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東大に入らなくても東大で勉強できるよ。

受験シーズン真っただ中だ。試験会場に向かう受験生たちをニュースで見て、ふと昔を思い出してしまった。

私が高校生だった当時、東大を志望したのは、東大で勉強したかったからだった。学問の頂点である東大で純粋に学びたい――その一心で1年間受験勉強に励み、おかげさまで現役合格できた。

私だけでなく、東大を目指す多くの高校生が、「東大で勉強したい」と話す。私の高校では、志望校に合格すると、後輩たちへのアドバイスを文章を残さなければならなかった。どうやって勉強したかはもちろん、なぜそこを目指したかも書く必要があった。私は「学問がしたかったから」と書いていたし、他の東大合格者も似たようなことを書いていた。

そう、まるで、一流の教育を受けるためには東大に入らなければならない――と言わんばかりに。

だが、東大に入ってみて分かったのだが、東大で勉強するために、東大に入る必要性は全くない。誰だって東大で勉強できる。そのことに気づいてしまったのである。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

勘の良い方はタイトルを見た時点でもう察しがついただろうが、なぜ東大に入らなくても東大で勉強できるかと言うと、大学の講義は基本的にもぐりこみ放題だからだ。

会社のオフィスなどのように、学生証をピッとしなければ入れない教室などどこにもない。さすがに夜になれば建物に鍵がかかるが、それ以外の時間は、本当に誰でも、講義室も含め、入り放題である。講義それ自体も、受講者が東大の学生であるかのチェックなどなされない。出席をとるためにシートが回されることがあるが、空欄のまま隣の人に回せばよい。東大の講義を受けたければ、本当に、その時間に教室に行って、あたかも東大生かのように座っていさえすればいい。「おい! 在学生じゃないやつが講義受けてるぞ!」と騒ぎになることはまず無いと言ってよい。

実際私も、受講してないにも関わらず興味本位で単位に関係ない講義にもぐりこんだりしていた。それが問題になったことなど一度もない。

また私の友人は、転職する際の有給休暇消化期間中に、「暇だから」という理由で、東大の講義にもぐりこんで勉強していた。

それくらい、本当に、バレないのである。

ただし、東大生でなければ受講できない講義はいくつかある。

東大は、第二外国語でクラス分けがなされるため(理二フランス語3組などと呼ぶ)、語学の授業はクラス単位で行われる。そのため、さすがにクラスメイトでない者が入ってきたら「あいつ、誰だ?」となるため、おすすめできない。

また、理系では科学実験の科目があるが、それはあらかじめ班分けがなされていて、実験機材も限られているため、もぐりこむことはできない。

それと、研究室に配属されてマンツーマンの指導を受ける卒業論文だけは、どう頑張ってももぐりこむのは不可能だろう。当たり前のことを書いてしまった。

逆に言うと、それ以外の講義はもぐりこみ放題である。東大の教授たちは、名ばかりで無く、本当にその分野のトップクラスの学者たちである。そのスペシャリストの話を聴くために、東大の入学試験に合格する必要も、授業料も払う必要はない。キャンパスに行き、所定の時間に席に座っていれば、本当に誰でも、タダで一流の学者たちの話を聴くことができる。

また東大には、毎回異なるプレゼンテータを呼んで講演をしてもらうオムニバス形式の講義もある。そこには、学者だけでなく、一流の、ビジネスマン、政治家、官僚などがやって来る。自衛隊の幹部が来たこともあった。彼らの話は、私が社会を知るうえで大きな基盤となった。社会人になって、いかに彼らの話が貴重だったか分かる。もちろん、これももぐり込み放題で、聴くのはタダである。ぜひとももぐりこんでほしい。

最近はコロナの影響もありリモート授業が増えているので難しいかもしれないが、やがてパンデミックが収束し、学生たちがキャンパスに戻ってきたら、誰でももぐりこんで講義を聴くことができるだろう。

だからもし、「東大で勉強したい」と言って受験勉強に必死になっている高校生や浪人生がいたとしたら言ってあげてほしい。「東大に入らなくても東大で勉強できるよ」と。

東大に入らないと手に入らないものとは、はっきり言ってしまえば、「東大卒」という肩書くらいである。つまり、ほとんどの東大志願者は、実質、「東大卒」の肩書を手に入れるためだけにハードな試験勉強をしているのである。そのことを本人が分かっているか分かってないかは別として、「東大に入りたい」=「東大卒の肩書が欲しい」だと思ってくれて構わない。本当に、そのくらい、東大で勉強するのは簡単なのだ。

といっても、講義は平日の昼間に限られているため、その時間に十分な余暇がある人などあまりいないだろう。だが他大学に通いつつ、空きコマに東大のキャンパスに通って講義を受けることならある程度はできるだろう。

しかし残念ながら、そんな人の話は聞いたことがない。東大を誉めそやしているにも関わらず、「よし、東大の授業を受けてみるぞ!」という人はほとんどいないのである。勉強自体には誰も興味を示してないのだ。結局のところ、多くの人が「東大はすごい」と思っているものは、肩書だけじゃないか、と思うのである。

こうなってくると、もう、入学試験の意味すら無くなってくるように思える。

そもそも、なぜ入学試験があるかと言うと、昔は講義室に入る人数や教授の声が届く範囲に物理的な限界があったからだ。そのために人数を絞っておく必要があった。だが現在はどうだろうか?

現在コロナ禍で、オンライン講義が盛んに行われているが、それだって全国に公開したらいいじゃないか、と思うのである。それを24時間見れるようにしておけば、誰だって高度な教育を受けられるはずである。時間も場所も人数も制限がない。

そして講義を受講したら東大生でなくても単位を取得できる仕組みにすれば良いではないか。それではテストの採点が間に合わないじゃないか、と言う声も聞こえそうだが、そんなのAIに任せておけばよい。たぶん、10年後にはそうなっているだろう。

そして、東大の卒業に必要な単位をそろえた人に、合格証書を付与すればよい。そうすれば、あんな面倒くさい入試などしなくても、東大卒の肩書を誰でも取れてハッピーではないか。唯一、卒論のマンツーマンの指導ができないことがボトルネックであるが、逆にそこさえクリアできれば、「東大には入らなかったが、東大を卒業した」人を量産できるはずである。

私は、未来は確実にそちらの方向に向いていくだろうと推測しているし、その未来では、「入学試験」なるものが全く意味をなさず、やがて撤廃になるだろうと予測している。

私は、受験勉強が大嫌いであった。なぜ人生で最も多感で、クリエイティブである17,8歳という貴重な時間に、受験勉強などという大して役に立たないことをしなきゃいけないのだ、と思っていた。

こんな悩みは、もしかしたら20年後の高校生は抱いていないのかもしれない。入学試験で選抜などせずとも、誰でもオンラインで講義を受講でき、AIがテストを採点してくれて、単位をそろえれば卒業証書が配布される。そんな社会になっていくだろうと、期待と予想をしている。

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