者)の世になりにけるなり」
に集約されています。
つまりこの戦いを契機として
武士階級が台頭し、
続いて起こる平治の乱によって、
史上初めての武家政権となる平家政権が成立します。


つまり保元の乱の歴史的意義は、
朝廷の政争を片付けるために
初めて武力が行使されたことです。


近衛天皇の死に際し、
順当に行けば崇徳上皇の皇子が
天皇になるはずでしたが、
権力を独占したい藤原通憲(みちのり)、
いわゆる信西(しんぜい)が
自ら教育係を務めてきた雅仁親王
(後の後白河天皇)を
即位させたいがために、
それまで平安朝の政争では
封印されてきた武力を使ったことで、
歴史を動かしてしまったのです。


保元の乱勃発まで平安時代は362年も続いてきました(平安時代は西暦794年から1185年)。
その長い歴史において、
朝廷内の権力闘争に武力を用いないことが
暗黙の了解事でした。
というか朝廷や公家社会では、
武力自体が警備や護衛という概念を出ず、
それを行使しようという発想さえ
なかったのです。
ところが信西がこの禁を破ることで、
まさにパンドラの箱を開けるようにして飛び出した平家と源氏が台頭を始めます。


ちなみに伊勢平氏(平正盛流平氏)は
慣習的に平家と呼ばれるので、
平氏と源氏ではなく平家と源氏で問題ありません。


保元の乱は、
平家と源氏という武家の棟梁を争う
二つの家の内部抗争の様相を呈していたので、勝者は平清盛と源義朝の二人でした。
そうなれば両者の覇権争いが起こるのは必然です。
それが平治元年(1159)に勃発した平治の乱になるわけです。


その後の展開は
よく知られている通りです。
清盛と後白河天皇の政治的駆け引きの末、平家が武力によって朝廷を圧倒し、
未成熟ながら武家政権と呼ばれるものが生まれます。
そしてそれを打倒し、真の武士(在地の御家人)のための政権を打ち立てたのが、
義朝の三男の頼朝になるわけです。


平家の滅亡から鎌倉幕府の成立に至るまでの一連の戦い、
すなわち「治承・寿永の内乱」については、
これまで『平家物語』や『源平盛衰記』といった軍記物をはじめ、
現在に至るまで多くの小説で描かれてきました。


それゆえ私は、あえてそこを書かずに、
保元の乱を描いた『悪左府の女』から、
一気に平家滅亡から始まる
『修羅の都』に飛んでいます。
しかし『悪左府の女』から『修羅の都』を読んでいただくと、
このあたりの流れが理解できると思います。


そしてその後は、
現在「別冊文藝春秋」に連載中の
『夜叉の都』へとつながっていくわけです。
この作品は頼朝の死から
承久の乱までを描いています。


まさに『悪左府の女』が武士の世の黎明期、
『修羅の都』が武士の世の草創期なら、
『夜叉の都』は武士の世の確立期にあたるわけです。
つまりこの三作品を読んでいただければ、
「この時代(武士の世の始まり)を通史として捉えられる」という構造になっています。


そんなことは別としても、
『悪左府の女』は単体として
十分に楽しめる作品です。


それでは、単行本発売時のインタビューを掲載したいと思います。
このインタビューは、文春オンラインに掲載されていたものの完全版になります。


『悪左府の女』
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/cf2raag58fcal5bE

『修羅の都』
http://fcew36.asp.cuenote.jp/c/cf2raag58fcal5bF

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2. 『悪左府の女』単行本発売時インタビュー
<完全版>

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――平安時代末期、「悪左府」と畏怖された摂政・藤原頼長は、
時の天皇・近衛帝に養女・多子を嫁がせ
権勢を振るっていた。
そんな頼長がある企みのため、
下級貴族の娘・春澄栄子を多子の
元へ出仕させるところから物語は始まります。

伊東:
歴史小説といえば、戦国時代や幕末を描いたものがほとんどで、
平安時代を描いたものは、
さほど多くありません。さらに女性、
しかも架空の人物を主人公にすることは、
自分にとって大きな挑戦でした。

(*筆者注)
『悪左府の女』の単行本が上梓されたのは、2017年の6月です。
それから3年と2カ月しか経っていません。
でも当時の感覚では
「歴史小説といえば、戦国時代や幕末」
だったのですね。
この3年で、様々な時代を描いた歴史小説が登場してきたわけで、感慨深いものがあります。


――栄子は名にし負う「醜女」。
平安時代、女性は目は細く切れ長、
鼻は低く下膨れの顔が美しいとされた。
対して、主人公の栄子は、
二重の大きな瞳、鼻は高く頬の線ははっきりとし、小麦色の肌をした女性です。

伊東:
いまの時代の価値観なら、栄子は美女です。
人は固定観念に左右されがちで、
自分自身の心の目で美醜を見極めることをしません。
それも本作の大きなテーマの一つとなっています。
つまり既成の価値観に左右されず、
自分の目で「真を見ること」の大切さを
訴えたかったのです。


――どのような経緯で、この題材を選んだのですか。

伊東:
まずタイトルを思いついたんです。
頼長の異名「悪左府」を使ったタイトルで何か書けないかなと思ったのが最初でした。
頼長は今でいう両刀使いで、
性の対象が女性だけではありません。
そんな「悪左府」に「女」と続けたら意外性があって面白いのではないかと思ったわけです。
そこで架空の女性を主人公にしようと決めました。
続いて頼長がその女性を利用し、
ある目的を達成させようとしました。
そうだ、その女性を頼長の養女の多子に仕えさせよう。
近衛帝は琵琶の名手だったから、
その女性も琵琶の弾き手にしよう……という感じで、次々と設定が固まっていきました。

(*筆者注)
物語のアイデアは突然浮かぶわけではなく、
「こういう設定にしよう」と一つ思い浮かぶと、
それに様々な要素が連環してくる感じですね。
本作の場合は、タイトルからストーリーができ上っていくというレアなケースでした。

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