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ボクらがキミたちに恋をして

ひさしぶりのオリジナル作品更新。『魔術士オーフェン』シリーズ、血界戦線ノベライズなど秋田禎信先生に『恋愛』をテーマに原稿をお願いしました! 恋愛賞応募者の参考になればいいな、と思ってます。

作者プロフィール

秋田禎信
17歳でファンタジア長編小説大賞へ準入選、作家デビュー。『魔術士オーフェン』シリーズは1000万部を超えるヒットとなり、2度のアニメ化。ライトノベル、文芸を横断し活躍する。

あらすじ

夜中に目が覚めると、ぼく―九谷光太郎―は屋根の上にいた。そして、隣に女の子がいる。 逢空優梛だった。 幼馴染の。「ヒリ様? どうなさいましたか?」 そうだ。彼女はぼくを九谷光太郎だとは思っていない。 そして彼女も逢空優梛じゃない。とりあえず、今この瞬間は。 数百年を経てようやく逢えるようになった第二史ロスメキアン人の恋人たちが、ぼくらの脳内にいる。


それでは物語をお楽しみください。

秋田禎信『ボクらがキミたちに恋をして』

 夜中に目が覚めると、ぼくは屋根の上にいた。
 驚いて滑り落ちそうになった理由はいくつかある。ただ、いきなり屋根の上にいたことはそこに含まれない。それは知っていたからだ。先週、朝起きた時スウェットの下に鳥の糞のような汚れがついていて、怒って問いただしたところ「屋根の上にいたから」って答えだった。その時に、次からちゃんと敷物を用意していくよう言い聞かせた。まあそれは関係ないんだけど、とにかく、ぼくが寝ているあいだ屋根の上に行っているというのを知っていたのはそんなわけだった。
 咄嗟に敷物(ちゃんと敷いてくれていた。自分勝手な彼らだけど、強く言えばそれなりにぼくの意見だって通るのだ)を掴んで、滑り落ちるのを防いだ。彼女もぼくの身体を掴まえて助けてくれた。
 そう、彼女だ。ぼくが仰け反って落下しそうになった理由の第一は。
 相手が、知っている子だとは思っていなかったのだ。
 逢空優梛(あいそらゆうな)だった。
 幼馴染みの。
 理由の第二は、逢空優梛の顔があまりに間近にあったから。
 鼻が触れるかっていう距離で、息遣いの暖かさもほんのり感じた。唇に感触も残っていた……多分。思い込みかもしれないけど。でも、キスする以外にこんなに顔を近づけることなんてあるか?
 第三は、彼女のその顔が、今まで見たことのない表情だったから。
 第四は、近くで見た瞳があまりに綺麗だったから。
 第五は、髪の……もういい。きりがない。とにかく足元から脳天まで爆発が通り抜けたみたいだった。なにも考えられない。多分、きっと、一生、もう、うん、どうだろう、そうだろう、こんな朦朧としたまま治らないんだろうとまで思ったけれど、彼女の発した一言で我に返った。
「ヒリ様? どうなさいましたか?」
 そうだ。彼女はぼくを九谷光太郎(きゅうたにこうたろう)だとは思っていない。
 そして彼女も逢空優梛じゃない。とりあえず、今この瞬間は。
 数百年を経てようやく逢えるようになった第二史ロスメキアン人の恋人たちが、ぼくらの脳内にいる。

 それは二週間ほど前に初めて知ったことだった。
 違和感は、もっと以前からあったといえばあった。
 本棚の本の並びが変わっていたり。
 やった覚えのない宿題が、朝起きたら完璧に済んでいたり。
 学校に行こうとしたら、雨が降ったのは夜の間だけなのに、なんでか靴が湿っていたりとか。そういうのはたびたびあったけど、事実を知るまではそんなに気にしていなかった。
 さらにちょっと遡る話だけど、ぼくは高校生になって短期のバイトを始めた。
 前々から両親に言ってあったんだけど、あまりわりのいい仕事ってないねと嘆いていたら、母親が紹介してくれた。知り合いのショップの棚卸しや処分品を運んだりする、まあ軽い肉体労働だ。それはどうでもいいんだけど。
 なんで高校入ってすぐバイトしたかったかというと、スマホが欲しかったから。
 で、それなりに頑張った甲斐あって、遅い梅雨入りの前くらいに待望のスマホを購入した。安い機種だけど。
 買って帰った日、あれこれ機能を試して眠りについた。
 そして朝になって可愛いスマホを手に取ろうとすると、そこに一通のメモが添えてあった。
「一番新しい動画を見て――あと、はじめまして」
 ぼくが撮ったものではない……少なくとも記憶にないビデオが一件増えていた。
 そしてそれはぼくが撮ったものだった。
 記憶にないぼくは画面の中で、なんの戸惑いもなくこう言った。
「おはよう。ボクはヒリ。今は喪われた偉大なエガンボイド、第二史ロスメキアン王国の魔導技官だ。どうしても話し合わないとならない。キミがこの頃、夜更かしが過ぎる件について」
 あまりに呆気に取られたので、再生を一時停止したのは奇跡だったかもしれない。
 とはいえ止める意味があったわけでもないんだけど。ただとにかく、状況を呑み込む時間が必要だった。
「なにこのショッキングなやつ……」
 思わずぼくは、ひとりでそう言った。
 誰かのいたずらだろうかと疑ったけど、停止された動画に映っている顔は間違いなくぼくだ。こんな映像を偽造する技術、ぼくの知り合いの範囲内にあるわけない。ハリウッドでも多分簡単じゃない。
 再開すると画面の中のぼくは優しく微笑んできた。
「きっとキミは今、困惑しているだろう。今の時刻は四時五分二十七秒。キミが寝入って三十四秒後からこの映像を記録し始めた」
 と、画面がずれて壁の時計を映した。映像のぼくが言っていることは気味悪いくらい正確だった。
 そしてわざとなのかどうか、ベッドも見切れたけど、そこにぼくは寝ていなかった。
「キミは今熟睡している。この新しい……スマホっていうのかい。これをいじっていて就寝時間が随分遅くなったね。そのせいでボクは今晩、ケティチェネに会えない」
 彼は、いやぼくは不安そうに口をすぼめた。
「きっと彼女は怒ってる。明日会ったら、その言い訳をしないとならない。貴重な時間はまた潰れてしまう。深刻な問題だ。とても深刻な。こうしたことがこの頃多すぎる」
 画面の中のぼくは、落ち着いて見えたけどかなり怒っているようだった。
 夜更かしについては、まあ言われた通りではあった。バイトは毎日あったわけじゃないけど、なかった日でも新しい高校生活でバタバタしてたり、友達と遊んだりで、帰りが遅くなるのはしょっちゅうだった。
 弁当箱を早く返して欲しいのよね、いったん帰ってから出かけられない? と母親に文句を言われたりはしていたけれど、まさか動画の自分に責められるのは予想外だった。
 しかも言っていることが全然意味不明だ。寝ぼけていたにしてもひどい……さすがに見ていられなくて、そこで動画を消した。スマホ買ったら浮かれてこんなことになるのか、と結構へこみつつ学校に行った。ただまあ、この話自体は友達に受けた。見せろ見せろという流れになったので、消しておいて正解だった。
「きっとボクのメッセージを聞かずに消したんだろう。最大の過ちだ。でもボクも言っておくべきだった。これは重大な話なんだと」
 翌朝、また新たに追加されていた動画のぼくは前日にも増してキレていた。
 ただそれは怒っているというより、怯えているようにも見えた。
 まあ見えたというか……思いっきり顔に引っかき傷があったんだけれど。
 その傷はなんていうのか今はぼくの顔面にあって、痛い。
 人の爪で引っかかれたような形だけど、動画のぼくはその件については一切口にしなかった。触れるのも怖いみたいに。
 ぼくは遠い違和感が少しずつ現実に忍び寄ってくるような怖さを覚えていた。仮にぼくが寝ぼけてこの動画を撮っているんだとして……そしてこの傷までつけたんだとして、それでも目が覚めないものなんだろうか。
「承知して欲しいのは、キミが眠っている間のうち数時間をボクに貸して欲しいってことだ。そして必ず真夜中前に就寝すること。まずはそれだけお願いだ。詳しい説明は、これから少しずつしていくから」
 動画はそこで終わっていた。昨日より随分と疲れ切っていて、気力もないようだった。
「…………」
 しばらく考えてから、ひとまず、ぼくはやっぱりこの動画を削除した。
 この日は学校が休みだったので、昼のうちは部屋にこもって心当たりのある単語を片っ端から調べた。
 夢遊病、妄想性障害、統合失調症……どれも当てはまるようで当てはまらない気もする。
 ただなんであれ、自分がおかしくなっているんだとしたらそれを自分で診断できるものなんだろうか。
 それでも人に相談するなら、なにか確信できるきっかけが欲しかった。
 そのためにどうしたらいいか、あれでもないこれでもないとプランを練った。そしてどうしても欠かせないものを求めて家を出た。もう夕方前になっていた。昔はちょうど、こんな時間にここを走ったな……なんて思いながら近所の道を駆け抜けた。
 着いたのは逢空優梛の家だ。
 意を決してぼくはインターホンを押した。指が震えているせいで一回押し損ねた。これから頼もうと考えていることを思うと、気おくれなんて次元のものじゃなかった。自分が正気かどうかも分からない状況でなければ、こんなことできなかっただろうとは思う。

