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#自己紹介<僕のサッカーヒストリー>vol.2〜タイ遠征〜

こんにちは!

本日は自己紹介第2弾ということで、前回の中学時代の続きを描いていきます!

前回の記事を読んでいない方はこちらを最初にご覧下さい!

前回ではサッカーを始めた頃から中学までの流れを簡潔に説明しましたが、今回は中学で1番印象に残っているといった

タイ遠征について

記憶にある限り書いていきます!

面白いので是非見てください!(こんな経験をする人はほとんどいないと思うので笑)

まず、タイ遠征に行ったのは中学2年生の12月でした。学校が終わり、冬休みに入った時ですね。もちろんクリスマスはタイでした。

僕自身、初めての海外という事で、かなりわくわくしており、それはチームメイトも同じだと思います。

前年までのディプロはシンガポールに毎年行っておりましたが、学校を休まなければならなく、学校がない期間に行ける、タイに僕たちの代からはなった(ちょうどその時期にタイで大会があったとのこと)ので、先輩たちの話なども聞く事ができず、スタッフ、選手も未知数のままタイへと出発しました。(滞在は10日ほどだったかな?)

タイについた時、(タイのどこに着いたのかは覚えていません。おそらくバンコクかな?)まず感じたのは、「暑い」という事です。日本では冬の為、かなり暑く感じました。ですが、特に街並みも綺麗で、その頃はまだかなりワクワクして興奮したのを覚えています。

空港からバスに乗り、荒い運転に驚きながら、ホテルへ着きました。(ホテル、、、。)

バスから降りると土地としてはかなり広く、スタッフの説明だと、タイのナショナルセンター的なとこだということを言われました。(日本でいうナショナルセンターというと、かなり立派で綺麗なイメージだった)

ですので、かなり綺麗なイメージをしたのですが、

いざ中に入ってみると、

1.寝床

そこは、めちゃくちゃ広く薄暗い部屋に2段ベッドがずらーーーっと並んでました。

その光景を見た時、ここは牢獄かと思いました笑

イメージ図↓

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これです。笑(割と盛りなし)

ベッドは固く、落ちないように支えるものもありませんでした。

床もよくいうと大理石みたいな感じで固かったので、上から落ちたら怪我をする可能性もありました。

そこで僕たちは、多くある2段ベッドを隣同士にくっつけて、落ちないようにしました。

寝床はなんとかなりました。

2.お風呂

次にお風呂を見てみると、シャワーが何台か設置されており、見た目は「割りかしいけそうだな、」と思いました。

ですが、実際にシャワーを浴びてみると、なんと、、、

水しかでないのです。

お湯は一切出ず、水しか出ませんでした。

最初は水が出てきて、そのあとお湯になるのかなと思いましたが、ずーっと水です。

まだ夏場だったので、良かったですが、(これを良かったと思うしかない笑)髪の毛もバリバリになり、疲労も取れた感じが全くしませんでした。

そのシャワーを10日ほど浴び続けました。笑

3.トイレ

次はトイレですね。

トイレはその部屋に2〜3つほどあったと思います。

そのトイレに紙がないのはもう言うまでもありませんが、中学2年が約30人の部屋にもなると、度々トイレが詰まるのです。笑

日本のように詰まったときに使うスッポンなどがあればよかったですが、そんなものも勿論ありません。

では、どうやってその詰まりを解消したかというと、

ハンガーです。笑

ハンガーはなぜかあったので、ハンガーを伸ばして、素手で突きまくってました。笑(僕は一度もやらなかった=毎回詰まると地獄のジャンケンが始まりました笑)

1番記憶にあるのが、今J3福島ユナイテッドに所属している橋本陸選手がめちゃくちゃ頑張っていたのが、記憶にあります。(後にディプロのキャプテンになります。笑)

4.食事

食事についてですが、一言で言うと「地獄」です。笑

今ではタイはかなり日本人も多く行っている観光スポットですが、当時は観光でタイに行く人はほとんどいなかったと思います。

そのタイの中でもかなり外れでした。(2〜3年後に弟が行った時はタイめちゃくちゃよかったといって帰ってきました。)

食事は不味いという記憶しかほとんどありませんが、印象に残っている出来事が1つあります。

それは、食事をするスペースがガラス張りの空間で、外の庭が見えました。その庭にはニワトリなどの動物たちがいたのです。

ある日、食事をしているとシェフみたいな方が庭に見えました。そのシェフはニワトリの脚を持って生きたまま厨房の方へ連れてきました。

その光景を食事中に見た事には衝撃的でした。さらにもっと衝撃的だったのが、隣に座っていたチームメイトのスープに鳥の羽が入っていた事です。

日本では考えられない事に、僕は食べる気を失いました。(食パンみたいなのがあったので、それをとにかく食べていました。)

5.トレーニング

そんな環境の中、僕たちは厳しいトレーニングを毎日行いました。朝5時くらいからかなりきつめの朝練をして、お昼には現地の大会の試合に臨んでいました。

タイの当時のサッカーレベルはあまり高くなかった為、相手は全て高校生でした。そんな中でも、僕たちは決勝戦まで勝ち進みましたが、決勝戦で、惜しくも負けてしまい、準優勝という結果で大会を終えました。

タイでの試合はかなり楽しかった記憶があります。(生活面が印象的すぎてほとんど覚えていませんが笑)

こういった生活を10日間くらいしてみて、
本当に辛かったです。

後に当時のコーチ(太田コーチ)がこんな話を親に話していたそうです。

「僕は前に刑務所の監視員をやっていたことがありますが、タイ遠征は刑務所よりも酷かったです。刑務所の方がマシですね笑」

と話していた事から、僕は刑務所の経験がないのでわからないですが、刑務所よりも酷い生活を経験を僕たちはしたと思います。笑

6.このタイ遠征に行って感じた事

僕にとってこのタイ遠征での経験は、今になってみると、かなり良い経験だったと感じております。こんな経験を20歳超えてからするのも絶対に嫌だし、経験しようと思っても出来ないと思います。

その点、中学2年生で経験できたのは僕にとって大きな財産であり、場面場面は鮮明に記憶に残っています。

特に感じた事は、

当たり前にあるものが当たり前ではない

ということです。

お風呂に入ればお湯がでたり、美味しいご飯を食べることができたり、今のトイレはつまりにくくなっていたりと、僕は今まで当たり前だと感じていた事が全てひっくり返されました。

日本に帰ってきて、美味しいご飯を食べた時とお風呂に入ってお湯がでた時は、感動しました。

おそらく、こんな感動は今後ないと思います。

ですが、今ある当たり前の環境がどれだけ恵まれているか、その環境に日々感謝しながら生きていく事はとても大事なことです。


コロナで大変な時期ですが、この記事を読んで、少しの方でも笑って頂けたり、そんなことがあるのかと驚いて頂けたりしてもらえれば、嬉しいです。

高校の進路の話まで書こうと思ったのですが、今回はこれで終わりとさせて頂きます。申し訳ありません!

次回の自己紹介記事で書かせて頂きます!

最後まで読んで頂きありがとうございます!

タイトルの写真はいつかの初蹴りの写真です!(ディプロの)

OBの方々と撮った写真も載せておきます。(タイの写真なくてすいません!)

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では、また。

Jun Ioroi

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