1万8千字無料公開!!『刀使ノ巫女 琉球剣風録』試し読み
アニメ『刀使ノ巫女』のノベライズが7月19日に発売となります。
こちらに先駆けて、冒頭18000字を試し読みを公開いたします。
アニメ本編の1年前の物語をお楽しみください。
あらすじ
2017年8月某日。平城学館中等部三年・朝比奈北斗(あさひなほくと)と鎌府女学院中等部一年・伊南栖羽(いなみすう)は那覇空港に降り立った。
刀剣類管理局が米軍と共同開発していた『S装備[ストームアーマー]』の運用試験に、テスト装着者として参加するためだった。
同日。もう一人の刀使が沖縄に到着した。綾小路武芸学舎の初等部六年・燕結芽。彼女たちは互いのことを知らなかったし、関わりの無いもの同士だった。いまはまだ。
この物語は、彼女たちの秘匿された闘争の記録。S装備を巡る策謀の中、北斗、栖羽、結芽、さらに親衛隊や舞草の剣先が交差する。
プロローグ
日本に存在する霊験あらたかな刀――『御刀[おかたな]』の所持を国から公認された神薙ぎの巫女。
古来、人に仇なす異形の存在『荒魂[あらだま]』の討伐を使命とする彼女たちを、
人々は『刀使[とじ]』と呼ぶ。
気づけば、渇望があった。
強くなりたい――彼女はひたすらそう願っていた。
生きていくために強さは必要だが、過ぎれば生物として歪となる。通常の生物は脅威への対応策として、強くなって立ち向かうことよりも、上手に逃げることを選択する。だから、強さを過剰に求めることは、本来は歪なのだ。
しかしその歪さこそが、ある意味で人間の証明なのだと彼女は思う。それほど過剰に強さを求める生物は、おそらく人間だけなのだから。格闘術や剣術などという特異な技術を生み出してまで強くなろうとするのは、人間だけなのだから。
そして彼女――朝比奈北斗[あさひなほくと]も、常に強さを求め続ける。
二〇一六年五月。
北斗は大きく深呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。
場所は奈良県にある刀使育成校、平城学館の武道場内。周囲には見学に来た生徒たちの姿がある。今、北斗が臨んでいる一戦は、御前試合予選の中でも注目の試合の一つだった。
御前試合とは、全国の刀使が集まり、その剣技を競う一年に一度の大イベント。現在はその予選として、校内代表の刀使を決める試合が行われている。
朝比奈北斗の目の前に立っているのは、ショートカットの髪と中性的な顔立ちが特徴の女子生徒。胸の膨らみがなければ、稀に見る美少年と勘違いする者もいるかもしれない。
審判の教師が声をあげた。
「中等部二年、無外流、朝比奈北斗」
「はいっ!」
北斗は返事をして、御刀《鬼神丸国重》を持って前に出る。
「高等部一年、神道無念流、獅童真希」
「はい」
中性的な女子生徒――獅童真希も、御刀《薄緑》を持って前に出た。彼女は前年度の御前試合本戦の覇者である。
御前試合の予選では木刀などを使うことが多いのだが、今回は選手双方の希望により、真剣を使っての試合となった。
「双方、構え! 写シ!」
審判の声に従い、北斗と真希は『写シ』を使う。写シとは、彼女たち刀使の持つ特殊技術の一つ。肉体を一時的に霊体に近い状態へ変化させる能力だ。この状態で致命傷を負っても、写シを解除すれば負傷はなかったことになる。
共に写シを張った真希と北斗は、刀を構えた。
「始め!」
審判の声と同時に、北斗が動く。
相手は前年度の御前試合優勝者だが、北斗は勝利する自信はあった。彼女はまだ中等部在籍ながら、平城学館内でも屈指の実力者であり、ここ半年ほどは一度も立ち合いで負けたことがなかったからだ。
その強さの理由は、他の者を圧倒的に凌駕する鍛錬量。北斗は剣術を習い始めた時から、生真面目に剣術の練習に打ち込む少女だった。そして平城学館に入学し、ある時を境に強さへの激しい執着が始まった。夥しいまでの訓練を自分に課し、時間さえあれば木刀か御刀を振っていた。彼女と並んで同じだけの訓練をこなすことができる者は、ほとんどいなかった。
才能でいえば、朝比奈北斗という少女は、決して抜きん出てはいない。剣術のセンスも、運動能力も、敵の技も見抜く洞察力も、平凡なものでしかない。
だが、絶えず繰り返した剣術の型稽古が、センスの平凡さを埋めた。
体が壊れるほど積んだ体力トレーニングが、平凡な運動能力をアスリート並みのそれに変えた。
浴びるほど他の剣士の技を見学し、倦まず重ねたイメージトレーニングが、平凡な洞察力を高く高く底上げした。
周囲から見れば滑稽に見えるほど過剰な努力が、凡庸な少女を並ぶ者なき剣士に変えたのだ。
年齢では中等部だが、積んできた鍛錬量は高等部の刀使に負けない。否、大人にも負けない。
だから、北斗は勝てる自信があった。
しかし――負けた。
北斗の繰り出す斬撃は、すべて造作もなく受け流された。技術、速度、膂力、すべての点において獅童真希は、北斗より一回りも二回りも上だったのだ。
真希の斬撃が事もなげに北斗の体に叩き込まれ、北斗は写シを剥がされて床に膝をついた。写シ状態では致命傷を受けても死なないが、肉体を斬られる苦痛と精神的な負担はある。
試合中、勝てる可能性さえまったく見えなかった。絶望的なまでの実力差。彼我の隔たりの大きさに、北斗は目の前が暗くなる。
北斗は怒りと悔しさに体を震わせながら、真希を見上げた。彼女は息一つ切らしていない、涼しい顔をしていた。
「獅童真希、私は必ずあなたを倒すわ。一年以内にあなたを超えてやる」
「いい目だね。勝負はいつでも受けて立つよ」
真希はそう答えた。
だが、北斗の言葉が実現することはなかった。