 逢空優梛とぼくの関係について。
 簡単に言うと幼馴染だ。小学生の頃はクラスがずっと一緒で、家も近所だったのでよく遊んだ。男子仲間の今にして思えばしょうもない悪ふざけなんかにも率先して参加するような子だった。球技をやらせても誰よりも上手かった。女子だけどまあ面白い奴、というのがぼくらの間での逢空優梛の評価だった。
 中学生になるとその評価は違ったものになっていった。
 ぼくは多分、それになかなか気づかなかった。逢空優梛とは同じ中学だったけど、クラスは一度も同じにならなかったし、疎遠になって正直それほど思い出しもしなかった。
 でも友達連中がひそひそと、他クラスの彼女の名前を口にするようになった。それでもぼくはまだ、髪をちょっと伸ばし始めただけだろくらいに思っていた。
 三年生になる頃には、逢空優梛はもはやすっかり見違えるようになっていた。
 迫る男子は多かったはずだけど、当人がいたってキッツイっていうのか……興味ないようで、そういうのは寄せ付けなかったらしかった。外見が綺麗になっても、中身は子供の頃からあまり変わってない気がする。
 成績も良かった逢空優梛は、ちょっと遠めの名門女子高に進学した。うちの学校からはひとりだけだ。いよいよ本格的に疎遠になったわけだけれど、実は毎朝駅で顔を見ていた。電車は反対なんだけど、必ず別ホームの反対側に並んでいたのだ。ここいらでは珍しい制服なので彼女は目立つ。ただそんな聞いたことあるようなデザイナーのブランド制服を着ながら、おばさんに押されたら鞄で同じだけやり返したり、朝から騒いでた酔っ払いに怒鳴りつけて喧嘩になり、結局ふたりして駅員に連れられていくのを見かけたりした(まあ多分遅刻しただろう)。
 インターホンに彼女の名を告げて、その場に待っていると。玄関が開いて逢空優梛が出てきた。部屋着に制服の上着を羽織って、髪もセットしていないという格好だけれど、正直ここまで走って息をあがらせたぼくのほうが惨めなくらいだった。
「あの……」
 ぼくが言うより先に、逢空優梛のほうが声をあげた。
「九谷!? えー、なに。九谷だよね。久しぶり?」
 いきなりの訪問なのに彼女がそんなに嫌そうではなかったので、ぼくは一応ほっとした。
 でも、ぼくの様子――つまり勢いそのままに走ってきて悲壮な話を切り出そうとしているぼくを見て、みるみるうちに逢空優梛の顔は曇っていった。
「え……なに言おうとしてんの? 変なことだったらやめてよ? ねえ。友達いなくなるの、ほんっとに嫌なんだから」
 彼女の誤解は理解できる。きっと飽きるくらい繰り返されたパターンなんだろう。
 ぼくは手を振って否定した。
「いや、変なことかもしれない……けど、ちょっと違うんだ。洒落にならないくらい変なことなんだ」
「洒落じゃないの?」
 功を奏したのか、逢空優梛は瞳を輝かせた。
「すごく変なこと? ドギモ抜かれる? ドギモってどのへん?」
「いや、それはよく分かんないけど」
 自分の身体を見下ろしてわくわくし出す逢空優梛に、ぼくは言った。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、理由は説明できないんだ」
「なにそれ。それ面白い?」
「どうだろ。でもさ、エクソシスト覚えてる?」
 逢空優梛は覚えていたようだった。わりと期待して笑みを浮かべたから。

 逢空優梛に頼みごとをしてから家に帰った。
 そして夕飯後くらいの時間に、今度は逢空優梛がうちにやってきたものだから母親はちょっとしたパニックに陥った。
「いえ、あの、お母さん。わたしっす。ただの逢空です。覚えてないですか……?」
 逢空優梛がいくら言っても、うちの母親は去年他界した祖母の遺影を抱えて男泣き(?)するばかりだった。
「お母さん……見て。ついにうちの子が女の子を家に呼んだのよ。女の子よ女の子。くさくないし、騒がないし、ポテチじゃなくてフィナンシェを食べる生き物が、ついに我が家に」
「いや、食べますよポテチも」
 階段の下から微動だにしない母を後目に、逢空優梛とぼくは部屋に上がっていった。
 最後、母親が声を震わせながら言ってきた。
「あ、あああああの、光太郎? お母さんあとでお茶とか持っていって大丈夫? ままままさか、あんたその、それ嫌がる感じ? もうそんな? そんななの?」
「お茶とかいらないから」
 ぼくが即答すると、母親はひきつけを起こしたように仰け反った。
 明らかに地雷を踏んだ気配と、逢空優梛の真っ赤になった困り顔を見て、ぼくは急いで訂正した。
「逢空は、別にすぐ帰るよ。母さんが思ってるようなことじゃないからね」
 もともと時間をかけるつもりはなかったけれど、これでなおさらゆっくりできない感じになった。
 なので部屋に入って手早く準備を済ませた。逢空優梛のスマホとアプリを設定して、ぼくのスマホを机から部屋全体を写せるように置く。さすがに一晩中録画するのは容量的に無理だけど、これで今夜、逢空優梛のスマホでぼくを監視できるようになった。
 問題はここからだった。用意してあった荷造り用ロープとガムテープを逢空優梛に渡す。ぼくがベッドに横になると、妙にうれしげな逢空優梛がぼくの手足を縛って固定した。そこまできつくはないけど自力では脱出できない。最後に掛布団をかけると、ぱっと見にはただぼくが寝てるだけの状態になる。
 どうにか手際よく済ませたので十分くらいだったろうか。変な誤解を与えると悪いので、逢空優梛にはすぐ帰ってもらった。くれぐれも今晩よろしく、と言うと逢空優梛は「たのしみー。首とか回るんでしょ?」と機嫌よく帰っていった。
「あんた、ちゃんと送っていかないと……」
 母親が怒って部屋に来たが、いきなり寝ているぼくを見て勢いを削がれたようだった。
「……どうかしたの?」
「いや、ちょっと。早起きしたいからもう寝ようと思って」
「そ、そう……」
 釈然としないようではあったけれど、いろいろ情報量がパンクしてしまったのか、母はそれで退散した。喧嘩したんでも送るのは送っていかないと駄目よ、とこぼしてはいたが。
 いや、こんな状態でなければ送っただろうけど……
 とはいえまだぎりぎり日も暮れていない。焦ったおかげで真夜中まで五時間もあるのに縛られたまま待たないといけなくなってしまった。
 と。
「きゅー太郎」
 部屋にいきなり声がしたのでビビったが、しばらくして理解した。スマホからだ。
 逢空優梛だった。ビデオチャットになってるので通話もできる。話すことは考えてなかったけれど。
 彼女は帰り道の途中だろう。早く部屋にもどろうとしてるのか少し息があがっていた。
「そうそう。きゅー太郎だ。みんなそう呼んでたよね?」
「小学生の時はね」
「今は?」
「普通に、九谷とかだよ」
「そうなんだ……まあいいや。きゅー太郎、なんでわたしに頼んだの?」
 歩きながら話しているせいだろう。ぼくのスマホに映っている逢空優梛の顔は安定しない。口、鼻、肩……とあちこち細切れに映しながら、周りの風景もたまに分かる。もうほとんど家の前だったように見えた。
 机に置いたスマホの小さい画面に向かって、ぼくは答えた。
「いや……家族だと心配し過ぎて本気で大騒ぎになるかもしれないし、他の奴らも、真面目に付き合ってくれないか、真面目になり過ぎるかって感じがして」
 がちゃり、と音がした。
 逢空優梛が家に着いたのだろう。玄関の扉を開けて、ただいまーと言う声が入った。
 そのまま階段を駆け上がって部屋に入る。
 ぼくはちょっと気にしたけれど、逢空優梛はまったく躊躇もなかった。考えてみると向こうの部屋ものぞけてしまうことになるので、ごめんそれ考えてなかったと言い訳しようとしたのだけど、彼女があまりにあっけらかんとしているから言いそびれた。
 彼女はスマホを机かどこかに置いたのだろう。画面が安定した。改めて、逢空優梛が真っ直ぐにこっちをのぞいている。
「わたしって丁度いい?」
「なんとなくね。久しぶりなのにこんな用件でごめん」
 代わりにそっちを謝った。逢空優梛は手を振った。
「いーよいーよ。このくらいのほうがさ。なんかもう、しゃっこちょ……しゃっきょ……しゃっちょこばった? みたいなのばっかりでさー、新しい学校」
 結局、こんな話に彼女が食いついてきたのはストレスもあったのだろう。顔をしかめてぶつくさ続けた。
「あんまり考えずに学校決めちゃったけど、なーんか空気合わなくてさー。猫が発情して騒いでるのに『猫ちゃんたちが合唱してますわね』だって。女子高なんてもっとぶっちゃけた世界だって聞いてたのに。逆の意味で予想外」
「また慣れてくると緩むんじゃない?」
「どうかなー。渡り廊下に猫のウンチあってもさ。『あら。片づける人を呼んだらいかがかしら』よ。気づいた奴がやらないどころか、人呼ぶのすら人にやってもらおうとすんのよ」
「猫いっぱいいるんだね」
「いるのよ。山奥だから。まあそこはいいとこなんだけど、通学は電車乗ってバス乗って大変。おかげで始業時間は遅いんだけど、そのぶん帰り遅いのよね」
 しばらくは逢空優梛のそんな学校の愚痴を聞いた。逆にこっちの話もすると、逢空優梛は懐かしがった。さっきは言わなかったけど逢空優梛に頼むのを思いついたのは、単純に彼女がひとりで他校に行ったからというのもある。ぼくがなにかヤバい病気だったならどうしようもないけど……大したことない話だったら、みんなに内緒にしたかったからだ。
 でも怪我の功名だけれど、彼女に頼んだのは良かった。
 そのあと何時間も、逢空優梛とあれこれ話した。たっぷりあるようなあっと言う間のようなこの時間で、逢空優梛はすごくよく笑うし、怒るし、遠慮なく呆れるのが見れた。なにか言うと必ず顔が変わるから、もっといろいろなことを話したくなる。まるで大勢の逢空優梛がいるみたいに。
 彼女は気楽になんでも話したがった。何年も話してなかった分、以前のことを思い出しては笑い転げた……ぼくは転げられないけど。
 途中、逢空優梛が風呂に行った時は、画面から見れる部屋の中が気になった。ガサツな逢空優梛だけど部屋はかなり綺麗だ。古い映画のポスターが貼ってあって、趣味も昔と変わっていないのかもしれないな、と思った。彼女のお父さんが古い映画マニアで、そのコレクションをふたりで見ていたのだ。逢空優梛もぼくもホラーが好きだった。やがて飽きてしまったけど、当時はふたりで本気で怖がった。
 そんなことを思ってほのぼのしていると、逢空優梛が髪を拭きながら堂々と寝間着で部屋にもどってきたので絶句した。しかもうっすら見覚えのある、子供用パジャマを無理してまだ使っているのを見てだ。
 あったまっていい気分になっていたのか、鼻歌混じりにまた画面前に座ってから……多分、ぼくの顔を見たからだろう。逢空優梛ははたと自覚して、ぎゃあと叫んで横に吹っ飛んだ。次にもどってきた時には、夕方にも着ていた制服の上着を羽織っていた。ぶつけたらしい頭をさすりながら、誤魔化すように笑って、なにごともなかったと言い張って話を続けた。
 なんとなくいい奴だよな、逢空優梛……
 そうこうしているうちに真夜中が近くなってきた。気づいたのは逢空優梛だ。そろそろ寝ないとなんでしょ? と言うので、ぼくはそうだねと答えた。
「あのさ、きゅー太郎……思ったんだけど」
 ちょっと気まずそうに逢空優梛が言い出した。
「俺も」
 とぼくが思わず言うと、彼女はきょとんとした。
「え?」
「あ、いや、言い間違い」
 ぼくは慌てて言いつくろった。なんていうのか素で、きっと同じことを考えてるに違いないと思い込んでしまったのだ。こんなことどうでもよくなってきたから、もう少し話していたいと。
 逢空優梛は少し首を傾げてから、気を取り直して訊ねてきた。
「トイレ大丈夫?」
「…………」
 考えてなかった。

