見出し画像

友達が欲しい人が多いのに、その人同士で友達にならないワケ

「友達が欲しい」と悩む小学生、中学生、高校生、大学生は非常に多い。大人でも「友達がいない」と嘆く人は多いが、それは少し毛色が違うため、ここでは触れない。主に、思春期の子供・若者が悩む「友達が欲しい」について考えてみたい。

友人の存在は、思春期の発達過程にとって大事な要素だ。友情から育まれる成長は、恋愛や勉強やスポーツによるそれとひけをとらない。

「友達が欲しい」と言う人に対するアドバイスとして、「まずはどこかのコミュニティに属して…」とか「同じ趣味の人を見つけて…」とかが挙げられることが多い。しかし、そういったアドバイスを受けても友達を作ろうとせず、孤立したままでいる人がたくさんいる。

よく、「友達が欲しい人がそんなに多いんだったら、その人達同士で友達になればいいのに」という声が聞かれるが、「友達が欲しい」人にとって、それではダメなのだ。彼らは、そんな単純な理由では友達を作れないのだ。なぜだろう。そこには、2つの理由があるからだ。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

*****

私は、理由は2つあると述べたが、今日の本題は2つ目の方にある。そちらのほうが、より根が深く、そして「友達が欲しい人が多いのに、その人同士で友達にならないワケ」の根源的な説明になっている。だがまずは、1つ目の方について考えてみたい。

友達が欲しい人同士で友達にならない理由の1つ目は、「相手からtakeしたいが、giveしたくない」から来る。

友人関係は、give&takeからなる。一緒にいることによって、相手同士を楽しませなければならない。楽しいと思ってもらわなければならない。居心地が良いと思ってもらわなければならない。そういった相互関係によって友情は成り立っている。友情はピュアなもので利害関係ではない、というのは幻想だ。友人関係とは、利害関係だ。相手から受け取った分だけ、こちらも返さなければならない。楽しさ・居心地の良さという「金銭」の授受によって友人関係は成り立っている。それが崩れ、ほとんど一方通行になってしまったら、友人関係は破綻する。

「友達が欲しい」と言っているにも関わらず、友達を作ろうとしない人の多くが、「相手から楽しさ・居心地の良さを提供してもらいたいが、こちらから提供するような労力は使いたくない」と考えてしまっている。giveするのは、骨が折れる行為だ。友人の気持ちに常に気を配り、気の利いたことを良い、楽しませなければならない――というのは、努力が必要なのだ。そんなことに労力はかけたくない。しかし、友人には、こちらに気を遣ってもらいたいし、気の利いたことを言ってほしいし、楽しませて欲しい、と強い要求をかけてしまっている。こういう人が多いのだ。

しかし世の中には、そんな「気を配り、気の利いたことを言い、楽しませる」ことを、なんの労力も感じずに、自然とできる人間がいる。彼らは、まるで挨拶をするかのように、サラッとこれらを遂行することができる。友達が多い人というのは、そういう人たちだ。友達が少ない人にとっては、「なんでそんなことをナチュラルにできるのだろう」と思わずにはいられない。しかしこれは能力なのだ。もっと言えば、大抵の場面において、このことを「コミュニケーション能力」と呼んでいるのだ。

社会人にとって必要な「コミュニケーション能力」とはだいたい「相手を不快にさせず、説明すべきことをわかりやすく説明し、相手の言いたいことも汲み取れる能力」のことを指すが、思春期の小学生〜大学生における「コミュニケーション能力」はそれとは質が違う。「気を配り、気の利いたことを言い、楽しませる能力」のことを言う。

「友達が欲しい」人の多くは、この「コミュニケーション能力」が不足しているのである。そのため、「友達が欲しい=相手からtakeしたい」は存在するが、こちらからgiveする能力がない状況に陥ってしまっているのだ。そういう人たちは、たとえ友達を作ろうとしても、「ああ、あいつはtakeしてばっかりでgiveしようとしないんだな」と見限られて、友人関係がすぐに破綻してしまう。

友達が欲しい人たちは、いわばtakeだけしたい人たちのカタマリであり、giveする人が不在なのだ。これが彼ら同士で友達にならない理由である。

だからもし、あなたがそういう理由で友達が作れないのだとしたら、giveする努力が必要だ。「友達が多い人」は何の負担もなしにサラッとそれができるため、努力するようなことではないと思い込みがちだが、そうではない。giveする能力がないなら、努力しなければならないのだ。それはなんにも恥ずかしいことではない。将来スポーツ選手になるために筋トレをしたり、学者になるために勉強したりするのと変わりない。「気を配り、気の利いたことを言い、楽しませる」ことのできる立派な大人になるため、努力することは決して恥ずかしいことではない。

なので、最初に述べたように、友達を獲得する定型文である「まずはどこかのコミュニティに属して…」とか「同じ趣味の人を見つけて…」とかを忠実に実践し、giveする練習を積むことが必要である。友人関係はピュアであるべきで、give&takeではない、なんて幻想は捨てろ。「友人は自分のコミュニケーション能力を高める勉強ツール」くらいの気持ちで行け。そうして最低限のコミュニケーション能力をつけて、意識せずともそれをサラッと発揮できるようになってから、真の「友情」を求めればいい。まずは友人を作ってgiveする練習をしろ。友達を練習台として利用しろ。それができなければ、あなたは永遠に友達ができないままだ。

