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ポートスタンレー『ヨハン・パウロ2世』1982 年

【ヨハン・パウロ2世】表紙の写真

まず前書きしておきたいので。


ポーランド出身の法王。
恐らくこの当時、マーガレット・サッチャーの政略性の本質を見通し、軽くいなしていた。

【ヨハン・パウロ2世とレーガン大統領】

南アフリカのネルソン・マンデラはものの見事にサッチャー首相に利用された形。
しかし、あとにも先にも、このヨハン・パウロ2世はサッチャーが隠し持っていた『秘策』を見通していたことが、ハッキリとわかる。

バチカンはロベルト・ロッセリーニ監督の『戦火の彼方』や『無防備都市』でも描かれているように、イタリアを見捨てた。ピウス法王の時代。
それだけに闇が深い。

ナチスの対バチカン工作をつぶさに見ていくと、イタリアのムッソリーニは素朴な政治家だったことがわかる。
『ハスキー』作戦をチャーチルが発動した直後、ベルリンはムッソリーニに『ニーチェ全集』を寄贈している。
この後にムッソリーニはある種の『傀儡』にされていく。
この流れから歴史と哲学を横断してみよう。


『この人を見よ』『善悪の彼岸』のフリードリッヒ・ニーチェのことだ。
ニーチェの解釈は一般の書籍ではなかなか難しい。
ニーチェが導いた哲学の文脈はギリシャ悲劇の導入である。
トートロジとタブー
これにピンと来たら、つぎのステップとなる。

彼の実存主義は、後のアルベール・カミュ(異邦人)や、これはアメリカ文学の専門家に教えを乞わなくてはならないが…アーネスト・ヘミングウェイ(海流の中の島々、武器よさらば)などのハードボイルドの手法のほうが理解しやすい。
この先の未来を決定するのは『自分の意志』である。こう簡単に解釈するのが悪いいみで『亜流』となる。
この『亜流』の解釈がまかり通った結果、ナチスが誕生した。
今、世界的に民主主義が脅威にさらされているが、その原因は…亜流の解釈がまかり通ったためだろう。

【小林秀雄】


ニーチェはこの当時、ジョルジュ・バタイユらも研究対象にしている。極めて難解な【ぎゃくに虚偽の道具にもされやすい】哲学者である。
戦後の評論家、小林秀雄は『ドストエフスキーの生活』で…同じ実存主義のくくりからニーチェを解説している。
とりわけ哲学のこの分野は、デカルト…ニーチェ、フロイドと繋がっていくのをあらかじめ頭の中に入れておこう。

クオリアという言葉がAIの分野に出てきているが、
これはフランス構造主義にジャック・ラカンがすでに提唱している。
シニフィアンの連鎖のことだ。

まずソシュール言語学のテーゼ
『世界は言葉によって、恣意的に差異化されている』
人は言葉で考える。

『ポートスタンレー』より

「正直言ってサイドワインダーがなかったら、ここまで来ることは出来ませんでしたよ」

 彼は安堵のため息とともに、フォークランド方面から送られてきた電報を彼女に渡した。

 「昨日は二四機撃墜……」

 サッチャーは何もなかったようにそれをファインダーに閉じた。

 この時点でアルゼンチン空軍は八割の損失を被っている。

 「スタンレー陥落は時間の問題ね」

 ジョン・ノッドは頷いた。

John Nott ジョン・ノット国防大臣



 「ええ」

 サッチャーは憂鬱げに窓の外を見ていた。
ダウニング街は物憂げな雨に濡れていた。
サッチャーは彼女特有のうつむき加減の姿勢で独り言を繰り出している。
プレスの前で今度は何を言い出すのか?
彼はバーザスサインだけは止めておくよう助言した。

アポフィスとサイフォンのサイン。
ピースサインのことだ。

 ジョン・ノットは話をそらした。

 「クローフィーにスコッチを頂きましてね……今夜は久しぶりにそいつを堪能するつもりです」

 サッチャーは軽くため息をついた。

「私は音楽でも聴こうと思ってるの」
ジョン・ノッドは彼女が何を考えているか、しばし沈黙した。
恐らく、クレムリンのことを考えているのだ。

「ストラヴィンスキーの『火の鳥』ですか?」

彼女はメガネ越しに彼に目をやった。
「そう」
つまり、ソ連の書記長、ミハエル・ゴルバチョフのことを考えているのだ。
この時代、ソ連圏から芸術家、スポーツマンの亡命が相次いでいた。

「彼がドストエフスキーの愛読者だったとは」
「考えても見ませんでしたな」
「つまり、使える?」
「よろしい」

やがて、二人はプレスの前で会見をおこなっている。
この時にサッチャーは仰天するひとごとを残している。

……あなた方はもう少し、わたしを尊敬しなさい!