 トイレのせいで本当に明日は早起きになりそうだなとか。
 明日また逢空優梛に解きに来てもらうとして、それまで大丈夫かなとか。
 そんなことを今さら思いながら、ぼくは眠りについた。
 そして目が覚めたら部屋は明るかった。
 明るいのは予想外ではなかった――照明は点けたままだったからだ。いつもは暗くして寝るけど、今夜は映像を撮っていたから明かりが必要だった。
 ただ部屋が明るかったのは窓から入ってくる朝日のせいだった。
 ベッドに起き上がってひとつひとつ、ぼくはぞっとしていた。
 まず、ぼくを縛っていたはずのロープは束ねて机の上に置いてあった。一緒に、剥がしたガムテープも丁寧に畳んである。もちろん剥がしたガムテープなんてただのゴミだ。しかし大事そうに畳んであった。普段のぼくならそんなことはしないし、そもそも紐もテープも自力で外せたはずはない。仮にできたとして、ガムテープを破るどころかこんな綺麗に剥がせるものなのか。そして手足を見ても、擦り傷ひとつもない。
 寝る前に少し感じていたはずの尿意も今はない。一応念のため調べたけれど、漏らしたわけでもない。部屋は寝る前とほとんど変化ない。
 スマホのビデオチャットは切れていた。立てかけておいたはずが、机に置いてある。倒れたのではない。角度や位置からして、誰かが一回手に取ってそこに置いたに違いない。
 なにも考えないようにしながら、スマホを手に取った。持ち上げるとその下に、小さいメモが置いてあったのが見えた。ノートの切れ端だ。
 それにはこう記してあった。
「ボクらはきちんと話し合う必要がある」
 スマホのロックを解除しても、新しい動画などはなかった。
 履歴を調べると逢空優梛との通話は午前一時くらいに切れたようだ。
 彼女は多分、なにかを見たはずだ。すぐにも訊きたいけれど、さすがにまだ明け方だ。メッセージだけ送った。なにかおかしなことはあった? と。
 すぐに返事が来ないのは仕方ないとして。でも昼を過ぎても返信がないので、ぼくは焦ってきた。
 ぼくが思っていた最良の展開は、こうだ。逢空優梛は昨夜、ぼくが妙な寝言を言うのを見て面白がる。ロープとガムテープについてはなにかすっきり納得のいく理由があって、それも判明する。それを今日一日話して、笑って、それで解決する。
 最悪の展開は……なんだろう。今となってはその妙な寝言というのを逢空優梛に見られたくはなかったかもしれない。でもそう思えるようになったのは昨日、彼女に頼んだからだ。皮肉といえば皮肉な話だ。
 でもなんにしろ、なにも分からないこんな状態で生殺しなのよりはマシだ。もう一度メッセージを送ろうと思って、スマホを手に取った。通話でもいい。
 でも手にしてから、あれ? と思った。左手でスマホを持っている。右手で取ろうとしたのに、先に左手が動いたようだった。
「…………?」
 何秒間か、じっと見下ろしてようやく気付いた。ようだったじゃない。ぼくの意志を無視して、左手が本当に勝手に動いている。
 左手の親指がスマホのロックを外して、メモ帳に文字を入力し始めるのを、ぼくはただ見ているしかなかった。
「こんにちは。ボクはヒリ」
「…………」
 どうしようもない。ぼくはただ見るだけだった。
 かなりの時間待ってから、左手がまた文字を入力した。
「キミはしゃべればいい」
「どうなってんだ」
「ボクはキミの中にいる、別の人間だ」
「俺、やっぱりどうかしちゃってるのか……?」
 どうかしていないわけもない。どう見ても寝ぼけているとかの次元じゃない。
 逢空優梛もこれを見たんだろうか……それで、怖くなって音信不通になった?
 無理もない。ぼくだって逃げ出したいくらいだ。
 でも、なにをどうやって逃げられるんだ? おかしいのはぼくそのものなのに。
「心配しなくてもいい。ボクは敵じゃない」
「そんなこと言ってるんじゃない。こんなの……どうしたらいいんだよ」
「やむにやまれぬ事情があってのことなんだ。それを説明させて欲しい」
「説明? なんなんだ。どこからどこまでが病気なんだ……」
 わめき出さなかったのは冷静だったからではなくて、混乱し過ぎたせいだった。泣くことすらできない。自分の頭で思いつくこと全部が自分の考えなのかどうか、そんなことも怪しくなってくる……んだけど、もちろん怪しんでるのだってぼくなのかどうなのか。果てしなくわけが分からない。
「キミは病気ではない。ボクはキミの脳が生み出しているものではないから」
「なにを言ってるんだか――」
「証拠を見せよう」
 ぼくが罵るのと同時に、左手が文字を入力するのだからおかしな感じだった。
 だけど、次に起こったことはそれどころじゃなかった。そしてぼくを黙らせるのに十分だった。
 最初、椅子から滑り落ちたのかと思った。
 でもいつまでも床に落ちない。逆だった。ぼくの身体は宙に浮かび上がって、天井近くで静止した。
 飛んでいる。無重力のようだけど、違う。上下の感覚は残っていたし、何億本もの見えない糸に吊るされている感じというほうが近い。なにかがぼくの身体を持ち上げているのだ。部屋には誰もいないのに。
 スマホには既に次の文字が入力されていた。
「エガンボイドの魔導技官になら誰でもできる。ボクの力はそれほど強いものではないけれど。でも、この星の技術では不可能なことだろう?」
「この星……?」
 地球のことだろうか。
「エガンボイドってなんなんだ」
 浮かんだままぼくは訊ねた。左手が答える。
「ボクらの故郷だ。でも、もう存在しない」
 ようやく話を聞く気になれた……というか浮かんだ状態で身動きも取れないんだけど。
 ともあれぼくに、彼は説明を続けた。
 彼の名はヒリだ。エガンボイドの第二史ロスメキアン人だという。
 ……いや本当にヒリはなんとなくはそれで通じると思っていたようだった。他文明の存在も予期していないくらい遅れた人類を想像すらできなかったらしい。大きなお世話だ。
 簡単に言うとエガンボイドは遠い宇宙にある星らしい。いや、あったというべきか。彼らのエガンボイドは災難に遭って滅んでしまった。
 彼らはエガンボイドで、特別な地位を持った人々だった。これまた簡単に言うと超能力者だ。ヒリに言わせると純粋な科学技術で、地球よりも多少進んでいるだけさ、とのことだ。その技術力でヒリたちは破滅からの脱出計画を練った。記憶と人格を小さなチップ状の装置化して、宇宙船で星を後にした。何百年になるかも分からない航海を、生きたままではできないからだ。
「ただし、飽くまでそれは装置だ。ボクの作った生体素子演算器で、ボクらはそれまでの記憶と人格は完全にコピーできた。でもそれ以降の人生を送るには生体の脳がどうしても必要だ」
「どうして」
 その頃にはぼくは椅子に下ろされていた。疲れたとヒリが言った。ただでさえ長くは起きていられないらしいのだ。
 力を使ったからもうあまり長くは話せないと断りながら、ヒリは続けた。
「成長の仕組みまではボクは作れなかった。というかボクが作ったとしたらそれはもうボクの成長とは言えない。自分の将来を自分で設計してしまうような矛盾を生む。生体でないとならなかった」
「そう……か」
 分かるような分からないような話だ。
 長い時を経てヒリたちはこの地球にやってきた。
 そしてまだ頭蓋骨の閉じていない、生まれて間もない赤ん坊の脳に入り込んだ。
「入り込んだ!?」
「そこもう驚くのやめてもらえないかな。キミが生まれた時から、ボクのチップはキミの脳幹に入っている」
「知ったのは今だよ!」
「それからしばらく、ボクも休眠していた。キミの知育に支障があってはいけないから。目覚めたのは一年ほど前のことだよ」
「……みんなそうなのか?」
「みんなとは?」
「仲間がいるんだろ?」
「ボクの計画に乗ったのは、ボクともうひとりだけだ」
「じゃあ、ふたりなのか」
「そう。ボクのケティチェネだ」
 スマホの文字に過ぎないというのに、その一言にどことなく甘い響きを感じたのは、ヒリがあまりに知ってて当たり前という風にその名を告げたからかもしれない。彼にとってはそれが世界のすべてであるかのように。
「愛するケティとともに宇宙を跳び越えてきた。彼女はボクよりずっと強い魔導技官で、身分も違った……けど、ボクしかケティを守れない。彼女と生きるためにすべてを乗り越えたんだ」
「でも……」
 考えながら、ぼくは問いただした。
「その彼女も誰かの脳に入ってるわけだよな?」
「もちろん」
「じゃあ、お前らが付き合うって言いながら、会ってるのは俺と……誰か知らない人?」
「それは申し訳ない」
「ちょっと待ってくれよ!」
「キミたちが寝ている間のことだから、気にする必要はない」
「ある!」
「ないという理由をひとつひとつ説明していこう」
 とりつく島がない……
 居直り強盗みたいなものではある。なにしろ相手は脳の中にいるチップだ。どうにもしようがない。
「キミが寝ている間、そのうちの何時間か、キミの身体を使いたいだけなんだ。キミの脳の大半はきちんと寝ているから、キミの健康に支障ないことは保証する」
「そういうこと言ってんじゃないんだけど」
 ぼくが歯噛みしながら言っても、ヒリは動じた感じもない。ぼくはそのまま嫌みを言った。
「同じ脳にいるってわりに、こっちの気持ちは伝わらないんだな」
「記憶や感覚は基本、共有していない。人格に関わる部分だからね。人格保持はかなりデリケートだから、こうして同時に意識を持つことも避けたい事態だった。なにか不具合が起こる恐れも、少ないながらある。でも毎夜交替しながらではらちが明かない。事情を知ってもらったうえで協力を求めるしかないと判断した」
「俺が早寝するのがそんなに重要なのかよ」
「そうだ。ボクとケティは通信手段がない。だから時間を決めて待ち合わせるしかなかった」
「電話でもなんでも使えばいいだろ」
「痕跡を残したくない。キミにはこうして打ち明けたが、ケティのほうの宿主には秘密だ。向こうがキミと同様に受け入れてくれるか未知数だし」
「納得はしてないぞ、まだ」
「キミにもメリットがあればいいんだろう?」
 と。
 左手から滑り落ちたスマホが机に当たって、ゴトンと音を立てた。ヒリが落としたのではない。急に左手の感覚がぼくにもどったせいだ。
 それっきりだった。ヒリの言いたいことが終わったのか、単に力尽きたのか分からない。
 疲れたのはぼくもだった。ただぼくは気絶もできない。不公平といえば不公平だ。
 スマホを拾い直すとちょうど着信が鳴った。
 逢空優梛からだ。
 通話すると即座に、なんの間もおかずに彼女の声が入った。
「家にいる?」
「う、うん」
「そう」
 有無を言わさず通話が切れる。走っていたようで、かなり息があがっていた。
 なんとなく察して窓を開けると、もう既に近づいてきている逢空優梛の姿が見えた。わりと速い。制服姿なのに。
(制服?)
 と思うとおかしなことではある。今日は休みだし、現れたのも逢空優梛の家とは反対方向からだ。駅から走ってきたのだろうか。
 逢空優梛はこちらに目も合わさず、ぼくの家の玄関に飛び込んだ。インターホンが鳴る。
 迎えに降りようと部屋から顔を出すと、もう母親が応対していた。
「まあ! あらあらまあまあいらっしゃいいらっしゃい……」
 どうなのかというくらい喜色満面の母親だったが、逢空優梛のほうはというと息を整えながらどこか真剣そうな様子だった。
「あの、いきなりすみません。お母さん、あの――」
「お母さん! まだお母さんと呼んでくれるのね。ああもうなんてこと。どうする? もう今日からうちの子になる? おそろいのタトゥー入れる?」
「いえ、じゃあその……光太郎さんのお母さん。わたし光太郎さんとどうしても話さないとならないことがありまして」
「なに? 昨日の喧嘩のヤキいれるの? 手伝うわよお母さん。あ、もう一回お母さんって呼んでくれる? オクターブ高い声に飢えてるの……」
「母さん!」
 呼んだのはぼくだった。母親は地獄のような形相で、階段上のぼくのほうを見上げた。唾を吐きながらうめく。
「とっくに飽きられた思春期息子に呼ばれたところで、ヘドロ呑んでるクソ心地だぜ……」
「マジか母上。分かったよ明日から孝行するから。ほら、逢空が困ってるだろ」
 実際に困り顔の逢空優梛を部屋に招き入れる。
 逢空優梛を先に入れて、ぼくは扉を閉めながら必死に頭を回転させていた。彼女に訊きたいこともたくさんあるし、話さないとならないことも同じくらいたくさんある。
 口を開きかけたぼくに、逢空優梛は振り向きざま――
「悪霊退散!」
 声をあげて、懐から取り出したなにかを振った。
 ばしゃ、と頭から冷たいものをかけられて分かった。彼女が取り出したのはペットボトルだ。その中身の水? をかけられた。いきなり。
「…………」
 咄嗟にぼくがなにも言えなかったのは、逢空優梛が真剣そのものの顔をしていたからだ。
 彼女は続けて別のものを取り出した。これも小瓶だが、ペットボトルより小さい。
 食卓塩だった。それをまた一心に、ぼくに振りかける。
 ぼくがただ黙っていると、ようやく気が済んだのか、逢空優梛は塩をしまった。
「これでひとまず、きゅー太郎正気にもどったはず……」
「正気だよ」
「良かった! 効果あった!」
 飛び跳ねんばかりに喜んで、逢空優梛がぼくの手を取る。
 握ってひとしきり振り回してから、彼女は深々と吐息した。
「うちの学校に、教会あるんだけど」
「う、うん」
「今日日曜でしょ。行って、もらおうとしてきたの」
「なにを」
「聖水と十字架」
 きっぱりと答える逢空優梛に、ぼくは重ねて訊ねた。
「……もらえた?」
「無理だった。ていうか校門開いてなかった。無理やり入ろうとしたら警報鳴ったから逃げてきた……」
「じゃあこの水は?」
「コンビニで買った……」
 いろいろと突っ込みたいことはあったけど、なにを言っても意味がないようにも思えた。逢空優梛が昨夜なにを見たのかも想像がついてきた。そもそもエクソシストなんて言い出したのはぼくだし。
 やり遂げた顔で、逢空優梛は語った。
「連絡があったのも分かってたけど、電話じゃ、きゅー太郎なのか悪霊なのかが分からないからさ。準備整えて会わなくちゃって思って」
 逢空優梛はしっかりとぼくの目を見て断言した。
「大丈夫。わたしは味方だから。悪霊なんて絶対追い払うからね」
 ……逃げたなんて思ったのを、今さら後悔した。
 まあ目をきらきらさせて、若干楽しそうに見えなくもなかったけれど。
 結局これで、逢空優梛は帰っていった。足に縋りつくうちの母親を振り払いながら。
 いや、悪霊じゃなくて宇宙人なんだ、脳にチップ埋めてくる系の――とはぼくも言い出せなかったし、仮に説明したところで意味がないと思えた。
 しかしいくつかの点で、これは一歩前進ではあった。
 まず、とにかく話をつける相手がなんなのか分かった。
 ヒリには寝る前に書き置きでも残しておけば、質問や要求に答えてはくれる。込み入った話の場合、この日のように左手だけ使ってコンタクトを取ったりもした。
 とにかくヒリの求めるのは、ケティチェネとかいう恋人と逢う時間を確保することだけだった。
 これからどうしようとか、なにがしたいというのも彼らにはないのだ。ただふたりで逢いたいだけ。その意味では少し同情した。彼ら……なんていったっけ、第二史ロスメキアン人たちには、もう故郷も、そして未来もない。
 つまり。
 幸いにも……というのかどう考えるべきか難しすぎて完全にまったく分からないけど、彼らは、一線を越えることだけはしないようだった。だから、ええと、ヒリの語った言葉をそのまま繰り返すと、生殖には興味がないようだった。要するにぼくらの身体を使って子供を産んでも、それはぼくらの子供だから。
 これは遠まわしに、彼らがぼくたちの身体を完全に乗っ取るつもりがない理由でもあった。地球人として、彼らにとっては無駄な苦労の多い、原始的な生活をする気はさらさらないというわけだ。
 いくつかの条件を聞くうちに、少なくとも損害はない……ともかくヤバい損失はなさそうだとは認めた。もちろん根本的な問題はある。けど、脳の奥にある装置を取り外す方法なんてないし、これについてはどうにもならない。
 それどころか実は、ヒリはぼくのためにと思ってやり過ぎることすらあった。
 数日後、いかつい外国人が何人も、ぼくの家に車で乗り付けてきた。
 彼らはいきなり訪問した非礼を何度も詫びたうえで、これは国家的、いや人類的な問題で一刻を争うとまで言い切った。
 困惑する両親やぼくに、彼らが見せたのは何千枚もの厚さのあるレポートだった。全部英語だ。そもそも得意ではないけど、それにしても一文も理解できなさそうな、一目で難解と分かる文書だった。現在、全米で最高レベルの頭脳がこの文書の解析を行っていると彼らは言った。筆者の署名は……ぼくだった。
 このレポートはぼくのスマホからメールで発信されたらしい。いくつかの大学の専門家にいきなり送り付けられた。気づいてなかったけど確かに履歴が残っていた。その内容を真に受けた人は少数だったけど、読んだ人のひとりは失踪していまだ行方不明、ひとりは今も壁に向かって無心に体当たりを繰り返し、あとのひとりがどうにか精神の平衡を維持して読み切ったという。
 もちろんぼくはしらを切って、まったくあずかり知らないと断言した。彼らは藁にもすがるように、あなたがこれを書いたのであれば当校はあなたを最高の待遇で招きますと言い募った。提示された年俸はひとまず百万ドル。初年度として動かせる限界の予算はこんなはした金で申し訳ないと。それとは別にスポンサーはよりどりみどりで、研究費は少なくとも十億ドルを下回らない。このあたりで両親が一回ずつ交代でトイレに逃げ、吐いた。
 とにかく知らないし、俺が書いたわけないでしょ、英語の成績は3ですと強弁すると、彼らも渋々認めるしかなかった。そもそも逆に、ぼくだと思うほうがおかしい、当然。
 その夜、こうしたことは二度としないようにヒリに釘を刺した。
 ただこうしたことっていうのがなくなると、今度は途端にヒリは役立たずだった。彼は毎夜、ぼくの身体で恋人に逢っているのかもしれないが、ぼくは無自覚だし、これまで気付かなかったくらいだ。屋根に登って会っているとかで、服を汚されて迷惑した。
 いいことなんて別に一個もないじゃないか……
 愚痴を言いたい気分でいると大抵、逢空優梛が思いつきの除霊法を提案してきたり、あるいは全然関係ないメッセージを送ってくれたりした。だからまあ……一個もないっていうのは嘘なんだけど。
 そしてさらにこの数日後にぼくは、ヒリが毎夜会っているのが逢空優梛だと知った。

