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社会福祉士・精神保健福祉士国家試験 権利擁護と成年後見制度(社会福祉士第31回 問題77)生存権

問題

問題 77 生存権に係るこれまでの最高裁判例の主旨に関する次の記述のうち,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 厚生労働大臣の裁量権の範囲を超えて設定された生活保護基準は,司法審査の対象となる。
2 公的年金給付の併給調整規定の創設に対して,立法府の裁量は認められない。
3 恒常的に生活が困窮している状態にある者を国民健康保険料減免の対象としない条例は,違憲である。
4 生活保護費の不服を争う訴訟係争中に,被保護者本人が死亡した場合は,相続人が訴訟を承継できる。
5 生活保護受給中に形成した預貯金は,原資や目的,金額にかかわらず収入認定しなければならない。
(注) 判決当時は厚生大臣であったものも厚生労働大臣と表記している。

分析

社会福祉士、精神保健福祉士にとって、憲法の条文で一番覚えなければならない条文は何かといえば、憲法25条1項だろう。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」割と有名な条文であるともいえるが、この規定の解釈をめぐってはいくつもの裁判が提起され、重要な判例も示されてきた。

ひとつは朝日訴訟である(最判昭和42年5月24日)。生活保護法においては、当時の厚生大臣が定めた生活保護基準が、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」基準を満たしていないのではないかと争いになったものである。

実は、この事件は、最高裁の判決が出るまえに原告の朝日さんが亡くなってしまった。そのため、最高裁は、生活保護の受給権が、法の目的からして一身専属の権利であり相続されることはないとして、主文にて訴訟の終了を宣言するという珍しい終わり方をしている(肢4)。

そのうえで、最高裁は、「なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。」として、本来書く必要のなかったであろう内容論に踏み込んだ。

最高裁は、憲法25条について、「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言した」もので、直接個々の国民に対して具体的権利を与えたものではないとした。つまり、憲法25条そのものから生活保護の基準が決まったりするものではない、という考えである(たしかに、健康で文化的な生活が、いくらの保護費があればよいのか、ということはただちに算定しがたい)。結局のところ、権利として具体化するのは、生活保護法の規定によるものであるとした。

そして、生活保護法8条による厚生大臣の保護基準につき、何が健康で文化的か、というのは相対的なものであって厚生大臣の専門技術的裁量に委されているとした。もっとも、「ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」と、裁判所の審査の範囲外ではないということを示した。

次に著名な生存権の裁判例として堀木訴訟がある。国民年金法に基づく障害福祉年金と児童扶養手当の併給を禁止する児童扶養手当法の違憲性が争われた事件である。

最高裁は、「「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念」であり、具体的内容は、文化、経済、その他国民生活の状況等との相関関係において判断すべきであること、国の財政事情を無視できないこと、高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とすることから、「憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と朝日訴訟と同様の判示を示した(最判昭和57年7月7日)。

判例においては、憲法25条の規定にはそこからなんらかの違反を直接いえるような具体的権利が導かれるわけではないが、法律、保護基準の設定において、行政の裁量判断が逸脱・濫用にあたる場合があるという意味で憲法25条の意義があるとする抽象的権利説に立っているとの考えが趨勢である(肢1、肢2)

なお、この堀木訴訟でなぜ児童扶養手当法が併給禁止とされることに合理性があると最高裁が言ったかは、児童手当法と児童扶養手当法のそれぞれの性格を比較の勉強にもなるかもしれない。

生活保護法の支給内容についての最高裁判例もある。いわゆる学資保険訴訟というものである。生活保護を受けながら積み立てた学資保険の満期保険金の一部を福岡市の福祉事務所から収入として認定され、金銭給付を減額する内容の保護変更決定処分につき、取消訴訟が提起されたものである。

最高裁は、「生活保護法による保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件とし、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行われるものであり、最低限度の生活の需要を満たすのに十分であって、かつ、これを超えないものでなければならない(同法4条1項、8条)」と補足性の原則からして、保護金品を貯蓄することは法の本来予定するところではないとした。一方で、これらの保護金品を要保護者の需要に完全に合致させることは、事柄の性質上困難であり、同法は、世帯主等に当該世帯の家計の合理的な運営をゆだねているとも解した。そうすると、「支出の節約の努力(同法60条参照)等によって貯蓄等に回すことの可能な金員が生ずることも考えられないではなく、同法も、保護金品等を一定の期間内に使い切ることまでは要求していない」とし、使い切らなければ保護すべきでないというものではないとした。
 そして、「このように考えると、生活保護法の趣旨目的にかなった目的と態様で保護金品等を原資としてされた貯蓄等は、収入認定の対象とすべき資産には当たらないというべきである。」と判示したのである。

 そして、生活保護法上、高校の費用は保護対象外とされているが、ほとんどの者が高校に行くことからして、その高校進学のための費用を蓄えることは生活保護法の趣旨目的に反するものではない、として、本件減額処分を取り消す原審判決を維持した(肢5)。
 

 生活保護法関連ということで、生活保護を受けてはいないが、恒常的に生活が困窮している状態にある者について、国民健康保険料の減免が受けられないとした旭川国民健康保険料条例の憲法25条違反が問われた事件がある。最高裁は、「本件条例19条1項が、当該年において生じた事情の変更に伴い一時的に保険料負担能力の全部又は一部を喪失した者に対して保険料を減免するにとどめ、恒常的に生活が困窮している状態にある者を保険料の減免の対象としないことが、法77条の委任の範囲を超えるものということはできない。そして、上記の本件条例19条1項の定めは、著しく合理性を欠くということはできないし、経済的弱者について合理的な理由のない差別をしたものということもできない。」として憲法25条には違反しないとした(最判平成18年3月1日)。(肢3)

よって、正当は肢1

評価

頻出ともいえないかもしれないが、生活保護制度は別科目でがっつり出題されるところなので、朝日訴訟と堀木訴訟の導いた抽象的権利説と言われている判旨に関しては押さえておきたいところ。これがわかっていれば1をそのまま選ぶということになるのではないか。

3,4,5はマイナー判例なのでもちろん覚える必要はないが、ともかくも、生存権の裁判はほとんど要保護者側が勝てないイバラの道であることは知っておいてよいかもしれない。今日でも生活保護基準引き下げの違憲訴訟は提起されているが、棄却判決が続いている。もっとも基本的な人権であることは昨今の状況から見ても言うまでもないのだが…。その意味で、3のような違憲判決はきいたことがないな、ということで切り、4,5は、常識的にはちょっとおかしいよな、ということで悩まなければそのまま1を選べるのではないかと思われる。

※この記事は、弁護士の筆者が、社会福祉士、精神保健福祉士の国家試験問題を趣味的かつおおざっぱに分析しているものです。正確な解説については公刊されている書籍を確認したり、各種学校の先生方にご質問ください。  

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