19の恋③

衝撃的なカミングアウトから、私たちはより一層強い絆で結ばれた。
彼は私に「junが見たことのない世界を見せてあげたい。色んな経験をさせてあげたい。junと大切に大切に色んな思い出を作りながら過ごしていきたい」と言った。
私は彼に「あなたは色んな女性とお付き合いをしてきたと思う。でも、その誰よりもあなたを愛し、大切に想い続けていく。それを言葉と態度で示し続けたい」と言った。

時間があれば、私たちは色んな所に出かけた。
夏の晴れた日には海へ行き、秋はお弁当を作ってピクニックや紅葉狩りに行った。冬はイルミネーションを見たり箱根に温泉旅行に出かけたりした。
その中で、彼はいつも私を喜ばせ、驚かせてくれた。

「夜景が見たいなぁ」と呟けば「よし、東京タワー登りに行くか!」と片道1時間半はかかる中、閉館時間30分前になるにも関わらず車を走らせてくれた。
「晩御飯?中華にしようかな!」と言えば「じゃあ行ったことないところに連れて行くよ」と、赤坂離宮にポーンとひとっ走りしてくれた。
とても大人なエスコートに私はいつも目を丸くしながら、その時間を楽しんだ。
そんな彼に影響されて私も出来限り思いつくだけのサプライズを仕掛けた。いつも、どっちのサプライズが上手にできたかお互いに褒めあい、笑いあった。なんともくだらない、最高に幸せな時間だった。

そして、女性としての喜びを教えてくれたのも彼だった。彼は優しく、時に何かを忘れるかのように私を抱いた。大人のするセックスだった、と今でも思う。
彼はいつも「jun愛してるよ」と言い、私を抱きしめて眠った。
1度彼が眠ったことを確認し、飲み物を取りにそっと腕枕から抜け出したことがあったが、それに気づいた彼が「jun!?」と私を呼び、駆け寄ってきて強く抱きしたことがあった。「どっかに行っちゃったかと思った。そんな夢を見てたのもあるけど・・・恥ずかしいな。ごめんな?ずっとずっと一緒にいてくれよ」そう言って強く抱きしめられたとき「あぁ、私はこの人とずっと一緒にいよう。この人のために幸せな人生を作る努力をしよう」と思った。

そんな愛おしい時間を私たちは出来るだけ写真に納めた。いつもデジカメを持ち歩いていた。
だから、私は19〜22までの写真がとってもとっても多い。
彼の車仲間には写真家がいて、ツーリングに行った時は車をバックによく写真を撮ってもらっていた。
二人で待ち受けにして「いい写真だね」と眺めたもんだ。

彼は、私と両親の時間も大切にしてくれた。「jun、親御さんは大切にしなくちゃいけないよ。今は嫌いでもいつかご両親の言っていることがわかるからね」と、喧嘩したときはいつも私をなだめながら、決して私の肩を持つことはなく両親を立ててくれた。少しでも両親の具合が悪いと告げると色んな差し入れをくれたり、心配の連絡をしてくれたりもした
自分がとても親不孝なことをしてしまったと、日々後悔しているのがよく伝わってきたが、純粋に嬉しかった。私の両親も大切にしてくれる彼となら結婚しても間違いないと思っていたからだ。

私は彼のすべてが愛おしかった。彼が望むことはなんでもしたし、私も彼に多くのことを望んでいたように思う。

今思えば”共依存”だったのだろう。
でも、そんな依存から徐々に徐々に遠ざかることになる。

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