 痺れるような月明かりにさらされて。
 屋根の上にふたり、ぼくと逢空優梛――いや、ケティチェネ? は見つめ合っていた。
「ヒリ様?」
 何度目かになる呼びかけを、彼女は口にした。
「本当に、どうなさいました? さっきからお言葉が少なくて……」
 そうして彼女は、寂し気に目を伏せた。
 ぼくが凍り付いていると彼女は身体を近づけてくる。ふたりにとっては会話していない時間は触れ合い、慰め合う時だというのが決まっているようだった。
 でもぼくがビビって後退りするから、彼女はますます傷ついたように瞳を曇らせる。ぼくだってそんなのを見たくはないし、彼女の求めが嫌だったわけもない。
 ただ……わずかでも考えをまとめる時間が必要だったし、互いの呼吸を肌で感じるような距離にいたらそれは無理だ。
(そうか)
 と、ひとまず理解できたのは、ここにいるのが逢空優梛であることについてだ。
 考えてみたら、同じ時期に同じ病院にいた赤ん坊に寄生したのだから、近しい相手の可能性はかなりあったんだ。逢空優梛とは誕生日もほぼ同じだ。一日違いだけど、ぼくらが生まれたのは真夜中をまたいで数時間の差だった。この近所で考えたら、偶然でもなんでもなかったかもしれない。
 一番理解できなかったのは、これが本当に逢空優梛なのかということだ。
 そっと寄り添い、見つめてくる彼女は確かに逢空優梛なのだけど、ぼくの知っている逢空優梛とはまるで違う。こんな顔もあったのか、と思う。
 それもそうか……ここにいるのは別人どころか、遠い宇宙から来た第二史ロスメキアン人だ。
「いいですわ。黙っておられたいのなら。心臓の音だけ聞かせてください」
 彼女はぼくの腕を取って、座るように促した。
 屋根に敷いた布の上に、ふたり、ぴったりとくっついて腰かける。
 ケティチェネはぼくの肩に寄りかかって語り出した。
「いつも夢のよう。こんなおかしな星からでも、見上げる空は変わりませんわね」
「そう……だね」
 恐る恐るぼくが同意すると、彼女は嬉しそうに笑った。
「星が滅んだのを良かったとは言いませんけど……でも、そうでもなければヒリ様とこんな時間を過ごすことはできなかったのですね」
「うん」
 彼女の声は無邪気だったけど、なにげに、星を失うのと恋人に逢えるのが同等だと言っているのか。彼女の基準をおかしいと思うべきなんだろう。でもぼくも、なにかを犠牲にしてでももう少しこうしていたいと感じてしまう。
 ひとまずなにを犠牲にしているかというと……後ろ暗さだ。意図したことではないにせよ、まず彼女を騙している。二重にだ。
 それも知らずにいるケティチェネの笑顔は眩しかった。綺麗だけど、目に痛い。
「覚えてらっしゃいます? あの時もヒリ様が、神聖主義者どもを煙に巻いて、でも卑劣なあいつらが騒ぎを大きくして……」
 と、ちらりとこちらを見やる。
 なにか共感すべき思い出があるんだろうけど、ぼくは神聖主義者がなにかも知らないし、上目遣いの逢空優梛のまつげの長さに初めて気づいてしまったし、そもそも彼女は寝間着だから下着も着けていないのも分かってしまった。明らかに最後のは気づくべきじゃなかった。わけの分からない声が出るところだった。
「あ、ああの時、は、大変だった。ね」
 ぎりぎり踏みとどまって答える。ケティチェネはやや不思議そうに顔をしかめたが、許容範囲だったようだ。
「でももう全員、おっ死にましたものね」
「おっ死に」
「この宇宙をヒリ様とわたくしで独り占め……」
 独り占めっていうか、ふたりどころか余計なぼくまでいるんだけどな。そもそも逢空優梛だって寝てるだけだ……とは思ったものの、どうでもよかった。
 正直に打ち明けたほうがいいだろうか。今さらながらそう思えてきた。ぼくが今ヒリではないことを。でもタイミングを逸してしまったし、彼女の体温が近すぎてなにも言えない。
「ヒリ様? 震えてらっしゃる」
 ケティチェネが顔を上げた。ぼくの胸をそっと撫でる手は優しかった。
「雨上がりでちょっと寒いですものね。雨をそのまま降らせているなんて、やっぱりこの星は不思議」
 彼女は名残惜しそうに離れた……離れてくれた。
「今宵はこれまでにしておきましょう。また明日。ケティは夢見て待っております」
「あの、ケ、ケティ」
 ぼくが思い切って言おうとした時には。
 彼女の姿は消えていた。一瞬の残像でしか見えなかったけど、確かに彼女は真上に飛んでいった。
 まるで星空に帰っていってしまったようだった――けど、きっと逢空優梛の家に飛んでいったのだろう。音も立てずにすごい速度だった。
 ぼくはしばらくそこに立ち尽くした。とりあえずどうやって屋根を降りるか考え始めたのは、ゆうに三十分くらい経ってからだった。