その後も彼女は幾度か真希と立ち合ったが、一度も勝てないまま――そして宣言にあった一年という区切りを迎える前に、真希は平城学館を去った。御前試合本戦で連覇優勝を果たした真希は、全国の刀使を束ねる折神家当主、その親衛隊に抜擢され、特別刀剣類管理局の本部勤務になったからだ。
それからしばらく時が流れ、二〇一七年八月、北斗は沖縄の地を踏んだ。
那覇空港で飛行機を出た瞬間から熱気に包まれる。
制服姿に旅行用バッグを肩に掛けた北斗の姿は、修学旅行で沖縄を訪れた学生を思わせる。しかし、ただの学生と異質な点は、彼女の腰に帯びた刀である。コスプレ用の模造刀ではなく、紛れもない真剣だ。
その刀は『御刀』という神器であり、朝比奈北斗たち『刀使』と呼ばれる女性だけが扱うことができる。
刀使とは、法律上の正式名称は特別祭祀機動隊という。日本各地に出現する荒魂という化け物の討伐を任務とする国家公務員である。刀使が振るう御刀は、荒魂に対して特別に高い攻撃力を持つ。ゆえに古来、刀使は荒魂に対抗することができる唯一の存在だ。
今回、北斗が沖縄を訪れたのは、刀使としての任務の一環だった。
「さて……ここに迎えが来てくれるはずだけど……」
北斗は空港の到着ロビーに出ると、周囲を見回した。
すると――
「はぁぁ~……あなたたちは幸せだねえ。怖い敵と戦う心配もなくて、エサも不自由なくたっぷりもらえて……うらやましいなあ~。ほんっと、うらやましいなあ」
ロビーに置かれている観賞用熱帯魚の水槽に向かって話しかけている少女がいた。年齢は中学三年生である北斗より幼いように見える。十二、三歳くらいだろうか。彼女の足元には大きめの旅行用バッグが置かれているから、本州から沖縄へ旅行に来たのかもしれない。
「私と代わってほしいなああ~……私も安全なところで、ずーっと暮らしてたいよぉー……というか私、これからどうすればいいんだろうねえ……」
水槽に語りかける姿に周りの人々は引いているのか、誰もが露骨に目をそらしている。
北斗も見て見ぬふりをしようとした。
しかし、少女の腰に帯びているものを見た瞬間、そうするわけにはいかなくなった。彼女の腰にあるのは、刀使の証しである御刀だ。よく見てみれば彼女が着ている制服は、刀使育成校の一つ、鎌府女学院の制服である。
(そういえば、私の他にも『テスト装着者』として呼ばれた刀使がもう一人いると聞いていたわね……)
あの少女がそうなのかもしれない。
北斗は小さくため息をついて、水槽の少女に近づいた。
「あなた、普天間の研究施設に呼ばれた刀使かしら」
「……え? あ!? すすすすみません! 別に魚を取って食べようとか、そういうつもりじゃないです、逮捕しないでください、すみません!」
少女は土下座しそうな勢いで、ペコペコと頭を下げる。
「逮捕なんてしないわよ。これ」
北斗は自分の御刀に触れる。それを見ると少女は、北斗が自分と同類だと察したようだった。
「お姉さんもテスト装着者として呼ばれた刀使ですか!?」
「そうよ。あなたも――」
「よかったですうううううう!!」
北斗の言葉を遮り、少女は唐突に抱きついてきた。
「な、何!?」
唐突に抱きつかれ、北斗は困惑する。
少女は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして――あまつさえ、そのぐちゃぐちゃの顔を北斗の服に擦り付ける。
「私……! 私、迎えに来てくれる人の名前も顔もわからなくて~~~!」
「いいから、離れなさい!」
「このまま誰にも見つけられずに、ここで野垂れ死んだらどうしようって~~! 財布のお金も五百円しかないし~~!」
北斗は少女を引き離そうとするが、腰にしがみついたまま離れようとしない。ロビーにいる人たちからの視線が痛い。
やっと少女が落ち着いた後、北斗は事情を聞いた。
彼女の名前は伊南栖羽[いなみすう]。北斗と同じく普天間研究施設に呼ばれたが、迎えに来てくれる人の顔も名前もわからず、途方に暮れていたらしい。このまま空港で彷徨って野垂れ死んだらどうしよう、などと不安に思っていたそうだ。
「迎えに来てくれる人は、金髪のアメリカ人だって聞いてましたから……そんな人、探せばすぐに見つかるだろうと思ってたんですけど……」
到着ロビーには観光客なのか米軍基地関係者なのか、日本人ではない人々の姿も珍しくない。金髪の女性も、軽く見回すだけで三人ほど見つけられた。
「でも北斗さんに会えてよかったです! これで野垂れ死なずに済みます! 迎えの人の顔とかわかりますか!?」
いきなり下の名前で呼んでくる上に、会ったばかりの人間に完全に頼りきるという距離感に、北斗は少し面食らう。
「ええ。相手の写真とプロフィールのデータは持っているから」
「やったぁ! 頼りになります!」
北斗は呆れつつ、迎えに来てくれる人物の写真とプロフィールをスマホに表示させようとした瞬間。
北斗の背中に硬い棒状のものが突きつけられた。
銃口だ、と北斗は察する。
「そのまま動かないでー、こっちを向いてねぇ」
気怠げな女性の声。
「……」
北斗は振り向く――が、その動作は拳銃の持ち主が予想したものとは大きく違っていた。北斗は振り向きながら拳銃の銃口から身をかわしつつ、同時に凄まじい速さで御刀を抜く。瞬きする間さえなく、拳銃は御刀に打たれて弾き落とされていた。
北斗の動きに反応することさえできず、呆然とする拳銃の持ち主。三十歳前後と思われる、金髪碧眼の女性だった。
栖羽は状況を理解できず、頭の上に大量の疑問符を浮かべている。ロビーにいる観光客や空港職員たちも、何事かと北斗たちに注目していた。
金髪の女は相変わらず気怠げな口調で言う、
「予想以上の実力だわぁ。五條いろはは、充分な実力者を用意したみたいねぇ」
「リディア・ニューフィールドさんですね?」