と、偉そうに述べてしまったのには理由がある。かくいう私も、かつてはそうだったからである。私も、giveできるものは無いにも関わらず、takeばかり欲していた人間だった。しかし、無理矢理にでもどこかのコミュニティに属して、giveする練習を積み、成長を実感できたから、今こんなおこがましいお節介を書きたくなってしまうのだ。友人を練習台にしていたことに後悔はない。giveしていたのだから、相手にとっても損はなかったはずだ。それでなんとか、人並みのコミュニケーション能力を身に着けたられたように感じる。思い上がりでないことを祈りたい。

*****

1つめの理由が長くなってしまったが、ここからが本日のテキストの本題である。2つ目の理由だ。

「友達が欲しい」理由は人それぞれだろうが、だいたい、「寂しい」とか「相談できる相手が欲しい」とかが挙げられる。しかし、実はそれ以上に厄介な、しかも根源的な理由がある。それは「よりランクの高い人に認められたい」だ。

友人関係は、自身のランクに直結する。スクールカーストを思い出して欲しい。そこでは、クラスはグループに分かれていて、グループ間に暗黙的なランクの高低があっただろう。よりランクの高いグループに属している人はランクが高く、そうでない人はランクが低い。人のランクとは、その人自身の絶対的なランクというより、「どのランクのグループに属しているか」で決まることが(も)多い。

学校などで、入学式が終わりクラスが始まると、まずは互いのランクを見極める期間が無かっただろうか。あいつはこのくらいランクが高いから、仲間に入れてやろう…。あいつはランクが低いから除外しよう…。自分はあそこのランクには届かないからひとつ下のグループにとどまっておこう…。などと。そして1,2週間くらい経った頃にだいたいグループが固定されて、ランクのバランスが安定化する。もっと早いかもしれない。ともかく、コミュニティが始動したときは、まず互いのランクの見極めが始まる。

ホモ・サピエンスはサルと同じで上下関係を求める生き物であり、それは本能的なものだ。そして、誰しも、自身のランクを上げたいという潜在的な欲求を持っている。それは自然なことだ。

つまり、「友達が欲しい」とは、単に友達が欲しいわけでなくて、「よりランクの高い人間から承認されることによって、ランクの高いグループに属し、あわよくば自分のランクも上げたい」の言い換え系であるケースがかなり多いのである。

このケースでは、「友達がいない人=ランクの低い人」であるため、友達が欲しい人たち同士で友達になることは決してなく、「すでに友達が多い人=ランクが高い人」を求めがちである。そしてランクが高い人に認められ、そのグループに受け入れられることによって、自身のランクを上げ、優越感や達成感を味わいたい――という理由で友達を欲しているのだ。

「承認欲求」という言葉があるが、人は単に承認されるだけでは満足いかない。よりランクの高い人から承認されたい、という欲求を持っているのである。ランクの低い人から承認されたところで、自分の価値が上がったようには感じられない。ランクの高い人から承認されないと、自分に価値があるように感じられない、という人が少なからずいる。

「友達が欲しい人が多いのに、その人同士で友達にならないワケ」の根源的な理由は、むしろこちらにある気がする。「友達が欲しい人」とはつまり「ランクの低い人」であり、それは友人としてお求めではないのだ。彼らが求めているのは、「よりランクの高い友人」であり、ランクの低い友人などは望んでいないのだ。これは厄介な問題だ。

というのも、もしあなたがそういう理由で友達を欲しているのだとしたら、解決法は一つしか無いからだ。圧倒的な実力を持つことだ。

これは大人になるにつれて顕著になるのだが、圧倒的な実力を持つ人の元には自然と人は集まっていく。大人になるにつれて、人間関係が流動的になる。小学生のころはクラス内で閉じていた人間関係が、大学生になると全国に広がり、圧倒的な実力を持つ人はまるで磁石のように人々を吸い付けていく。

その「実力」は、ジャンルを問わない。圧倒的に頭がよくてもいいし、スポーツができてもいいし、Youtubeで100万人の登録者がいてもいいし、お酒にやたら詳しくてもいいし、マニアックな趣味で右に出るものはいないでもいいし、アイドルのトップオタクでもいい。とにかく、たとえ元々のランクが低くても、圧倒的な実力さえ持っていれば、自然と周りに人は集まり、友人は増え、ランクは上がっていく。

もしあなたが「ランクの高い人に認められたい」という欲求で友達を欲しているのだとしたら、圧倒的な実力を身に着けるしかない。そして、それはとても骨の折れることだ。

だが、幸いに、時代はそういう人を後押ししてくれている。我々には、コンピュータという強力な味方がいるからだ。

昔は、師匠から弟子への指導、という形でしか実力をアップさせるシステムが無かった。しかし現代では、インターネットを一つの師匠とみなせば、その気になればあなたはいくらでも実力を挙げることができる。例えばプログラミング能力を上げたければ、本を買わずとも誰からも教わらずとも、インターネットでいくらでも情報を手に入れることができる。音楽を作ってみたければ、無料のDTMツールをダウンロードして作曲に励むことができる。素晴らしい絵を描きたければAdobeに登録して、マウスをペンとみなして筆を走らせればいい。何かに圧倒的に詳しくなりたいなら、そのための情報を誰かさんが無料で公開してくれている。

今は、昔より遥かに、「圧倒的な実力」を「一人で」身に着けることのできる時代だ。もしあなたが、ランクの高い人に認められたい、という理由で友達を欲しているなら、バックアップする環境は整っている。あとはあなた次第だ。

*****

まとめると、友達が欲しい人が多いのに、その人同士で友達にならない理由は2つある。

・takeはしたいがgiveしたくないから
 これは、giveする練習を積むことが大事だ。

・よりランクの高い人に認められたいから
 これは、圧倒的な実力を身に着けるしかないが、それを後押しする環境は整っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?