 問題は思ったより深刻だった。
 その日、ヒリに伝言を残して寝た。夜明けまであと一、二時間というところだったけど、また週末だったので昼まで寝ていた。伝言では一応、彼に詫びたのと、急にぼくに入れ替わった理由を問いただした。
 返事はなかった。というより、メモを見た形跡もなかった。
 昼頃に逢空優梛からメッセージが来たけど、これこそどの面下げて返信すればいいのか分からなくて何時間もほうっておいてしまった。内容はどうってことない、昨日の番組見た? くらいのものなのに。ケティチェネの瞳と声ばかりが思い浮かんだ。
 逢空優梛も誰かを好きになったらあんな顔を見せるんだろうか。
 それを思った途端、自分でも驚くくらい落ち込んだ。その彼女が見つめるのはぼくじゃない。逢空優梛も、ケティチェネも。
 夜、やっぱり伝言を残した。内容は同じだけど、もし怒っているんだとしてもなにかしら返事だけしてくれと付け加えた。ぼくに悪気はなかったし、これからはもっと協力するし、と。
 その反応もなかった。
 これで恐れが強まってきた。ヒリはあれ以来、ぼくと交替していないのかもしれない。
 同時に現れたことで不具合があるかも、とヒリは言っていた。これがそうなのか。
 その日の夜、もしかして眠りが浅いとかそういうことなのかと、一通りあたりをジョギングしたり、筋トレ的なことをしてからベッドに入った。
 不意に目が覚めた。時計を見ると時刻は真夜中を五分過ぎたところだった。
 自然に眠りから覚めたわけではない。聞きなれない音を聞いた気がした。めりめり、ぶちゅんというような。なにかねじ切るような物音だ。
 がたがた……と次に音を立てたのは窓で、さっきの音がなんだったのかそちらを見て理解できた。窓の鍵がねじ切れて床に転がっている。
 今度は窓が開いた。そしてその窓の外には逢空優梛が浮かんでいた。
 いや浮かんでいたのだから逢空優梛ではない。ケティチェネだ。彼女はこの前とは打って変わって冷たく部屋の中を睨んでいた。起きているぼくと目が合っても、にこりともしない。
 無言で部屋に入ってきた。それどころか足音もない。浮かんだままだから。彼女はベッド脇まで近づいて、囁くように言った。
「昨日はどうして会ってくださいませんでしたの?」
「いや、あの」
 ぼくの言い訳はそこで止まった。止められた。
 きゅっと、見えない縄で締められるように。ぼくはなにもできなくなった。ケティチェネには触れられてもいないのに、ベッドから引きずり出されて空中で丸められる。
 丸められるというのは文字通りで、他にどう言えばいいのか分からない。手も足も首も伸ばせず、物のように固められてしまった。
 それもものすごい力だ。震えることもできない。ぼくは、リスクを言いながらもヒリがコンタクトしてきた理由を思い出していた。
「会いたくありませんでしたの?」
 さらに力が強くなる。そろそろ呼吸も怪しくなりそうだった。抵抗どころか言い訳もできない。
 ケティチェネはきっと、ぼくを傷つけるつもりはないのだろう――多分。でも怒りのあまり加減ができず、必死にぎりぎりで踏みとどまっている。そう見えた。
 やばい。と思っていると……
 ケティチェネがなにかに気づいた。机の上のメモだ。まあ目につくように置いたわけだから。それが幸いした。
 ヒリあての伝言を、彼女は何度も読み返した。その間、怒りが収まるということもなかったけれど。彼女が再びぼくを見る頃には、どうにか声を出せそうなくらいには力が弱まっていた。
「俺……ヒリじゃないんだ。今」
「どうして」
「いや、理由は俺も知りたい――」
「ヒリ様を消したの?」
「ち、ちが」
 彼女はぼくを窓の外に放り出した。
 落ちはしなかった。むしろあっと言う間に家が、町が、地面が遠ざかっていく。
 ひんやりと感じる冷たい空気は、これは雲だろうか……
 地図アプリでもあまり使わないような高度でぼくは止まった。
 空高くにいても星空は近くにならない。すべてが遠く、触れられるものがなにもないのは無力感が突き刺さる。場違いながら一昨日のことを思い出していた。逢空優梛に触れられているだけで、これとまったく逆だったのに。
 でもこの場合だと、ぼくのあとを追って上昇してきたケティチェネの姿を見て余計に怖かった。彼女が近づいてくると。それまで吹き荒れていた風の音が聞こえなくなって、冷気も収まった。彼女がバリアみたいなもので防いだのだろう。
 ただ、また別の寒気はますます強まった。
「ヒリ様を返しなさい」
 あれほど美しく感じられた彼女の瞳は……
 恐ろしいことに、なお綺麗だった。
 ヒリではないぼくのことなんて、邪魔な虫くらいにしか思ってないのが分かってもだ。
「俺にも分からないんだ。どういうことなのか」
「返しなさい」
「だから話を聞いて」
「返して!」
 彼女はぼくの頭を両手で掴んで、語気を強めた。
「また別の個体に植え替えれば……!」
「仮にうまくできても、その赤ん坊が育ってヒリが動けるようになるのは十何年後だろう!?」
 咄嗟にぼくが叫ぶと、ケティチェネはぴたりと止まった。
 ぼくは続けた。
「……だったら何日か待ってもいいだろ。またヒリが出てこられるように、俺も考える。俺がなにかしたんじゃないんだ。信じて」
 ケティチェネはしばらく黙ったのち、短く告げた。
「長くは待ちません」
 そして上がったのよりも速く、ぼくを部屋に戻した。
 本当にそれこそ夢のようにあっと言う間の出来事だった。壊れた窓の鍵を拾い、ねじれた断面を触ってどうにかこれが現実だと認める。
 ぼくはその場にへたり込んだ。

