27. リオとの別れ
最後に、リオの国際空港へ戻ってきました。もうお馴染みですね、アントニオ・カルロス・ジョビン空港。ターミナルから南の方へ目をやると、凹凸の激しい山並みが続き、中ほどの山頂に小さくキリストの像が立ち、それに向かい合って屹立しているのがシュガーローフでした。
そのふもとに広がる人口1千万人の街を、いよいよ後にします。たくさんの思い出を残して。
最後に、アントニオ・カルロス・ジョビンに、もう一度登場していただきます。1987年ロスアンジェルスでの公演です。ジョビンはヤマハ・ピアノに向かい、息子がギターを抱えています。ベース、チェロ、フルートがその2人を囲み、さらにステージの右側にコーラスの女性が5人並んでいる。曲目は当然ボサノバの名曲ばかり。その音楽については、もうここでは触れません。機会があったら、ご自分で耳を傾けてみてください。
ここで僕は2つのことに注目しました。
演奏者たちのほとんどは、実はジョビン・ファミリーです。甥や姪をかき集めてグループを作り上げたわけですが、その演奏は一流とは言いがたい、かな。ボサノバの美しいメロディ、巧妙な和音を生かすには少し技量が不足している、これが正直な感想なのです。
ところが、当のジョビンはそれを全く意に介していないように、楽しそうにピアノを弾き、歌い、指揮をとるのです。
僕はその様子を見ながら、音楽そのものよりも、音楽に酔う演奏者たちの世界を楽しみました。少々コーラスが貧弱でも構いはしない、ジョビンは聴衆に対して、音楽そのものよりも、むしろ音楽を通して仲間との交流を楽しむ「現在」という時間を与えてくれているのではないか、そう思えてきました。
「大自然に耳を傾けてみるといい、サンバのリズムが聴こえるだろう。鳥の声、風の音、繰り返す波、それがサンバのリズムだ」と、かつてジョビンは言いました。サンバのリズムを感じるのは、現在を生きているからです。思い出しましょう、晩年のジョビンは「私が演奏してきたのはボサノバではない、サンバだ」と言っていたのでした。
もう1つ注目したのは、5人のコーラス女性です。普通ならばステージ衣装で着飾るものですが、この女性たちは全く思いおもいの化粧、各自それぞれの髪型、そして統一のない服装、まるでイパネマの通りを歩く女性を勝手に引っ張ってきた、そんな印象すら受けてしまうのです。
そのコーラスはと言えば、5人がほぼ最初から最後までユニゾン(和音コーラスでなく、全員が同じ旋律を歌うこと)で歌い通すのですから、これは型破り。型破りというよりは、はっきり言っていかにも素人コーラスで、最初は口をアングリしたものです。が、社会に反抗しながら自分の音楽を作り上げてきたジョビンのことです、ここにも意図があるに違いない。僕はそう思う。
たとえばジョビンはコーラス女性に対して一言、「自分自身でありなさい」という指示を出したのではないかと想像します。その結果、自由気ままな女性が5人並びました。白い肌から茶色の肌、浅い黒、また黒い目から青い目、黒い髪もいればブロンドもいるという具合です。
考えてみると、今までブラジルを歩き回ってきて気付いたことがここにあります。ブラジルでは様々な人種が交わりながら発展してきました。そして現在、混血が混血を重ね、人種の坩堝と言われています。
ステージに並ぶ5人の女性は、統一が取れていないように見えながら、しかし全員が同じ旋律を歌っている。多様の中の統一、これがブラジルです。そこにジョビンの隠された意図を見るのは、穿ち過ぎた考えかもしれません。ただ、過去に3度ブラジルの中を彷徨した経験から、僕はこう考えてみて納得できるものがありました。
リオデジャネイロの街は、去っていく旅行者の感傷などには目もくれず、今日も熱く、大らかです。いよいよブラジルに別れを告げます。エキゾチックな、大インフレに国民が喘いでいた、しかしサッカーに熱狂し、サンバに踊り狂い、一方ではボサノバという洗練された感性を併せもつ、僕たちがあまりに知ることの少なかった異国、それがブラジルでした。そんな国の中を少しばかり覗くことができたように思います。
思い出しますね、リオデジャネイロからサンフランシスコ空港に戻った日、たまたまシャトルに乗り合わせたアメリカ人が言った言葉、
「ブラジルは、子どもたちのスリに注意って言われるけど?」
こういう舞台からこの旅行記を書き始めました。こういう人たちに向かって、僕は何から説明すればいいのでしょう?本当は、このような偏見に満ちた人に対してこそブラジルを歩き回った経験をたくさん語るべきなのだろうと思います。少しばかり想像力をたくましくして話を聞いてくれさえすれば、自足した人々が朗らかに、自然と溶け合って生きている情景が見えてくるに違いありません。そういうところに興味が向いていくのが、相手を正しく理解する道だろうと思うのです。
最後になりました。流れてくるメロディは、『ジェット機のサンバ』です。ジョビン・ファミリーが歌います。ゆっくりと降りてくる飛行機を歌った曲ですが、今日は大空に向かいながら聴くことになります。
リオデジャネイロ、またいつか戻ってきたい街です、その時も、たくさんの話を語りかけてくれるでしょう。それまではこれらの思い出に繰り返し耳を傾けていたいと思います。長いことこの旅の話を読んでいただき、ありがとうございました。
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