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20. パラチの思い出

さて、翌日はボートに乗ってビーチ巡りです。パラチには漁民もいて、小さな港があります。岩と木で組まれた波止場が静かな波に洗われて、早朝の眠りを楽しんでいるかのようです。これから海へ出るわけですが、40フィートくらいの白い船が、陸路からは行けないビーチに連れていってもらいます。褐色の若者2人が案内してくれましたが、船員兼船長というところですか。残念ながら、やっぱり英語は喋りません。でもなかなかの好青年でしょ。

ボートの舵を取っていた青年。右側じゃないですよ、それは僕。

出帆までまだ時間はあったものの早々に乗っていたら、ブラジル人の5人家族が乗り込んできました。女系家族、というのでしょうか、男は父親だけ、母親から三女まで全員がビキニ姿です。長女の娘さんはリオの銀行員とか、少し英語を喋ります。その後、さらに夫婦1組が乗り込み、そろそろ船が出るかな、そういう時刻になって、リーとロベルトがやってきました。僕たちはことばに不自由していますのでね、それを心配したのか今日もいっしょに付き合ってくれるといいます。

この付近には65の島と約200のビーチがあるそうです。行き先はその日まかせ。だいたいは決まっているのでしょうが別に急ぐ必要もなし、太陽が頭上にある限りどこに行っても楽しめることは間違いありません。実際に、行ってみたらクラゲが多かったので急遽場所を変更したりしました。イパネマのようには広くこそなかったものの、1つのビーチを独占するのは、実に痛快です。
あるビーチに近づくと、大きな岩に「BAR」とペンキで大きく書いていました。船を着けると、藁葺きの小屋があって、一通りの飲み物が揃えてあります。早速、カイピリーニャ。それからテーブルについてゆっくりとビール、あるいは椰子の実のジュース。ここでものんびりしたものです。
船員兼船長の二人は、海で勝手に泳いでますが、自分たちが飽きたら「次に行きましょう」と言って出帆です。こういう調子で夕刻まで、この日に巡ったビーチは4、5か所だったでしょうか、何ものにも気兼ねすることのない海のツアーでした。

それからパラチ滞在の3日目は川泳ぎのツアーに行きました。この日もワゴンに乗って、例のガイド君の案内です。ポルトガル語で、通訳はまたしても、リー夫婦が来てくれました。
内陸にはジャングルが迫っています。その中に清流があり、そこで泳いで回るというツアー。泳いでばかりでしょ?そう、これがブラジルで自然を肌で感じる最高の方法です。
ただ、この日のハイライトは岩場でした。滝があって、岩で囲まれていましたが、この岩が5メートルもあろうかという高さで、そこから見おろすと怖いこと。ガイド君はさっそくその上から飛び込んで見せてくれました。途端に(あぁ、こりゃ僕にも声がかかる)という雰囲気を感じた僕は、自発的に(あくまでも自発的に)続いて飛び込んだものです。あー、怖かった。夢中でドッポーンと飛び込んで、水上に顔を出したら上のほうから拍手と歓声が聞こえましたね。エヘン。僕はもう、続いて日の丸が掲揚されるんじゃないかと思った、それくらい自分の勇気を称えたものでした。

この日は、サトウキビのプランテーションにも行きましたが、これが今回の一連のツアーでおそらく唯一の観光地と呼べるような場所でしょうか。お土産が並べられてあり、カシャーサ(焼酎)のボトルが並べられてあり、レストランがあり、昔の建物が記念物として保存されていました。それなりにその土地を学ぶ機会ではあったのですが、そういう出来合いの場所を巡って観光という、そんなパターンに僕たちは馴らされすぎていますね。

この日のツアーの最後、僕たち全員はパラチの湾に面した小高い丘に登りました。海の向こうまで見晴らしが利くので、安全確保の砦となっていた場所です。そこでガイド君は海を背景に立ち、僕たちを岩場に座らせて話を始めました。どうせわからないし、すぐに終わるだろうと思っていた彼の話は、しかし、長く続きました。少ししゃがれた声で淡々と、説明はいつまでもいつまでも続きました。僕はこの時になって初めて、このガイド君がパラチという自分の土地に、心底からの愛着を抱いていることに気づいたものです。自分の可能性を試すために都会を目指す、これも青春ならば、このように田舎にとどまる若者がいる。僕は彼に非常な好感を抱き、彼がいつまでもパラチのガイドとしての職にとどまってくれるように願いました。(それから、英語を勉強してくれると助かるな。)

もう1つ僕が忘れられないこと。
この丘の上で説明を聞いていた時、僕のすぐ近くに虻が止まったのです。それを傍に立っていたリーが恐れた。僕は虻を叩こうとして、手にしていたバッグを振り下ろした。同時に僕の動きに気づいたガイド君が「Nao (No)!」と叫んだのですが、もはや僕の手は止まらず、虻を殺してしまいました。虻一匹も殺してはいけない、と言ったガイド君に僕は「I'm sorry.」と言って深く後悔したものの、その時の彼の気持ちを思うと、いまだに自分を責めても責めきれません。
これもパラチの思い出の1つ、大事にしまっています。


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