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なぜ東大は女子が少ないのか ~その本質的な理由~

2021年度の東京大学合格者で、初めて女子の比率が2割を超えた。逆に言うと、令和の時代になっても、たった2割しかいないということだ。

ここ10年では、東大の女子の比率は16~20%でほぼ横ばいとなっている。これだけ男女平等が叫ばれる中でも、東大女子の人数は10年間ほとんど変わってないことが分かる。

私は、東大の中で最も女子が少ないと悪名高い理科一類の出身であるため、30人のクラスで女子はたったの3人だった。中には女子が全くいないクラスもあったという。

東大男子が、彼女と一緒に講義を受ける、空きコマに2人で勉強する、といったキラキラしたキャンパスライフを送るためには、苛烈な競争を勝ち抜いて数少ない女子をゲットするしかない。潤いの枯渇した環境下で日々苦悩している東大男子に、どうか憐れみを送ってほしい。

ちなみに私には彼女がいた。そこの君、裏切り者と呼ぶなかれ。

では、なぜそもそも東大に女性が少ないのだろうか。その本質的な理由を紐解いていくと、ある予想が立てられる。

東大の女子の比率が3,4割に上がるのは、数十年後のことになるだろう、と。少なくとも、数年のスパンでは実現しないだろう、と。

今日はそんなことを書いていきたいと思う。

まず、男子より女子の方が学力が上、ということは無い。それは数々のデータで示されていることであり、あえて私が説明するまでもない。女子の方が男子より学力が高いというデータも数多く存在する。

また、3年ほど前に発覚した、東京医科大学が女子を減点してわざと入りにくくした事件のように、東大が女子の入学を拒んでいるという事実もない。

むしろ、いま東大は、女子の人数を増やそうと躍起になっている。

その背景には、政府が打ち出した「企業幹部ら指導的地位に占める女性割合を30%に引き上げる」ことを目標とした男女共同参画基本計画案があり、東大は日本を代表する大学であることから、先陣を切って改善に取り組んでいる。

例えば、執行部の過半数を女性にすると決定したり、

女子学生に対して、月3万円の家賃補助を行い、地方からの女子学生が進学しやすくしたり、

といった具合だ。

また、東大には一般入試と推薦入試があり、後者の女子合格率の比率は4割となっている。学力試験のみの一般入試と比べ、推薦入試では女性が相対的に優遇されていることが分かる。

それでも女子は増えない。なぜだろうか。

私は、友人である東大女子から、こんな話を聞いたことがある。

「私、東大を目指すって家族に行ったら、『そんなところに行ったら結婚できないから頼むから止めておくれ』とおばあちゃんに泣いてお願いされたんだよね」

他にも、
・「進学するなら地元にしてくれ」と家族に言われた
・「女の子なんだから、慶応でいいんじゃない?」と友人に言われた
・先生が東大受験を勧めるのは男子ばっかりだった
などを耳にしたことがある。

この手の話は、キャンパスにいればチラホラ聞こえてくる東大女子の苦労談であり、そう珍しくない。

つまり、女子の東大への進学を後押しする、社会的な雰囲気がないのだ。

東大に合格するのは簡単ではない。並の勉強量では合格できない。それでも東大に行きたいと願う、強いセルフモチベーションを持った女子のみが苦しい勉強を乗り越えられるのである。この点、東大への進学を後押しされやすく、モチベーションの材料に事欠かない男子とは違う。女子には大きなディスアドバンテージが課されていると言えるだろう。

そのような社会的な雰囲気は、「男は仕事。女は家庭」「女はどうせ結婚したら仕事を辞めるんだから」「高学歴の女性を男性は結婚相手に選ばない」といった旧来の価値観がいまだに(主に年配層に)根強く残っていることで形成されている。

「頑張れば東大に合格するであろう実力の女子たちを受験勉強へと奮い立たせる社会的な雰囲気」が足りていないのだ。

そんな雰囲気の欠如は、酸素の薄い空気がじわじわと人間の集中力を奪って行くように、意識されないところで作用していく。そして、社会的な雰囲気という代物は、数年というスパンでは変化しない。

地動説が天動説を覆したのは、コペルニクスやガリレオ、ケプラーが地動説の正しさを証明し、みなが納得したからではない。天動説を信じる古い価値観の科学者や一般市民が年数と共に死に絶え、新しい価値観を持った者たちにゆっくりとリプレイスされたからである。

私が、東大女子の比率が3,4割になるのは、数十年後になるだろう、と述べた理由がここにある。東大女子を増やすには、社会的な雰囲気から変える必要があり、それには旧来の価値観を持った人々がこの世から去るのを待つしかないからだ。