「そうよぉ」
彼女が普天間研究施設からの迎えの者だ。
「ずいぶんな挨拶ですね」
北斗は御刀を鞘に収める。
リディアが床に落ちた拳銃を拾い、トリガーを引くと、銃口から小さな火が出た。
「単なるライターよぉ。北斗ちゃんも、わかってたでしょう?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、リディアは言う。
北斗も本物ではないとわかっていた。背中に当たった銃口の感触が軽すぎたからだ。
「でも本当に銃だったらぁ、もっと離れた場所から声もかけずに撃っちゃうけどねぇ。御刀じゃ遠距離からの狙撃には、対応できないもの。バァンって」
リディアはからかうようにウィンクする。
「……そうですね。ですが、こんな人の多い場所では、障害物が多すぎて、近づかないと撃てないと思いますが」
北斗は素っ気なく答えると、リディアは肩をすくめた。
「ごもっとも」
「わあああ! 青い海! 南国って感じがしますよね、北斗さん!!」
リディアが運転する車の窓から顔を出して、栖羽ははしゃぐ。
ちょうど車は那覇空港から普天間研究施設へ向かう途中の、海沿いの橋の上を走っているところだ。研究施設は、沖縄県宜野湾市の普天間基地内にある。
「危ないわよ、顔を出すのはやめなさい」
「はーい」
北斗が言うと栖羽は素直に首を引っ込めるが、彼女の行動は手のかかる子供そのものだ。
リディアは片手でハンドルを握りながら、もう片方の手には北斗と栖羽のプロフィールが書かれた紙を持っている。
「朝比奈北斗、平城学館中等部三年、無外流、御刀は《鬼神丸国重》。伊南栖羽、鎌府女学院中等部一年、雲弘流、御刀は《延寿国村》。身長、体重、スリーサイズは省略。二人とも、間違ってなぁい?」
日本には五つの刀使育成校が存在する。美濃関学院、平城学館、長船女学園、鎌府女学院、綾小路武芸学舎――これらは伍箇伝と呼ばれる。北斗は奈良にある平城学館の生徒であり、栖羽は鎌倉にある鎌府女学院の生徒だ。
「はい。間違いありません」
「えっと……間違ってないです……」
北斗の迷いない答えに対し、栖羽の返事は自信なさげだった。
「二人とも、今回の任務の内容は把握してるぅ?」
「かねてより刀剣類管理局が米軍と共同開発していた『S装備[ストームアーマー]』……その運用試験を行うと聞いています。私たちはそのテスト装着者として参加する、と」
「そうよ、実戦投入前の最終段階テストねぇ。S装備のことはどこまで知ってるぅ?」
リディアが車のハンドルを操りながら、後部座席の二人に尋ねる。
「詳細は現地で説明を受けるように言われましたが、刀使を強化するために開発された装備だと聞いています」
北斗はそう聞いていたため、今回のテスト装着者の任務に乗り気だ。テスト装着者としてS装備に触れておけば、実用化した時に優先的に使わせてもらえるかもしれない。
S装備によってより強くなれるならば、利用しない手はない。
「そうねぇ」少し思案しながらリディアは言う。「本来の設計思想としては、刀使を強化するためというより、一般人を刀使並みに強くするための装備ね。少女だけを戦わせるのではなく、人間が誰でも荒魂と戦えるようにするための道具」
刀使は現状、荒魂に対抗できる唯一の存在だが、刀使としての能力を有しているのは女性のみ。しかも刀使は、年齢が上がると共に能力を失っていく者もいるため、多くは未成年の少女たちだ。彼女たちは常人をはるかに凌駕する力を持つとはいえ、年端も行かない少女たちに危険な荒魂討伐任務を行わせている現状には、根強い反対の声がある。事実、任務の中で重傷を負ったり、命を落とす刀使もかつては多くいた。
だが、現実問題として、荒魂を倒せる力を持つのは刀使だけだ。そして荒魂という化け物は、誰かが討伐しなければ、多くの一般人が危険に晒される。一九九八年、大荒魂による相模湾岸大災厄では、千六百人を超える死者、二万人を超える負傷者が出た。
そこで考案されたのが『S装備[ストームアーマー]』である。
「簡単に言えばぁ、御刀の材料である『珠鋼』を組み込んだパワードスーツよ。そのスーツを装着すれば、一般人でも刀使みたいな力を使えるようになるってわけ。理論上はね。刀使の力を外付けしちゃおうってことねぇ」
「なるほど……」
だが、理論や設計思想など、北斗にとってはどうでもいい。重要なことは、強くなれるかどうかだけだ。
一般人でも刀使並みの戦闘能力になるのならば、刀使が使えばさらに強力な力を得られるだろう。
「あの……」おずおずと栖羽が手を上げた。「どうして私なんかがS装備のテスト装着者に選ばれたんでしょう?」
「う~ん」リディアは北斗と栖羽のプロフィールを見て、「比較対象かしら」
同日、北斗と栖羽の他にも沖縄の地を踏んだ刀使たちがいた。
全国の刀使を束ねる特別刀剣類管理局の頂点たる折神家当主、折神紫。
折神紫の側近である親衛隊の第一席、獅童真希。
同じく親衛隊第二席、此花寿々花。
親衛隊は全員で三人であるが、第三席の刀使は有事のために折神家の拠点である鎌倉に残っている。
紫たちは那覇空港ではなく、研究施設がある普天間基地に、専用機で直接降り立った。訪れた目的はS装備の運用試験を視察するためだ。
「獅童、此花。お前たちが注意すべきは米国側の動きだ。S装備は日本が続けてきた隠世と刀使に関する研究技術の結晶。奴らはその成果を欲しがっている。強硬手段に出る可能性もあるだろう」
「お任せくださいませ、紫様」と此花寿々花。
「そのような事態は、ボクが必ず防いでみせます」と獅童真希。
忠実な親衛隊二人は責任感に満ちた口調で答える。しかし真希が『我々が防ぐ』ではなく、『ボクが防ぐ』と告げたことに、二人の関係性が滲み出ていた。
