坂本さんありがとうございました。
scholaをつくっているとき、
僕の編集に坂本さんがすごく怒ったことがある。僕の編集は差別的だというのだ。日本各地の民族音楽ピックアップし順番に流すような内容。なぜ沖縄が最後なのかと。
僕は坂本さんの話の撮れ方の分量なども含めて総合的に判断したつもりだった。だが、坂本さんは烈火の如く叱ってきた。僕も反論した。そんなつもりはないと。しかし、その時一晩経ち、そんなつもりはないの中にどこか沖縄を辺境とみなしている自分に気が付かされた。知らず知らずの差別心というのは、こういうところに存在するのかと教わった。
こういうことを言うと、テレビを作る人間としてどうかと思うが、坂本さんの演奏するピアノの音はとてもメディアには乗せきれない。
なんと言うかどんなに小さな音も質量を持っていて遠くまでゆっくり飛んでいく感じ。肌がまだ覚えている。
もう10年ほど前になるが、スコラのとき、戦場のメリークリスマスを撮影させていただいたとき、僕は若手ながらずいぶん挑戦的な撮影をさせてもらった。カメラがないように静かすぎる映像を。しかし、止まってはいけない、視聴者にカメラがあることに気が付かれてしまう。というもの。僕は現場にとてつもない緊張感を作った。坂本さんはそれを上回る恐ろしさで大きなスタジオの中カメラの構えるステージにゆき、1人ピアノを弾いた。あの背中、あの指先、音楽が生まれる美しい瞬間だった。
電子音楽編で、坂本さん自身の特集を行ったことがある。あのとき、坂本さんが僕に対して、「僕自身のインタビュー、やる?」と、恥ずかしそうにおっしゃった。
その時僕は周りのプロデューサーと目を合わせ、なんとなく「スタジオにも坂本さんがいらっしゃいますので、そこでお話を伺えればと」と、言った。その後、少し寂しそうな顔をされたように思う。思えばあれは、君となら、サシでやってもいいと、伝えてくれていたように思う。しかし現場の同調圧力に負けた。その時以来、相手から与えられたチャンスは照れずに掴むことに決めている。
なのに僕は、坂本さんに手紙が送れなかった。年末のライブを見て、そして、新しいアルバムを聴いて、手紙を書いていたが本当に送って良いのか、どんな状態なんだろうと察するうちに、送ることができなかった。全く何も学べていない。
坂本さんは僕の人生の師匠です。
ありがとうございました。
最後にたまたまNHKでお会いしたときの握手、ビッグスマイル、忘れません。
石原淳平
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