 その日は学校だったけれど、ほとんど全部上の空で過ごした。それでいて時間が過ぎることが怖くて仕方なかった。ケティチェネの忍耐力がどれくらいかも分からないのに、できることがなんにも思いつかない。
 逢空優梛からのメッセージに、またびくりとした。一昨日のような浮ついた気持ちとは真逆だけど。
「新しい除霊法聞いたの。きゅー太郎、お坊さんと取っ組み合いとかしても社会的に大丈夫だと思う? 宗派なに?」
 ぼくはこれだけを返信した。
「実は話したいことがあって、今日、帰りにうちに寄れる?」
 外で会ってもいいんだけど、帰宅時間は逢空優梛のほうが結構遅くて待ち合わせが微妙だし、どんな話になるのかぼくにも分からないところがあったので、人目につかないほうがいいと思った。
「あら優梛ちゃん! お母さんあなたの名前入れて遺言作ろうと思ってるんだけど、この家とか土地欲しい? いらない?」
「あ、はい。じゃあえーと、この前いただいた煮豆のレシピください。生前贈与で」
 なんかうちの母親のあしらい方が微妙に身につきつつある逢空優梛を部屋にあげた。
 そしてどこかの山奥の破戒僧が真に強敵と認めた者にだけ授けてくれるとかいう謎の秘術の話を始めた逢空優梛を遮って、ぼくは説明した。
 ここ数日で知ったことをなるべく全部だ。多少省いたところはある――例えば、逢空優梛が寝ている間にいちゃついてたこととか(ごめん、と心の中ではひたすら謝った)。それでもケティチェネがどんな人かは、なるべく印象そのままに話した。
「危険な子だと思う……多分、ヒリよりもずっと。だから」
 逢空優梛のほうが危ない可能性はある、と思ったので、話しておきたかったのだ。
 彼女はもちろん、ショックなようだった。彼女の言う「悪霊」が憑りついているのはぼくだけじゃないと聞いて。しかも金属製の鍵を簡単にねじ切り(これも見せた)、一瞬で空まで移動できるような力まで持っているのは逢空優梛のほうだ。
「そんな……そんなの」
 逢空優梛は怯えた顔で、自分の頭を触った。その気持ちは分かる。一番安全だと思っていた脳の中に他人がいると聞かされるのは……。
 ぼくは続けた。
「俺たち協力しないと、ふたりに対抗できない。できれば逢空のほうでもケティチェネと話し合って欲しいんだ」
「できないよ。こわい」
 彼女は半泣きで床から立ち上がった。
「だって……いやよ……そんなの……無理だよ。だって……遊星からの物体Xじゃん……駄目……わたし無理だってば……いやーっ!」
 泣き叫んで、部屋を飛び出していった。
「逢空!」
 ぼくは追いかけようとしたけれど――
 階段を駆け下りて靴も履かずに逃げていった逢空優梛を、廊下で母親が見送っていた。
 今の叫びを聞いていたらしい。茫然としていたけれど、ぼくを見上げてすぐに地獄じみた形相に変わった。
「あんたなにしたの」
「え、いや」
「物体Xだとォォォ!?」
「説明難しいけど誤解ー!」
 どうしようもなく部屋に逃げ帰る。
 ドンドン叩かれる扉を押さえたまま椅子をかませて開かないようにする。心に傷を残しそうな母親の金切り声には耳をふさいで、スマホを探した。
 逢空優梛の番号にコールする。何度か呼び出し音の後、不通になった。電源を切られてしまったようだ。
「うわ、これはまずいな……」
 良くない手だったか。後悔しながらメッセージを送った。とりあえず落ち着いたら連絡してと。大丈夫、俺が君を守るから――
「…………」
 思い直して後半は削除した。そこまで伝える勇気はぼくになかった。