親衛隊という組織は出来て間もない。そのため彼女たちにはまだ仲間という意識が薄い。ましてこの二人には、かつて御前試合で覇を競った因縁があった。
そしてもう一人――
沖縄に到着した刀使がいた。
「あー、もう飛行機でジッとしてるのって、ちょー疲れる! やっと着いたぁ!」
那覇空港の飛行機から降りた少女は、体格も大人と呼ぶには程遠く、顔つきも幼い。彼女はまだ十二歳。小学六年生だ。しかし、腰に帯びた御刀《ニッカリ青江》が、その少女が刀使であることを証明している。
「紫様、いい子にして命令を聞いたら、いつか強い刀使と戦わせてくれるって言ってたけど……今すぐ戦いたいのにー!」
少女の名前は燕結芽。
神童と呼ばれた刀使である。
■第一章
朝比奈北斗と伊南栖羽が沖縄に到着した日の夜、研究施設で事件が起こった。
巡回中の刀使の一人が、S装備が保管されているドッグで、侵入者を見つけたのだ。
その刀使は侵入者を問い詰めた。ところが次の瞬間、ネットランチャーを背後から浴びせられた。侵入者は一人ではなく、複数人いたのだ。十数人の男たちが一人の刀使を取り囲んだ。
刀使の少女は網に絡まって動きを制限されたが、迅移――刀使の特殊能力の一つで、常人の何倍もの速さでの運動を可能とする――を使って、侵入者たちに抵抗しようとする。
しかし侵入者たちは、彼女にサブマシンガンで銃弾の雨を浴びせた。迅移を使えば、刀使は常人より速く動けるが、初速から銃弾の速度を超えることはほぼ不可能だ。
彼女はギリギリのタイミングで写シを発動したため、銃弾を浴びても死ぬことはなかった。しかし平均的な能力の刀使では、写シを使えるのは一回か二回程度である。刀使の少女は、サブマシンガンの乱射で写シを使い切った上に、銃弾に弾かれて御刀を手放してしまった。
刀使は御刀を媒介として、様々な能力を発揮する。御刀を手放した刀使は、運動能力が少し高いだけのただの人間と変わらない。その状態で銃口を向けられれば、抵抗することもできない。
男たちは刀使の少女に手錠と口枷を掛けて拘束した。
捕らえた刀使を見下ろしながら、侵入者の一人が言う、
「刀使なんて言っても、ちゃあんと武器を運用して戦えば、この様よ。この子は私の部屋に監禁しておきなさい」
テスト装着者としてやってきた北斗と栖羽だが、運用試験は明日から行われることになっているため、二人は待機を命じられた。
研究施設の中に宿泊させられるだろうと北斗は思っていたが、宜野湾市のホテルの一室を宿泊場所としてあてがわれた。研究施設には日本だけでなく米軍の機密も多く保管されている。そんなところに外部の人間はできる限り置いておきたくないのだろう。北斗たちはS装備の運用試験以外で、研究施設に立ち入ることを禁じられた。
北斗はホテルのレストランで朝食を食べた後、自室でリディアからもらったS装備の資料を読んでいた。
S装備は日米の協力で作られている。日本からは折神家、米国からはDARPA[国防高等研究計画局]が資金と技術を提供し、リチャード・フリードマン博士が中心となって開発が行われていた。しかし現在、フリードマン博士は既に研究機関を去っており、今は古波蔵公威博士と古波蔵ジャクリーン博士の夫妻が、研究開発を担っている。
北斗はS装備が持つ機能に目を通していく。まずは刀使の能力を――
そこまで読んだ瞬間、部屋のドアがノックされた。
「北斗さーん! 北斗さん北斗さん北斗さん北斗さーん!」
「…………」
「北斗さーん! 寝てるんですかー!? 北斗さん北斗さん北斗さーん!」
うるさい。とてもうるさい。
ドアの向こうから聞こえて来るのは栖羽の声だった。
北斗は仕方なくドアを開ける。案の定、廊下に栖羽が立っていた。
「どうしたの?」
「北斗さん、遊びに行きましょう!」
「……は?」
「S装備の運用テストは明日なんですよね? じゃあ、今日は何も予定ないですよね? だったら遊びに行きましょう!」
「いえ、やることがあるから」
北斗は淡々と答える。
「え? 何かあるんですか? 私は何も聞かされてないですけど……」
「午前中はS装備の資料を読み込んで、午後からは剣術の鍛錬よ。夜は明日に備えて早めに休むわ」
「……えぇ……」
栖羽はドン引きした表情を浮かべた。北斗としては、何もおかしなことを言ったつもりはないのだが。
「せっかく沖縄に来たんですから、遊んだり観光したりしないと! S装備のことなら、明日の運用試験の時に大人が教えてくれますよ。それにトレーニングなんていつでもできるじゃないですか!」
「いつでもできる……?」
その言葉は聞き捨てならない。
北斗は栖羽の腕を取り、部屋の中に引き入れた。そして栖羽を部屋の端に追い詰めるようにしながら、滔々と語る。
「確かにトレーニングはいつでもできるわ。でも今日のトレーニングは今日しかできないの。人間の時間は有限で、しかも時間は巻き戻ったりしない。今日一日トレーニングをしなければ、一日分だけ腕が鈍る。毎日トレーニングをサボらなかった人に比べて、一日分だけ差をつけられるわ。逆に私が今日サボらずに鍛錬を行って、もし自分より強い人が今日一日鍛錬をサボれば、一日分だけ私はその人に追いつくことができる。だから一日も欠かさず剣の鍛錬を積むことが重要で」
「ひ、ひぃ……」
「加えてトレーニングには最も効果がある時間帯や方法があるわ。それらを考慮しながら、最も適切なやり方を習慣として続けていくことが重要なのよ。強くなるためには、自分のすべてを捧げて完璧な計画の下に鍛錬をすることが必要」
「は、はぁ」
「スポーツ科学によれば技術を体で覚えるということは小脳に記憶された動作が短期記憶の領域から長期記憶の領域に移るということで繰り返し学習の重要性が」
