1分でわかる中華歴代王朝の概要 新
新 1代 15年 8年-23年
首都 長安(常安) 創始者 王莽(諡号・廟号なし)
皇帝・王莽が前漢を簒奪して建国した。
古の周の制度を理想とし、土地の国有、商人の抑制など、急激な改革を断行。貨幣制度や地名、官爵などを大いに改めて、国家は大混乱に陥る。
また、中華思想に基づいて、匈奴を降奴、高句麗を下句麗などと見下し、
反発した彼らとの懲罰戦争へと発展した。(対外政策の失敗)
その中身の伴わない内政に豪族や農民から大反発を受ける。
ついに各地で反乱が起き、赤眉の乱が勃発。
しかし、討伐に向かう官軍もあえなく敗戦する。
さらに緑林軍の一派から流賊と豪族の連合軍が劉玄を更始帝として擁立。
更始帝配下の劉秀(のちの光武帝)率いる反乱軍が、100万と号する(実質は40万程度)官軍をわずか1万の軍勢で壊滅させる(昆陽の戦い)
主戦力を失った王莽は発狂寸前となり、成すすべもなく神頼みをするが、
23年、ついに更始帝軍が常安に到達。
その混乱の中で、王莽は地元の商人らによって殺害される。
八つ裂きにされた王莽の遺体は首を刎ねられ、その首級は更始帝の下に送られ、住民に舌を引き抜かれて食されたという。
新王朝はわずか一代で滅び、王莽は諡号、廟号すらない皇帝として後世の笑いものとなった。
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