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note 版 龍馬と和歌『慶応二年』思いきや…無料

好きありがとうございます。

きえやらぬ
思ひをさらに

うぢ川の
河瀬にすだく
蛍のみかは

(坂本龍馬)

上の…河瀬にすだく(河のほとりに舞う)蛍…という表現は、これは『蛍』が亡くなった志士の霊とかけてある。


蛍というのは、『蛍の墓』(野坂昭如)『蛍川』(宮本輝)…この両方から…亡くなった人の魂を比喩するわけです。


『うぢ』は物憂き時世の『憂事』と読むらしい。
これは『宇治』にかかる。


源氏物語の第二部の舞台そのまんま。


この憂時に散っていった…魂…これが『蛍』となる。
この『蛍』のきえやらぬ『想ひ』というふうに、龍馬はひっかけている。


この思いと龍馬のお龍さんに抱く『想い』が同種のものになっている。


やがて、その想いが蛍になっていく。


冥界をさ迷うようなイメージで、死者の魂イメージが『蛍』につきまとう。

もともと、お龍さんの祖父は長藩の家臣。
除籍で…父の代に京に移り住んだ。
三条柳馬場で開業医となる。
楢崎将作…という侍医で、意外ながことに頼三樹三郎(儒学者)と親交が深かった。

梅田雲品
頼三樹三郎(頼山陽の子)
橋下左内

こう名前を並べていけば、なるほど吉田松陰も後に続くのだ。


そのため、安政の大獄で牢に入れられる。
その後に亡くなっている。

👆スマホで撮影(笑…我ながら下手ですなあ🎵)


これは深読みかもしれないが
『蛍』と『宇治』にあの世のメタファがある。
紫式部の『浮舟』…にも宇治はかかっている。


この宇治川から伏見までの道が…二人のデートコースだったらしい。
デートコースの場所は『けいおん』で有名な京都アニメーションの辺りだと思う。(実は観たことがない)
海外からの見物客で賑わっていた。

田中光顕はこの時期、高杉晋作に『弟子入り?』していた。
彼についてはまた、別の機会に。




この歌の返事…

思いきや
宇治の河瀬の末つひに
きみと伏見の(※1)
月をみむとは

崎龍(楢崎龍)

龍馬の和歌はかなり技巧に傾倒している。
『豪気』な返答が返ってくる。
あと龍馬が和歌に技巧を入れ込んづいるのに対して、シンプルで骨太。勿論、本当の歌人とは違うが。
実際の龍馬と彼女の関係は、後に門司の伊藤家(回船問屋)で
ていた時の、歌を見ていくとわかるが、龍馬がベッタリの状態だった。
海援隊の菅野覚兵衛(後に西南戦争でも活躍)とお龍さんの妹が祝言をあげている。

時系列で読んでいくと

これは、慶応二年、龍馬が伏見の寺田屋で遭難
後に西郷に救助された後のこと。

この年の3月、薩長同盟の『打ち合わせ』が京で行われた。

この夜、龍馬と長州の三吉慎蔵は伏見の寺田屋で幕府に包囲される。

お龍さんのとっさの機略で一命をとりとめた二人。

ここから、薩摩の西郷のもとに渡って霧島でハネムーン。

この時の光景から読まれた。

『宇治の河瀬の末』
これは平等院から河がたどり着くのが、

末…の伏見の寺田屋となる。

※注1

末ついに…つまり『伏見』での龍馬を襲った出来事の結果、私たちは結ばれたのね?

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