「あわわわ……」
栖羽を壁際に追い詰め、ドンッと壁に手をついて話し続ける。
「肉体の強化についても超回復の時間などを適切に考えることがより効率的な鍛錬に結びつくからトレーニング時間の習慣を計算して」
「わかりました! 毎日トレーニングすることの重要さはわかりましたからぁ!」
「それなら、いいわ」
北斗は栖羽から離れ、椅子に座ってS装備の資料の読み込みを再開する。
「…………じゃあ、私もここにいていいですか?」
栖羽がおずおずと尋ねる。
「別に構わないわよ。あなたがどこで何をしていようと、あなたの勝手だから」
そう答えたことが間違いだったと、後に北斗は後悔する。
栖羽はとにかく集中力がない。彼女も自分の部屋からS装備の資料を持ってきて読み始めたが、すぐに飽きて、部屋の中を無駄にウロウロしたり、備え付けの冷蔵庫を勝手に開けたり、テレビをつけたりする。
そのうえ、「あー、遊びに行きたいー」「ビーチは楽しそうだなー」「遊びに行きたいなぁ……」「泳いだらきっと気持ちいいだろうなぁ」「普天満宮に行ってみたいなぁ」「沖縄グルメを楽しみたいなぁ」「でも一人じゃつまらないしなぁ」などと、やたらと独り言をつぶやく。
追い出そうかと思ったが、「どこで何をしていようとあなたの勝手だ」と言ってしまったのは北斗だ。
「はぁ……」北斗はため息をついた。「わかったわよ。少しだけ付き合ってあげるわ」
「え?」
「遊びに行くの、付き合ってあげると言ってるのよ。でも、少しだけね。ちゃんと今日のトレーニングもしないといけないから」
「……!」
栖羽は目を輝かせた。
「沖縄と言ったら、やっぱりこれを食べないとですね! タコス!」
北斗と栖羽がやってきたのは、ファーストフード店と定食屋の中間のような店だった。タコス専門店だという。とうもろこし粉から作った生地で、挽肉やキャベツやトマトなどの具を包んだタコスは、沖縄ではメジャーな軽食である。
「私が知ってるタコスと違うわ……」
彼女の知っているタコスは、柔らかい生地で具材を包んだ、小さめのクレープのようなものだ。ところが、目の前にあるタコスは生地がパリパリに硬く、具材を包んでいるというより乗せている感覚に近い。
北斗はテーブル脇に御刀を置きつつ、椅子に座る。栖羽は「今日はオフなので!」と言って御刀を持って来なかったが、北斗は何かあった時のために律儀にも御刀を持ってきていた。
「北斗さんが言ってるタコスは、多分メキシコ風なんだと思います。生地が硬いのはアメリカ風です。沖縄ではアメリカ風のタコスが主流なんですよ」
「あなた、なんでそんなに詳しいの……?」
「沖縄に行くことが決まって、食べ物とか観光地を調べまくりましたから!」
「それと同じくらいの情熱で、S装備の資料も読み込むべきね」
「いやー美味しいですね! おやつみたいな感じでいくらでも食べられますね!」
栖羽は聞こえないふりをして、タコスを口に運ぶ。タコスは二口くらいのサイズだが、生地が硬いため、具材がポロポロと落ちる。
「ほら、こぼしてるわよ。口の周りも」
北斗はティッシュで栖羽の口の周りについているソースも拭い、テーブルも拭く。やはり手のかかる子供のようだ。
「わわ、すみません」
「しょうがないわ。これ、こぼれやすいもの」
北斗も一つタコスを食べてみたが、こぼさずに食べるのはかなり難易度が高い。
「あと、タコライスも頼んでいいですか!?」
「タコライス……?」
「タコスの具をご飯に載せた料理です」
「それもメキシコ料理なの……?」
「タコライスは完全に沖縄のオリジナルです。パンフレットによると、もはや沖縄の郷土料理と言っても過言じゃない! だそうですよ」
「メキシコ料理から郷土料理を生み出す……この土地の人たちの大らかさを感じるわ……」
「すみません、タコライス一つ! チーズ、野菜、トマトまで全部乗せで!」
栖羽はカウンターに追加注文する。
半時間後、ふらふらしながら栖羽は店を出た。
「食べすぎました……」
「タコライスだけでも相当な量だったのに、タコスまであんなにパクパク食べたりするからよ……」
北斗は手のかかる少女に呆れた目を向けながらも、彼女の背中をさする。
「ああ、ちょっと楽になりました……ありがとうございます、北斗さん……。はぁ~、ビーチに行きたかったんですけど、これじゃ無理ですね……今泳いだら吐きます。絶対に吐きます」
「公共の場を汚すのは感心できないわね。それに私は水着を持ってきてないわ」
今回沖縄に来るにあたって、北斗は荷物の中に水着など入れていなかった。
「ええ!? なんで持って来ないんですか!?」
「遊びに来たわけじゃないもの。泳ぐことなんて考えてなかった」
「せっかく沖縄に来たのに……」
今度は栖羽が北斗に呆れた目を向けた。
「なぜそんなに呆れた顔をされるのかわからない」
「それがわからないって、北斗さんけっこう感覚がおかしいのでは」
心外だ、と北斗は思う。
「あ、じゃあ、あそこに行ってみましょう! 普天満宮!」
栖羽は道路の向かい側にある神社を指さした。
普天満宮は琉球八社の一つとされる、沖縄で有名な神社の一つだ。境内に鍾乳洞の洞窟があることが特徴で、その洞窟内に奥宮が置かれている。
洞窟に勝手に入ることはできない決まりになっていて、神社の巫女に案内されて入る。
栖羽は洞窟内の奥宮に、ずいぶん熱心に願い事をしているようだった。
参拝が終わって洞窟を出た後、北斗は尋ねてみた。
「何をそんなに願っていたの?」
「それはもう、いろんなことですよ! テストでいい点数とれますようにとか、将来お金持ちになれますようにとか、コンサートのチケットが当たりますようにとか!」
ものすごく俗な願いだった。
