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わが家のタンタン教(デーリー東北「私見創見(2020年7月14日)」より)

(この記事は、2020年7月14日のデーリー東北「私見創見」に掲載いただいた「アマビエに祈りを込めて(わが家のタンタン教)」を若干手直ししたものです。)

 最近、新型コロナウイルスの感染拡大防止を呼び掛ける「アマビエ」のイラストを目にした方も多いだろう。

 江戸時代に海から突然現れ、疫病の予防を説いたとされる妖怪だ。
 この話を聞いて、なんとなく実家の「タンタン」という置物のことを思い出した。

 リビングの食器棚の上、立った時の胸くらいの高さに、30センチほどのしかめ面の老人の座像が置いてある。
 我が実家では、これを「タンタン」と呼び、毎朝拝むのである。

 この置物が、いつ、どういう経緯で神田家に来たのか、今や誰も知らない。
 父や叔母たちの証言をつなぎ合わせると、少なくとも50年以上前に私の祖父の神田宏が知人から譲り受けたものらしいということになるが、祖父はもう30年も前に他界しており、誰からどういう経緯でもらってきたのか確かめようがない。
 置物は、信楽焼のタヌキのような質感で、達磨大師のような老人が左手に巻物らしきものを握り、台座にあぐらをかいている。この顔になんとなく曽祖父の神田重雄(第2代八戸市長)に似た雰囲気があり、それでもらい受けてきたのではないか、という説が有力ではある。
 「タンタン」という名前は、どうやら祖母の裕子(現在も99歳で存命中)が「手をタンタンとたたいて拝みなさい」と孫の私たちを指導している中で、いつの間にか「タンタン」という名前になったようだ。

 わが家では朝食の前に、「顔を洗った?」ではなく「タンタンを拝んだ?」と聞かれた。
 そうして物心ついた頃から毎朝タンタンを拝み、学校の通信簿をもらってくればタンタンに報告し、陸上競技の大会前には特に念入りにタンタンに願掛けをし、大学受験の合格証もタンタンに備えた。
 わが家には神棚も仏壇もなかったので、その代わりのような役割だったのかもしれない。
 もっとも、平成元年に祖父が他界した時に初めて神棚を作って祖父の写真を飾ってみたところ、おかしなことになった。

 朝起きて食器棚の上のタンタンを拝んだ後、テレビを挟んで反対側に新たに作った神棚も拝む。
 つまり、拝む対象が二つになったのだ。
 これは後に、私の妻を大いに混乱させることになった。
 八戸の実家に着くと「タンタンと神棚を拝んで」と言われ、「タンタンって何?」と聞いても前述のような要領を得ない説明を聞くことになり、よく分からないまま両方を拝まされるのである。

 タンタンの背後には長さ50センチほどの錫杖(しゃくじょう)が備え付けられていて、子供の頃は「言うことを聞かないと錫杖でお尻をたたくよ」と言われてしつけられた。
 実際に何度かたたかれた記憶もある。
 怖い顔でにらみを利かせているタンタンと、その後ろに備えている錫杖は、わんぱく盛りだった小学校低学年の私には大いなる畏怖の対象だった。
 いつの頃からか、「タンタンにうそは通用しない」「タンタンがみているから行動を正さなければ」と思うようになった。
 そして中学生くらいになると、「精一杯頑張っていればタンタンが見守ってくれる」という安心感が出てきたように思う。
 あんなに怖いと思っていた顔が、時々笑っていると感じられるようになったのも中学生くらいからだろうか。

 そんなタンタンにも大きな危機があった。
 東日本大震災の時に食器棚から落ち、背中が粉々に割れたのである。
 それでも不思議なことに顔や体の前面には傷一つつかなかった。
 割れたかけらを祖母が一つずつ拾い集め、接着剤でくっつけて、何事もなかったように元の台座に収まった。
 この時は、わが家の災厄を一手に引き受けてくれたのかもしれない、と感じたものだ。

 人生にはうまくいかないことも多い。
 時には理不尽だと思うこともある。
 残念ながら、努力も必ず報われるわけではない。
 それでも人智を超越した存在が常に目の前に(心の中に)あれば、「真面目に頑張っていればいいこともある」と思える。
 そう思わせてくれるのが、わが家ではタンタンなのかもしれない。

 「イワシの頭も信心から」。
 アマビエの霊験を信じて、いつもより少しだけ気をつけて生活をしていれば、この災厄もいつの間にか過ぎてくれる。
 そう思うとちょっと気持ちが軽くなるような気がする。

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