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無意識の海に浮かぶ島



毎週、立ち寄る地域の図書館で蔵書が持ち帰ってよいとリサイクル図書として並べられていた。
あまり期待せず、ゆっくり眺めていると、私の好きな藤原新也氏(以下、藤原氏)の「ディングルの入江」という本が目に止まった。
このタイトルには見覚えがなかったが、帰宅して第一章を読み始めると以前に読んだ記憶が蘇ってきた。

雑踏の中に流れてくるブルースハープ(単音10穴のハーモニカ)の音から物語ははじまる。
ブルースハープを吹く旅人ケインは西アイルランド人。ケインとの出会いからケインの元恋人である画家プーカ、そしてプーカの育った島へと物語は繋がっていく。

藤原氏の処女作「インド放浪」は私も20代に強く影響を受けた。
ディングルの入江はインドを皮切りに世界を20年間旅を重ね、その後、9年間の空白を経た著者の初めての物語である。
本書のあとがきに触れて私はその内容に釘付けとなった。
藤原氏の中で長年の旅とその後の空白期間を経て、「島」をテーマに書いてみたいという強い衝動が生まれた。
藤原氏自身も「島」が何の暗喩しているのか、何がそうさせようとしたのか把握できていないと語られていた。
あとがきでの著者の以下の言葉は、前回は完全に読み過ごしていた。
今回もすぐに内容が理解できなかったが、何だかとても大切なことが象徴されている気がして何度か味わっていく中、私の内側でも断片的なキーワードが浮かびあがってきた。

私の内側で無意識の海の中から「島」として浮かんできた断片は以下のようなキーワードであった。
父、権威、家、長男、瞑想、依存、夢、酒、現実逃避、インド、自己嫌悪、孤独、言葉、俳句、写真、月、海王星 etc・・・

 ヒトの深部に眠る無意識の海にその島が手で触れられるように浮かび上がってくれればそれはどこでもよかったのだ。書き終えてのちも、その島の暗喩するものすべて見えてきたというわけでもない。ただその島はこの二十年の旅の中で次々と無残な喪失を眼前にさらしつづけていったことだけは、私はよく知っている。そして、その島(ヒト・感情・関係・場所・時間・生死・輪廻・沈黙・想像・そして僕)のおそらくエントロピーの最後的な熱死地帯としてのあの日本のニュータウン。

ディングルの入江のあとがきより引用


本物語は十章から構成されており、音、色、触覚、香り、味等研ぎ澄まされた五感を刺激する表現に満ちている。そしてブルースハープや島の暮らしを描かれた絵や写真、幼少の頃のフィルムを通して無意識の領域への扉が開けられ、人や絵や音がシンクロしていく。
本来は、人もすべてひとつであるという集合意識への扉の象徴として島があるのではと思った。

無意識は海王星、海王星がルーラーである魚座との関連性が強い。
無意識の世界が、何等か現実世界に投影されて存在を島として象徴させたのではないかと感じた。
無意識の恐さは、私も身近な存在を通して、また自分自身の依存性を通して感じている。

ちなみに藤原氏のネイタルのホロスコープを調べてみると
10室太陽魚座、MC魚座水星で、魚座的な要素を文章や写真で表現することで社会的名声を確立している。
9室水瓶座金星と12室双子座火星・土星(合)と3室獅子座木星が調停というアスペクトを形成。さらには獅子座冥王星を頂点として双子座天王星、天秤座海王星でミニトラインが形成され、トランスサタニアンからの導きが強く在る感じがした。
藤原氏は石牟礼道子さんや瀬戸内寂聴さんとも親しくされており、水瓶座9室金星、獅子座冥王星も効いている感じがした。12室双子座に天王星、火星、土星があり、本書のように伝えたいことを島という暗喩に隠されているということもとても象徴的である。
柳田邦男氏、星野道夫氏の本と出合う延長線で改めて藤原新也氏のこの本と出会い、再読して暗喩としての島に触れたのも不思議な流れである。

あとがきの最後にも、この無意識の世界に対しては人の肌の温もりによって蘇生されるべきと述べられて終わっている。
本書の最後にも掌で温めるブルースハープが登場する。
ブルースハープは無意識から流れてくるものに現実世界の生命を吹き込む象徴でもある。



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