「あとは……できるだけ荒魂と戦わないで卒業できますようにとか。あんまり任務の招集がかかりませんようにとか」
「……伊南さん、あなたは荒魂と戦うのが嫌なの?」
「そりゃあ嫌ですよぅ。だって怖いじゃないですか。戦ってる途中で怪我したら痛いですし、運が悪かったら死んじゃうかもしれないですし」
「…………」
確かに荒魂と戦うことには危険が伴う。おそらくほとんどの刀使が恐怖を感じながら、戦っているだろう。しかし誰もが危険も恐怖もわかった上で、刀使をやっているのだ。
任務で荒魂と戦うことが刀使の存在価値だ。荒魂と戦わないなら、刀使である必要はない。
「あなた、荒魂と戦うのが嫌なら、なぜ刀使になったの?」
「……あんまり言いたくないんですけど、北斗さんだから話しますけど」栖羽は気まずそうに目を伏せる。「なんとなくです。小学校の頃にスポーツみたいな感じで剣術を始めて……腕前だって平均くらいだったのに、鎌府女学院に入ってみないかって話が来たんです。そしたら御刀に選ばれて、あれよあれよという間に、いつの間にか刀使になってました」
神社の境内を囲む木々の中から、蝉の鳴き声が聞こえていた。本州と変わらない鳴き声のように思えるが、微かに聞き覚えのない音が混じっている。
「私、あんまりよく考えてなかったんですよ。荒魂と戦うこととか、刀使の任務とか……こんな大変な役目だったら、私なんかが刀使になるべきじゃなかったって思っちゃいます。私、剣術だって鎌府女学院で中の下ですよ。それなのになんで私がS装備のテスト装着者に選ばれたんだろうって不思議に思ってたんです。比較用サンプルとしてだったみたいですね」
伍箇伝各校で生徒の実力に大きな違いはない。鎌府女学院に強い生徒が集まっているわけではないのだから、栖羽の実力は刀使全体でも中の下程度なのだろう。
北斗は平城学館内で上位の実力者だった。つまり刀使全体の中でも優秀な部類に入る。
栖羽がテスト装着者に選ばれた理由に関し、リディアは「比較対象だろう」と言った。S装備の運用試験に関し、優れた刀使と平均以下の刀使という二種類のサンプルを用意したということだろう。
「まあ、私のことはどうでもいいじゃないですか」少し重い空気になってしまったのを振り払うように、栖羽は明るく言う。「それより北斗さんは神様に何かお願いしたんですか?」
「……強くなることよ」
北斗が望むのはそれだけだ。
強くなれるなら、どんな代償に払っても構わない。
もしも、誰よりも強い刀使になれる代わりに、あらゆる幸福――恋愛だとか、美味しい食事だとか、様々な娯楽の楽しさだとか――を失う呪いがあるとする。そしたら、北斗はその呪いをかけてくれと懇願するだろう。
「迷いなくそう言えるって、北斗さんはすごいです」
「刀使なんだから、強くなりたいと思うのは当然でしょう」
「当然……ですよね。私は刀使の任務や剣術に、そこまで思い入れを持てないんです。ほんと、刀使に向いてないですよねぇ」
栖羽はちょっと凹んでいるようだった。
折神紫と獅童真希、此花寿々花は研究施設の一室にいた。
S装備開発の中心人物である古波蔵公威から、運用試験に関する説明を受けているところだ。
「これがS装備の性能……凄まじいな」
真希は公威から渡されたS装備のスペックデータを、食い入るように見つめる。
「金剛身による防御力の強化、八幡力による攻撃力の強化を基本として、他にも戦闘をサポートする様々な機能が搭載されていますわね」
寿々花もS装備の性能に驚いている。
『金剛身』も『八幡力』も、本来は刀使固有の能力だ。御刀を媒介として隠世[かくりよ]から力を引き出し、金剛身は身体の耐久力を上げ、八幡力は膂力を上げる。
「全性能[フルスペック]を引き出すことができれば、装着者は金剛身と八幡力を共に第五段階まで使用可能になります」
公威がモニターにデータを表示しながら説明する。
金剛身と八幡力は、段階が上がるごとに強力になる。第三段階で、金剛身なら銃弾を受けても無傷でいられるほどの耐久力、八幡力なら自動車レベルのパワーを発揮可能だ。
しかし、それを超える第四段階の金剛身や八幡力を使える刀使は、全国に数えるほどしかいないだろう。まして、両方を第五段階で使える刀使など、この世に存在するのだろうか。
真希は隣にいる自らの主[あるじ]――折神紫を横目で見る。最強の刀使と言われるこの人なら、あるいはできるのだろうか、と思う。モニターを見つめる紫からは、S装備の性能に驚いている様子も見えない。
「つまりぃ、このS装備を使えば、一般人でも刀使と同等の強さになれるってことねぇ?」
壁に背をもたれ、気怠げな声でそう言ったのはリディア・ニューフィールドだ。
リディアはDARPAの研究員であり、今回は米国側の監督役として運用試験に同席することになっている。
リディアの言葉に対し、公威は首を横に振った。
「単純に刀使と同等と言うことはできません。刀使には金剛身や八幡力以外にも、迅移や明眼などといった異能もありますから。ですが、S装備を使いこなせる人間は、刀使でなくとも荒魂を討伐できる戦闘力を発揮できるはずです」
「ふぅん、それはすごいわぁ」
リディアは頷く。その口調には、どこか興味なさげな平淡さがあった。
「一般人でも荒魂と戦えるレベル……でしたら、刀使が装備すればどれほどの強さになるのですか?」
寿々花はS装備のデータを見ながら尋ねる。
答えたのは、これまで無言だった紫だった。
「此花、想像してみろ。お前が頭に思い浮かべる平均的な実力の刀使に、このS装備の性能を上乗せしたら――お前は勝てるか?」
寿々花は、全国の刀使が剣技を競い合う折神家御前試合の二年連続準優勝者だった。彼女もまた刀使の頂点に限りなく近い実力者である。
しかし、