 母親が落ち着くまでにまた時間がかかったけれど、誓っておかしなことはしてないと説明して、不承不承ながらも納得してもらった。その頃にはもう真夜中を回っていて、ちょっと逢空優梛の家に行くには難しい時刻になっていた。それに、逢空優梛ではなくケティチェネになっているかもしれない。
 朝になるまで無理やり眠ったけど、やっぱりヒリへの伝言には返事がなかった。ケティチェネも来なかったようだけど。意気消沈したまま仕方なくまた学校に行った。
 逢空優梛の反応もないままで、これがなによりこたえた。
 でもその日の夜。
「会える?」
 逢空優梛からの返事が来た。
 もう日も暮れているけど、近所の公園で会えないかという誘いだった。
 もちろんぼくはすぐに応じた。家を出て公園に走る。逢空優梛は先にいて、ベンチに座っていた。
 制服ではなかったから一度家にもどってから来たのだろう。それはぼくもだ。ぼくは逢空優梛の前に行って、なにを言うべきか少し迷った。怖がらせてごめん、というのが真っ先に思い浮かんだけど、それを言う前に逢空優梛が口を開いた。
「座って聞いて」
 と、隣を示す。
 ぼくはうなずいて、彼女の横に腰を下ろした。
 当然だけどケティチェネとは違う。当たり前の距離がある。それでもぼくはほっとした。
「わたしね」
 逢空優梛は決然とこう言った。
「協力しようと思う」
「うん……」
 ぼくは同意した。
「考えてたことがあるんだ。確かなことは分からないけどヒリが出てこなくなった。もしかしたら彼らを封じ込める方法があるのかもしれない」
 ぼくもまた決意を込めて言ったのだけど。
「……え?」
 まったく虚を突かれたように、逢空優梛が声をあげた。
「え?」
 ぼくも訊き返す。
 長いこと考えてから、もしかしてぼくは盛大に勘違いをしていたのかもと思い至った。
「協力ってさ、逢空……」
「ケティと話したの」
 彼女は持っていた鞄から、ノートを取り出した。何冊もある。
「話したって言っても、筆談なんだけど。きゅー太郎が言うみたいに伝言残したら、夜に目が覚めて。腕がね、勝手に動いて。このノートに、ただもうずっと……ヒリのことを、ケティが書いたの」
 ぐすっと鼻を鳴らして、逢空優梛はノートを開いた。どのページも細かい文字でびっしり埋められている。
「すごいのよ。書いても書いても言葉が終わらないの。朝までかかっても全然足りないの。わたし、泣いちゃった……何時間もまったく動けなくて普通にヤバかったのもあるけど」
 確かにすごい。もっとも、ケティチェネの鬼気迫る様子を見たことがあるのでぼくは驚かなかった。
 それよりもざわついたのは、逢空優梛にだ。慎重に言葉を選んでぼくは訊ねた。
「協力って、なにを言ってるか分かってる?」
「それは……」
 躊躇したけど、それでも逢空優梛は首を振った。
「だって可哀想だよ。ふたりは逢いたいっていうだけなのに」
「俺もそうは思うけど」
「何百年も宇宙を旅して、願うのはそれだけなんだよ?」
「逆にさ、それだけしか考えない奴らでもあるんだ。そのためになにをするかも分からない。俺を殺そうともした」
「そのこと、反省してるって。ほら」
 逢空優梛が見せてくれたページには確かにぼくを粉砕分解しようとしたのは間違いだったと書かれていた。ぼくの脳を掘り返そうとしたことより、頭蓋骨を爆破した場合にデリケートなヒリのチップを無傷で取り返す自信があまりないからというようにも読めたけど。
「だからね。ヒリをまた出してあげられれば、ケティも落ち着くと思うの」
「あのさ。それでふたりが俺らの身体でなにをするのか、本当に分かってる?」
 思わずきつい言い方になってしまった。
 逢空優梛も分かってなかったわけではないらしい。みるみる顔を赤くして、うつむいた。
「そりゃあ、別にいいとは言わないけど……」
 皮肉といえば皮肉だ。
 好ましいとは思わない逢空優梛が仕方ないと言い、むしろ正直嫌じゃないぼくが拒否している。
「でもさ、きゅー太郎。悪霊だったら成仏してって思うけど、生きたいふたりを死なせるようなことじゃない……?」
「…………」
 それには反論できなかった。その通りだと思った。
「優しいな、逢空」
 他に言いようがなく、ぼくは答えた。
「きゅー太郎も、わたしを心配してるんだね」
「うん……」
 うなずく気持ちに嘘はないけれど、やっぱりやましさもある。同じ境遇の相手が逢空優梛で良かったと思わずにいられない。言えないけど。
 宇宙でふたりきりのヒリとケティチェネと同じく、地球人で彼らとかかわったただふたりが逢空優梛とぼくだ。
 そのことを、見交わした眼差しで味わった。それは救いだった。それに、逢空優梛のおかげで考えが変わったこともだ。確かに無理やりヒリたちを消してしまおうなんて馬鹿げた考えだったし、それよりも、みんなが幸せになったほうがいい。なにより彼女が優しいことが嬉しかった。
 馬鹿げたといえば……と思い出して、ぼくは逢空優梛に頼み込んだ。
「あ。帰る前にうちに寄って、母さんの誤解といてもらってもいいかな……」
 彼女は笑って、いいよと言った。

10

 その後、なにもしなかったわけじゃない。
 ただぼくがあれこれ考えて眠り方を工夫したくらいではヒリは出てこなかった。
 数日後、またケティチェネが部屋に入ってきた。なにも言わず、ただぼくがヒリでないことを確認すると帰っていった。この前みたいに雲の上までぶっ飛ばされることはなかったけど、その時と同じくらい怖かった。
 もし本当にヒリのチップが故障しているんだとしたら、そんなものを直せる人は地球にはいない。そもそも信じてくれる人すらほとんどいないだろう。
 なにかヒントはないかと思って、スマホに残っている例の論文を読んでみようともした……けど、やるまでもなく無理だった。一流の専門家が心を病むレベルの未知の理論を何千ページも、しかも英語で。目でなぞるのすら難しい。
 と思ったけれど。
 あれ? 読める……?
 厳密にはちょっと違う。読んで理解できるわけじゃない。というより意味はさっぱりなのに、この文書を書いた覚えがなんとなくあるのだ。
「推測だけど……ヒリと俺の記憶が混線してるのかも」
「どうしてそのようなことが?」
 また翌日に現れたケティチェネに、ぼくは話した。
「前に、俺が起きてる時に説明のためってヒリが身体を動かしたことがあるけど、そのせいなのかな。不具合が起こるかもって言ってたし。だから」
 睨みつけてくる彼女に、改めて言う。
「君も、それはもうしないほうがいいと思う。出てこられなくなるかもしれない」
 ケティチェネはしばらく不機嫌そうに顔をしかめていたけれど。
 ふっと力を抜いて、ため息をついた。
「どうしてそれを?」
「え?」
「逆に誘導すれば、邪魔なわたくしを消せたかもしれないですのに」
「……逢空と決めたんだよ。君たちに協力する」
 ぼくがそう言うと、ケティチェネは悲しげに笑った。
「お優しいですのね、勝手にあなたがたに住みついたんですのに……でも、もういいのです」
「どうして」
「もうわたくし、目覚めたいとも思わない。いつもの時間に目が覚めても、ヒリ様は今日もいない。でしたら消えてしまいたい」
 心痛が激しすぎて自棄になっている。
 彼女は逢空優梛じゃない……のだけど、その顔は見ていたくない。ぼくは強く言い切った。
「話が早過ぎるよ。そう言って君が消えた次の日にヒリが起きるかも。安い悲劇みたいにさ、入れ違いになったら悲惨だよ」
「シェークスピアは安くありませんでしょう」
 ……ん?
 彼女の顔を見返しながら、ぼくは違和感に口ごもった。
「なんで……」
 ぼくらの言語を喋れてるんだから、自然と知ってるっていうだけかもしれない。ヒリは論文の送付先をちゃんと調べていた。いくらかは地球の情報も集めているのだ。
 だからケティチェネが古典文学くらい知っていても不自然ではないとも言える。
 でも、もしかしたら、ケティチェネが逢空優梛の記憶に混線し始めているのかもしれなかった。
 まさか、逢空優梛のほうが出てこられなくなることだってあり得る……のか?
 これまでとはまた別の不安と悪寒が身体を駆け抜けた。状況は想像を上回って切羽詰まっているのかもしれない。
「どうなさいました?」
 小首を傾げるケティチェネに、ぼくはうめいた。
「いや……なんでもない」
 伝えたからといってどうできるわけでもないし、そもそも本当にその恐れがあるのかも分からない。不安にさせてしまうだけだろう。ケティチェネの今の状態だと、本当に自暴自棄なことをしかねない。
 これは明らかな手詰まりだった。装置の不具合にしろ仕様にしろ理解できるのはヒリだけなのに、そのヒリが出てこられない。
「不用心なんじゃないか、ヒリは」
 つい口を突いて出た言葉に、ケティチェネが露骨に顔をしかめる。
「なにをおっしゃいました?」
「いやあの。でも、おかしい気がするんだ。こういう非常時にまったくなにも備えてないなんてあるのかな。これだけのことをできちゃうような技術者なのに」
 この際だからと、ぼくはケティチェネに問いただした。
「なにか言われてない? こんな場合にどうすればいいか」
 彼女は、しばらく考えた。
「そう言われましても。わたくし基本的に、ヒリ様のお言葉はほとんどすべて心地よい音楽としてしか認識しておりません」
「うわ。意外とさっきより怖い答えかも」
「だってヒリ様のお話、ことにお仕事については難しくて。わたくし初めてヒリ様の論文など目にした時は、一晩壁に体当たりを繰り返しましたわ。同僚の方々もそうしておられたようです」
「あ、なんだ……地球のレベルが低いわけでもなかったのか。ちょっとほっとした」
 それはともかく。
 なんていうのか、彼女、向こうではお姫様みたいなものだったんだろうか。地位の差のようなことを言っていたし。力はものすごくあるんだろうけどあまり役に立たない。
「でも」
 と、ケティチェネはようやく心当たりを見つけてくれた。
「わたくしたちの船に非常時の手引きがあるやもしれません」
「船? 宇宙船?」
 そういえばそんな話をしていたっけ。
「それどこかに隠してあるの?」
「はい」
「どこに。どっかの基地? あ、衛星軌道とか?」
 そんな宇宙船なんかを地上のどこかに隠せるとも思えなかった。そもそも見つからずにどうやって降りてきたのか。
「ええと……」
 彼女はすっと前に出ると、ぼくの前を横切って、ベッドのほうに向かった。
 そこで屈んで、頭からベッドの下に入っていく。
 しばらくごそごそやってから……
「ああ、もう。埃が。光太郎さん、お掃除係は雇っておりませんの?」
 文句を言いながらまた出てきた。
 その手に、黒い四角いものを持っている。大きさは弁当箱くらいだろうか。ぼくには見覚えがなかった。いつからそこにあったのかも分からない。
「これですわ」
「あ……宇宙船との通信機かなにか?」
「いえ、これです」
 ケティチェネは念入りに繰り返した。装置の表面から、嫌そうに埃を払いながら。
 少し間をおいてから、ぼくは理解した。
「え、これが宇宙船なの?」
 まじまじとぼくはそれを見直した。
 形状は、なんの凹凸もない黒い板だ。ぼくが想像する宇宙船っぽいもの――噴射ノズルとか窓とか、その手のものはなんにもない。まあ、逆にSFっぽいといえばSFっぽい。
 ケティチェネから受け取って、ぼくは何度も裏返しながら観察した。何回か引っくり返すとどっちが表だったかも見分けがつかなくなった。
「……でも、そうか。小さいチップ二枚載せて飛んできただけなんだっけ」
「去年ふたりで目覚めた時に回収しました。それまでは病院の物置に置いてあったのですが」
「それ、捨てられちゃったらどうする気だったの」
 呆れながらぼくは言ったけど、ケティチェネはあまり気にしていなかったようだった。
「この星に存在する手段では破壊できません。ですので、惑星外に投棄されなければ必ず回収はできます」
「そんな不思議な物体なら国とかが保管しちゃったかもしれないよ」
「そうされても、どうせもう動かせませんから。起動させるのも星の爆発を利用したほどです。四百年の旅のほとんどは、それを加速するのに要した年月です。超光速移動はあっと言う間ですけれど、エネルギーはすべて使い切りました」
「じゃあこれは、なんにも使えないの?」
「と思っておりましたが。でも光太郎さんがおっしゃられるように、ヒリ様が緊急事態の回復策をなにか用意しておられたかも」
「どう使えばいい?」
「船の頭脳がまだ生きているとしたら、わたくしたちのチップはアクセスできますわ。でも、パスコードはヒリ様しか……」
「じゃあ手詰まりは変わらないのか」
 失望を感じつつ、船……というのか板というのか。それを見やる。
 見ているうちに。
「……あれ?」
 なにかを覚えている気がした。
 そもそもここに船があったことも知っていた気がする。ケティチェネに言われなくてもきっとそのうち思い出して手に取っていたのだろう。
 記憶の混線だ。ぼくは逆らわずに思い浮かんだままを口にした。
「銀の姫。永遠の約束。キミのために」
 その途端、ぼくは身体が軽くなったと思った。
 でも実際には落下していた。床に倒れたのだ。