だから、いくら東大が執行部の過半数を女性にしても、女子学生にだけ家賃補助をしても、推薦入試で女子を多めに採用しても、東大の女性比率はクリティカルには上がらないのである。

だが私は、そうした東大の試みまで反対しているわけではない。社会的な雰囲気と制度は鶏と卵の関係にあり、社会的な雰囲気が制度を作ることもあれば、制度が社会的な雰囲気を作ることもあるからだ。

とりあえずまずは制度を変革することにより、「女子も東大へ行こう」のメッセージを発信し、徐々に社会的な雰囲気の変化を促す。それはある程度の効果は期待できる。そのスピードは決して速くはないが、徐々に社会に影響を及ぼすことは間違いない。だから私は、東大があの手この手で女子を増やそうとする方策に、大筋で異論はない。(「逆差別ではないか」という声に一理あることは認める)

ちなみに、東大卒の女性は結婚できない、という友人の祖母の話があったが、それについて補足をしてみる。東大のOGで構成されるさつき会のデータによれば、会員の未婚率は19.8%。

それがいつのデータかは分からないが、女性全体の生涯未婚率(15%程度)に比べれば、確かに高いことが分かる。

しかし逆を言えば、80%は結婚しているのである。「東大卒は結婚できない」は真っ赤な嘘であることが分かる。東大を目指す女性諸君、どうか安心してほしい。

ここでテキストを終わりにしても良いのだが、もう少し書いておきたいことがあった。ここからは私の憶測にすぎないため、さして重要視しなくても良い。東大女子から話を広げて、もっと全体的なことを書きたいと思う。

それは、「そんな社会的な雰囲気の変革を、そもそも女性自身が望んでいるだろうか?」という疑問についてだ。

読者もご存じのように、日本のジェンダーギャップ指数は156カ国中120位と、国際社会の中で底辺に位置している。これは主に経済・政治の分野でリーダー職に就く女性が圧倒的に少ないことに起因している。

これだけ見ると、確かに日本は男女平等の観点から遅れていると見て取れる。日本の組織の至る所に「ガラスの天井」が張り巡らされており、女性が昇進しにくい雰囲気が偏在しているのは事実であろう(そしてそれも一朝一夕には改善しない社会的な雰囲気である)。多くのフェミニストが、この値を根拠にして男女平等論を叫んでいる。

同時に、こんなデータもある。男女の幸福度の国際比較において、「幸せだと感じている男性の割合」から「幸せだと感じている女性の割合」を引いた値では、日本は-8.2%と、1位となっている。

日本の女性は、幸せなのだ。これは、「日本の女性は不幸だ!」と声高に主張するフェミニストに、「反フェミニスト」が反対材料として投げつける、よくある統計データである。

彼らが主張したいのは、次のような疑問だ。

「女性は、経済や政治でリーダー職を担わなくても、十分幸せなのでは?」だ。

受験の話に戻るが、難関大学に合格するための勉強はハードだ。そして、合格できたとしても、その先に待っているのは熾烈な競争社会である。上司の理不尽に耐え、客先からは怒られ、残業をこなし、ようやく出世コースに乗れる。そんな生き方を、そもそも女性たちが望んでいるのだろうか?

もっと言ってしまえばこういうことだ。

せっかく「女性は出世しなくてもそこそこ幸福な人生を送れる」という既得権益があるのに、それをみすみす手放すようなことはあるのだろうか? だ。

先に述べた「ガラスの天井」に代表される、女性の昇進を阻む壁は、一部の上昇志向のある女性のみがぶつかる障壁であって、その他の女性には関係のないことだ。近年の若者は、身を粉にして働くよりも、そこそこの安定的なライフスタイルを望む傾向があり、女性も同様である。そんな女性たちにとっては、「男女平等だ。これからは女性も責任ある職に就こう!」という運動は、「今のままで十分幸せなのだから、頼むから余計なことをしないでくれ」でしかないだろう。

男女平等を実現するためには、男が競争から降りるか、女が競争に参加するか、の二択なのだが、前者はほぼないだろう。男性には、「上昇志向をもって労働しろ」という「既得義務」が存在し、グローバル化でますます競争が激化される社会で、その義務を放棄することなど許されないだろう。ともすれば後者が必要なのだが、女性の側がそれを拒んだらどうしようもない。

私は、社会的な雰囲気の変革によって、東大女子の比率は数十年後に改善されるかもしれない、と考えているが、女性の側がそれを拒めば、永遠に改善されないことになる。

東大女子の比率が3,4割に上昇するのは、数十年というスパンで社会的な雰囲気の変化を待たねばならず、そして本当にそれが実現するかも、疑問符がつくのである。

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