「……そうですね、おそらく正面からの単純な勝負では勝てませんわ。獅童さんでも負けるのではないかと思われます」
寿々花はそう答えた。
真希は何も反論しなかった。
このS装備を使いこなせれば、平均的な刀使が最強クラスになれるというわけだ。
「ですが問題は、使用者に暴走の危険性があることです。開発初期から懸念されていた問題点ですが、結局解消はできませんでした」
公威博士はやや苦い口調で言った。
開発が始まった時、S装備には二タイプの完成形案があった。
一つは電力を使って作動させるタイプ。しかし、このタイプでは出力を高めることができず、八幡力・金剛身は第二段階が限界だった。加えて、消費する電力量が大きいため、大容量のバッテリーを使っても稼働時間がかなり短い。
そしてもう一つのタイプが、御刀の素材――珠鋼を使うタイプである。こちらは電力よりもはるかに高い性能を発揮できる。しかも電力と違い、珠鋼のエネルギーは無尽蔵で、稼働時間に制限がない。
開発は後者のタイプを目指して進められることになり、今回完成して運用試験が行われるのは、この珠鋼搭載型のS装備だ。
しかし珠鋼搭載型の問題点は、使用中に珠鋼と装着者の肉体が融合に近い状態になること。それによって精神と肉体が侵される可能性があること。電力稼働型には、そのような問題点はない。
「S装備のフルスペックを発揮した場合、暴走する確率が約三パーセント……優秀な刀使ほどS装備の性能を引き出せる場合が多いため、つまり優秀な刀使ほど暴走の危険性が高くなります。もし暴走によって、テストパイロットの刀使が制御不能になった時、この研究施設にいる刀使では、おそらく鎮圧することができません」
公威の言葉には、はっきりと警告の意志が込められていた。
しかしそんな公威に対し、リディアはお気楽とも言える態度で返す。
「ふふ、大丈夫よぉ。もし暴走が起こっても、私たちがなんとかするわぁ」
宜野湾市には鉄道が通っていない。公共交通機関としてバスはあるのだが、初めて訪れた土地ではバスの順路はわかりにくく、使い難い。そのため北斗たちは、普天満宮から歩いてホテルへ帰ることにした。
「ごめんなさい、ちょっと休ませてもらえるかしら」
その道中、北斗は栖羽にそう言った。
「疲れたんですか、北斗さん? もー。実は体力ないんですね!」
栖羽が北斗の脇を突つく。
少しイラッとした。
「……疲れたというより、膝に痛みが出始めたの。少し休まないと、この後のトレーニングにも支障が出るわ」
「膝の痛み?」
「右膝に怪我があってね。長い時間運動すると痛み始めて、脚がほとんど動かなくなる」
「そうなんですか!? うわわ、ごめんなさい、私がいろいろ連れ回しちゃったせいで!」
ペコペコと頭を下げる栖羽。
「謝ることなんかないでしょう。私は怪我のことを言ってなかったんだから」
「でも、とにかく休憩しましょう!」
北斗たちは道路脇の小さな公園のベンチで休むことにした。
「どうぞ! 熱射病になるといけないので」
栖羽は自動販売機で買ってきたスポーツドリンクを北斗に差し出す。言動は子供っぽいが、意外に目配りが利く。
「……ありがとう。お金、払うわ」
「いえ、いいです! 連れ回しちゃったお詫びです!」
結局、栖羽はお金を受け取らなかった。
北斗はドリンクを飲みながら、ふぅと一息をつく。
空は青く、遠くに少し雲が見える程度の晴天だ。ジッとしていても、肌に汗が滲む。
「あれ? あれあれぇ?」
公園を通りかかった少女が、北斗たちの方を見て声をあげた。
彼女は公園に入り、ベンチの傍に来て、北斗の御刀を指さす。
「これ、御刀だよね!? もしかしておねーさんたちも刀使なの?」
北斗は少女に目を向けた。まだ小学生程度ではないだろうか。明るい髪の色と切れ長の瞳が特徴的だ。どこか作り物めいた美しさを感じる少女だった。彼女の容姿も充分に目を引くものだが、それ以上に北斗は彼女が腰に帯びているものに目を留めた。
御刀だ――。
北斗は少女の問いに答える。
「ええ、そうよ。あなたも刀使? 普天間研究施設の所属かしら?」
「ブッブー! 刀使なのは合ってるけど、研究施設の刀使じゃないよ。綾小路から来たんだ」
綾小路武芸学舎。伍箇伝の一つで、京都に設置されている学校だ。伍箇伝の中で最も歴史が古く、確か綾小路武芸学舎には初等部がある。おそらく、そこの刀使なのだろう。
しかし、なぜ京都の刀使がここにいるのか? 北斗が不思議に思っていると、
「あ、あ……あああああ! も、もしかして……燕結芽……さん?」
栖羽の口から震えた声が漏れる。
「あれ? おねーさん、なんで結芽の名前知ってるの?」
「む、昔、私が通っていた道場が、交流試合をした時……相手方に燕さんがいて。ものすごく強くて……」
栖羽は小学校の頃から剣術道場に通っていたが、その道場が天然理心流の道場と交流試合をすることになった。
その時、相手方の道場に燕結芽がいたのだ。彼女は栖羽より一歳年下で、交流試合に来ていた者の中では最も幼かった。それにも関わらず、誰も結芽に勝てなかった。伍箇伝に通っていた中学生の刀使までもが敗北した。
「でも、燕さん、病気だったんじゃ……!?」
交流試合であまりにも強かった燕結芽の顔と名前は、その後も栖羽の脳裏に焼き付いていた。そしてしばらく後、風の噂で彼女が重い病気を患ったことを聞いたのだ。天才的な少女だったのに、もう長くないだろう――と。
「ああ、病気は」結芽は一瞬、忌々しげに顔を歪めた。「治ったよ。それより、交流試合……? うーん、そんなこともあった気がする。おねーさん、なんて名前?」
「伊南栖羽です……一応私も、燕さんと戦ったんですけど……手も足も出ませんでしたけど」