       ★  

 
 フォークランド戦争の明暗を分かつ『死の谷の攻防戦』は終わっていた。

 すでに厭戦気分は他国にまで及んでいた。

 「スタンレーに進撃は?」

 「当然、続行よ。無条件降伏させてやるつもりよ」

 チリのピノチェトが動き始めた今となっては、すでに勝利は決まったも同然だった。

 アルゼンチンのガルチェリ政権は文字通り、空中分解しているのだ。


其の九『ヨハン・パウロ二世』



コマンド部隊は既に東フォークランド島を横断し始めていた。

 かなり深くだ。

 トムソン准将の発案で、第三空挺部隊と第四十二大隊は、スタンレーの西にある『ダグラス』そして『ケント山』方面に駒を進めた。

 「いいか、スタンレーを見下ろせる位置にまで前進して『砲兵陣地』を構築する」

 つまり一〇五ミリ野戦砲を引っ張って、第四十二大隊はケント山に陣地を作る。

 さらにその北部の沖合いの位置から、第三空挺大隊がサッパー高原を北から押しつけるように囲い込む。

 そして、スタンレー方面の包囲網を徐々に狭めていく。

 「おっつけ『グースグリーン』を陥した第二空挺大隊がスタンレーの南からブラフ湾方面までの拠点を抜いていくだろう。我々は西からスタンレーを囲い込み、海には二隻の空母、空はハリアーで威圧し続ける」

 すでに後続の援軍はぞくぞくと上陸していた。

 『アトランティック・コンベイヤー』の被害から難を逃れていたシーハリアー十九機。 これが敵のアルゼンチン軍の防御陣地の爆撃に参入したことでスタンレー攻略の速度を速くしていた。

 ノースウッドの中央指揮所では既に、スタンレーの『無血開城』を行うため、交渉人たちが動き出していた。

 彼らが目を付けたのは、スタンレーの病院施設にある『ラジオ局』だった。

 この『ラジオ局』から降伏勧告の電波を中継しようと考えたのである。



 五月の最後の週から六月上旬にかけて、イギリス機動部隊は徐々に包囲網を縮めていった。

 これと同時進行で、スタンレーの『ラジオ局』では降伏に向けての様々な放送が始まっていた。

       *

 常に一枚岩にならない……アルゼンチン軍部は結果的にバジリオ・ラドミソ空軍司令官を見捨てるような形で、フォークランド戦争の終結に向けて、動き始めていた。

 案の定だが……六月に入って、ガルチェリはソ連大使と面会している。

 また、海軍提督の『ホルヘ・アナヤ』はサッチャーが最も恐れていたという空母『ベインティシンコ・デ・マヨ』……(五月二十五日の革命記念日の意味)をアルゼンチンの南方海域に停泊させたまま、行方をくらましていた。

サッチャーの追求の手が自身に及ぶのを恐れていたためだ。

 この戦いで、アルゼンチン経済は悪化の一途をたどっていた。

 サッチャーがNATОと欧州諸国に真っ先に取り付けた約束……経済圧力、さらに海外に投下されたアルゼンチン資本の『全面凍結』が一挙に効力を持ち始めていたのだ。

 既に海外諸国から投資されていた資本は、二十三パーセント減っていた。

 つまり半年もすれば餓死者がでてくる状態だった。

 これが、ガルチェリ独裁政権の『消滅』を意味していたことは言うまでもない。

 六月十一日から英国軍は『姉妹尾根』『ロングドン山』を掌握。

 更に『ダンブルダウン山』を経て『サッパー高原』にまで英国軍は迫った。

 この間、後続の英国陸軍は増強され続けている。

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