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内ゲバは避けるべきもの

 近代日本の政治思想を学ぶなら、いわゆる左翼についても当然学ばねばならないのだが、ぱっと皆さんが思いつくのは、戦後日本には日本社会党と日本共産党があって、冷戦終了後は民主党という左派政党が出来て、一時期政権も担ったなぁ、というぐらいだろうか。戦前の左翼は、日本共産党や全国水平社ぐらいが代表だが、総じて活発ではなく、また、政府の弾圧や意見の不一致により影響力を及ぼせなかった。それでもロシア革命に端を発する社会(共産)主義思想は、日本には「国家社会主義」という形で現れ、北一輝の思想がこれに近いが、一定の影響力はあったと言えよう。ともあれ、正直戦前は国家の言論・思想弾圧が強く(治安維持法など)、左翼の出番はほぼなかったと言える。
 そして、戦後である。言論・思想信条の自由が日本国憲法で認められ、晴れて左翼は自由に活動することが出来るようになった。しかし……

「新左翼とは何だったのか」(荒岱介・著・幻冬舎新書・2008年刊)より
「新左翼とは何だったのか」(荒岱介・著・幻冬舎新書・2008年刊)より

いずれも「新左翼とは何だったのか」(荒岱介・著・幻冬舎新書・2008年刊)より転載させていただいたが、正直何が何だか分からない。とどめにこれ。

昭和63年 警察白書より

 読みにくいと思うが、別に読まなくてよい。これは新左翼系、中核派や革マル派とその分派の図だ。戦後の左翼史はこの通り、内ゲバ(だけが分裂の理由ではないが)と分派の歴史と言っていいのではないか。根本に、急進的な共産主義革命を目指す共産主義者と、段階を踏もうという社会主義者の違いがあって、これはいい。分かりやすい。急進派と穏健派の違いだからだ。だが、それ以外はどうなのだろうか。細かく説明はしないが、一つ言えることは、こんなに団体がたくさんあったら分かりにくくて仕方ない、ということだ。どれがどうなのやら……。内ゲバについてはリンクを貼る事ですませるが、国民の印象は最悪と言っていいだろう。
 
 自戒を込めて言うが、自分が左翼やリベラルであると自認する人たちは、この痛恨の歴史を必ず知っておくべきだ。過去に無知な者は、未来に見放される。(サンタヤナ)時には仲間、味方を批判しなければならない場面も出てくるだろう。それをしなければ自浄作用のない、党派性だけでモノを考える人で、公正や道徳・倫理をおざなりにする人だと思われる。しかし、批判すべきを批判したらそこまでにし、決して後に敵意や憎悪を持たないようにすべきことが重要だ。人は何故か、本来の「敵」よりも、身内とぶつかった時により憎悪を燃やす傾向があるらしい。裏切者、とかそんな感覚になるのだろうか。ともあれ、政治に関わろうとするなら、党派性に囚われず、かつ、相互批判をしても後に引きずらないようにせねばならないだろうと思う。自分が正しい主張をしているかどうかは第三者が判断してくれるはずだから。

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