「伊南?」結芽は少し考えて、「覚えてないや。ぜーんぜん記憶に残ってない! おねーさん、よっぽど弱かったんだね。弱い人のことなんて、覚えてても意味ないし。あはは」
人を食ったような笑みを浮かべる結芽。
「あ、あはは! ですよねー!」
栖羽は引きつった愛想笑いで返す。
「取り消しなさい、燕結芽」
鋭い声を発したのは北斗だ。
「北斗さん……?」
栖羽が意外そうに北斗を見る。
「確かに伊南さんは弱いように見えるわ。私も弱いと思うわ。プロフィールを見せてもらったけど、実際すごく弱いわね」
「あの、北斗さん、ひどいです」
しゅんとする栖羽の横で、北斗は言葉を続ける。
「でも、弱いことを馬鹿にしないで。今は弱くても、いつか強くなれるかもしれない」
人間は努力を積むことで強くなれる唯一の動物だ。今は弱くても、きっと強くなれる――それは北斗自身に言い聞かせる言葉でもあった。
「ふぅん……ねえ、おねーさんたち、どこの学校の刀使なの?」
「鎌府女学院です……」
「平城学館よ」
「ああ、おねーさんたちって、S装備のテスト装着者としてここに来た人たち?」
「運用試験のこと、知っているの?」
あまり大々的に公表されている情報ではなかったはずだ。
「うん、知ってるよ。結芽はそのために呼ばれたんだから」
テストパイロットは栖羽と北斗だけだから、結芽には何か異なる用事があるのだろう。初等部の刀使に何をやらせるつもりなのかは、わからないが。
「テスト装着者は、強い人と普通の人の二人がやるって聞いたよ。ということは、あなたがその強い方の刀使なんだ」
結芽は愉快な玩具を見つけた子供のような目を、北斗に向けていた。
「伊南さんとの比較で言うなら、私の方が強いと思う」
「そっか。じゃあさ、手合わせしようよ」
結芽は腰に帯びた御刀に触れ、栖羽の方を一瞥し、
「こっちのおねーさんは御刀を持ってないから、戦えるのはあなただけだしね」
そして再び北斗に視線を戻す。
「……あぁ、御刀持ってきてなくてよかったぁ……」
栖羽は小声でつぶやき、安堵の吐息を漏らしていた。
結芽の視線を受け止め、北斗はベンチから立ち上がる。
「いいわ。立ち合いましょう」
栖羽は結芽に対して怯えた態度を見せるが、相手は小学生だ。少し生意気な子供を注意してやろうという気持ちで、北斗は勝負を受けた。
幸い公園の中には北斗たち以外に人はいない。
「いいんですか、北斗さん? 脚は……」
心配する栖羽に、北斗は首を横に振る。
「大丈夫よ、一回の立ち合いくらい受けられる」
北斗と結芽は御刀を抜いて対峙し、写シを張った。
開始の合図を出してくれる審判はいない。どのタイミングで仕掛けるかは、完全に剣士に委ねられている。
空気に緊張感が高まり、その緊張が臨界点を迎えた瞬間、弾けるように北斗が動いた。
結芽が幼いながら写シの技術を修得していることに、北斗は感謝した。写シを張っているなら、斬っても怪我をすることはない。一撃で勝負を決めるべく、全力で御刀を叩き込んだ。
同時に、白刃が空中に美しい線を描き、鋼の打ち合う高音が響いた。
結芽の御刀が北斗の一閃を受け流したのだ。
初手で勝負を決められなかったことに、北斗はわずかに動揺する。初等部の刀使がこの一撃を防げるとは思わなかった。
さらに数合、二人は斬り結ぶ。
そして北斗は自分が押されていることに気づいた。
(この子……強い! 初等部レベルどころか、平城の高等部でもこれほどの刀使は滅多にいないわ……!)
斬り結ぶ中で、北斗は迅移を発動して運動速度を上げる。すると対抗するように、結芽も迅移を発動した。
(迅移まで使えるのね……!)
結芽の一撃を御刀で受け流し、北斗は彼女の背後の死角に移動して上段から斬り下ろす。無外流の玄夜刀と呼ばれる技の変形だ。だが結芽も北斗を見失わず、その動きに対応していた。結芽は北斗の懐に潜り込むようにして、下から御刀を突き上げる。天然理心流の技の一つ、虎逢剣である。
二つの剣技が交差し、敗れたのは北斗だった。北斗は胸元を貫かれ、写シを解除される。
怪我はないが、剣を受けたダメージは残っている。
「ぐっ……うぅ……」
強い。
この強さは、あの獅童真希と同等か、いや、それ以上――?
地面に倒れた北斗を、結芽は無感情な瞳で見下ろしていた。
「北斗さん、大丈夫ですか!?」
栖羽が北斗に駆け寄る。
「なぁんだ、この程度かぁ」
結芽は退屈そうにつぶやいた。
北斗は気づく。この少女は、さっきの立ち合いでまったく本気を出していなかったのだ。
おぞましいほどの強さを持つ童女は、薄く笑みを浮かべて北斗と栖羽に言う。
「おねーさんたち、明日の運用試験で暴走しちゃったらいいのに」
「暴走……?」
聞き慣れない言葉を、栖羽は鸚鵡返しする。
「あれ、知らないの? おねーさんたちが明日、試験することになってるS装備はね、フルスペックを発揮すると暴走する危険性があるらしいよ。そしたら正気を失って、どうなっちゃうかわかんないんだって」
「え……?」
栖羽は知らなかったようだ。リディアから渡されたS装備のデータに記載があったため、それを読んでいた北斗は知っていた。
「暴走してS装備の全力を発揮した状態なら、おねーさんたちともっと楽しく遊べそうだもん。運用試験、明日なんだっけ? 期待してるね」
可愛らしい笑顔と無邪気な口調で残酷に告げて、結芽は公園から立ち去っていった。
「……っ」
北斗は奥歯が砕けそうなほど歯を食いしばる。そうでもしなければ悔しさで叫び出してしまいそうだったからだ。
負けた。
また負けた。
私は弱い。
強く。
強くならなければ――。
読んでいただきありがとうございました。
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