11

 本来は静かな場所だったはずだ。
 と、ぼくは思った。
 壁も天井も床も染みひとつない白一色で、全部がなだらかな曲線で出来ている。継ぎ目というかどうパーツ分けしたらいいのかすら分からないので、自然の洞窟みたいでもあるけど、はっきりとそれは人工建造物の内部だった。
 広い。この建物自体が途方もなく大きいんだろう。誇張じゃなくビルがすっぽり入るくらいのスペースがある。でも窓はない。外の様子も分からない。ただなにか……通路の遥か先からなんだろうか、うねるような音が響いてきている。
 おおおおおん……というような。
 何度かそれを聞いて、分かった。悲鳴と嘆きの声だ。
 この建物の外はきっと、絶望した人々でいっぱいなんだろう。それもちょっと想像できるような人数じゃない。星中すべてが大き過ぎる嘆きで埋め尽くされてしまうくらいに。
 だだっ広いその屋内に、ちょっと不釣り合いな設備が並んだ場所がある。ぼくのすぐ目の前だ。半透明のカプセルのようなものが並んでいて、中央にはテーブルがある。そのテーブルにもなんだか複雑なコードみたいなのがたくさんつないであるから、ただの台ではないんだろう。
 そのテーブルに見覚えのあるものが置いてあった。漆黒の四角い板。ヒリたちの船だ。
 船を睨んで、吐き捨てるように叫ぶ人がいる。
「ボクの計画なら、あと何百人かは助けられるのに」
 若い男だった。若いというか……ぼくと同じくらいの歳だろうか。見た目にはそれほどの特徴もない。白衣のようなものを着ていて、医者みたいに見える。
 あとになって思うと、これは単にぼくの理解力の限界で、もっとわけの分からない格好をしていたのかもしれない。でもとりあえず今見られるのは、そんな姿だった。そしてぼくは教えられたかのように理解した。これはヒリだ。生前の……ヒリ。
 テーブルの前で力なく拳を握って、うめいている。
「この宇宙のどこかにはボクらと同等以上の能力を持った人類がいるはずだ。彼らの脳を少し借りるんだ。船にはまだチップを積める空きスペースが――」
「この宇宙のどこか、その旅にはどれだけかかる? 探すだけでも気が遠くなる」
 もうひとり人物がいた。
 こっちは完全に誰か分からない。兵隊っぽい格好をしている。
 彼はヒリを同情的に見やって、かぶりを振った。
「志願者はいなかった。仕方ないだろう。身体を捨てて、拷問のような永遠の時間、宇宙を彷徨うなんて」
「永遠の約束なんだ」
 ヒリがその言葉を噛みしめるように言うと、もうひとりはもう一度首を振った。
「君と、銀の姫にとってはな。俺は無理だ。恐ろしいよ」
 と、カプセルのひとつを見やる。
 半透明のカプセルの中に、女性がひとり浮いている。中に液体が満たされていた、
 綺麗な人だ。気品があるっていうのか、特別な人だと感じられる。言うまでもないか。ヒリもカプセルの人を見つめた。ケティチェネだ。
「耐えてみせる」
「幸運を祈るよ」
 兵士はそう言って、その場を立ち去ろうとした。ヒリが呼び止める。
「どこへ行くんだ」
 彼は止まらなかった。そのまま外へ――なんだろうけど――歩いていく。
「エガンボイドの最期を看取る。ヒリ、お前たちの分も。元気でな」
 その姿が遠ざかると、彼は忽然と消えた。なにもない場所に見えて、移動システムは徒歩じゃないらしい。まあ関係ないけど。
 ひとり残されてヒリは、カプセルに向き直った。
 表面に触れて、額を押し付ける。小さいつぶやきだけどぼくにははっきり聞き取れた。
「ケティ。ボクらはようやく解放される。とうに寿命の尽きたこの星を維持するだけの役目から。力の及ばなかったボクらへのご褒美なのか、それとも罰なのか……」
 顔を離して、彼はたっぷりと愛おしげに彼女を見やった。
「ボクはキミとともに生きる、ただそれだけのために宇宙を渡ろう。ふたりだけの時を生きよう。ただし……許されたなら」
 ぼくはただそれを見守るしかなかった。というより、夢を見ているようなもので、自分の身体がそこにあるのかどうかも分からずにいた。
 はたと気づく。ヒリがこっちを向いた。その途端にぼくは、自分の身体を自覚した。ぼくもそこに現れたのだ。ぼくとして。
 ヒリは微笑んだ。
「これはただの記憶だ。特に意味はない。ボクも、この当時の記憶と思考を再生しているだけで、本物のボクじゃない」
「本物のヒリは……?」
 質問に、ヒリはぼくを指さした。
「キミの中で眠っているはずだ。キミがここに来たということはね」
「チップっていうのが故障かなにかして――」
「いや、そうならここにアクセスできない。違うと思うよ」
 あっさりと否定する。
 それで分かった。ヒリは非常時に備えていたんじゃない。予定通りなんだと。
 ぼくは訊ねた。
「許されたらっていうのは?」
「数百年の航海中、ボクらは肉体もなく、休眠もできない。正気を失う危険性がある。これは安全装置というか、保険なんだ」
 説明しながらヒリは今度はテーブルの上を指し示した。彼の作った船だ。今はぼくの部屋にある宇宙船。この当時は、何百光年も遠くにあったんだろう。
 ヒリは続けた。
「バレずに済むならいいけど、水準以上の知性体の身体を借りる以上、いずれそうもいかないだろうと考えていた。キミがボクの存在を認識することがトリガーで、やがてボクは出現できなくなる。もしキミがボクを……救ってくれようとするなら、きっと船にアクセスすることを考え付くだろうと」
 少し間を置いたのは、ぼくが理解しているかを確かめるためだろう。
 彼はゆっくりと、一番大事なことを口にした。
「キミはここで決めることができる。今のままボクを眠らせておくか、回復させるか」
 ぼくはまだなにも言えなかった。一気に重いものを委ねられて。
 ヒリは急かさなかった。静かに語り続ける。
「ボクらは後悔しないけど、キミたちには拒否できるチャンスがないといけないと考えた。ボクが気を変えたりしないように、この仕組みの記憶はチップには残していない」
「これって逢空とケティにも同じことが?」
「そうだね。というより、彼女のほうも同意してくれないうちはボクも回復しない。ふたりともでなければボクらは消えたほうがいい。できればキミはネタばらしせずに誤魔化しておいて欲しいけど」
「でもケティはこれ以上待たされると本当にブチギレるかも」
「ケティには、数日以内にボクがもどるとだけ伝えてくれればいいよ」
 淡々とした、本当に医者みたいな口調だった。さっきまでの、魂まで捧げるような言葉を聞いた後だと余計に。
 きっと、ぼくの決断を尊重するということなんだろうと思った。どっちに決めても恨みはしないと。
「なんだか立派過ぎるな」
 嘆息まじりにぼくが言うと、ヒリはにやりとした。
「どうかなあ。多少、同情を誘う効果も狙ってはいるし」
 あたりを示す。星の最後のひとときを。
 ぼくはうなずいた。
「答えはもう出してたんだ。だから……一緒にいよう、俺たち」
「ありがとう。本当に」
「でもその代わりってわけじゃないけど、ひとつだけ訊いてもいいかな」
 ん? と声をあげるヒリに、ぼくは愚痴を言った。
「ちょっと自信がなくなっちゃったよ。もともと感じてたけど、余計にこんなもの見せられたら。宇宙だとか破滅だとか……永遠の約束だとかさ。壮大だ。俺にはそんなのないじゃないか。誰かを好きになったとしてもさ。どうすればいいんだよ」
「キミの星には破滅はないの?」
「……多分。まあ、今のところは」
 うん。まあ、多分、ない。とは思う。
 するとヒリは笑い出した。
「じゃあそのほうがいいじゃないか。未来がある。ボクらにはないものだ。運命や永遠よりもずっといいものだよ」
「でも後押しがないだろ。ちょっとしたことで嫌いにもなるだろうし、そもそも好きだって言ったって、駄目かも」
「傷ついてみるだけの価値はあるよ。逢空優梛なんてそうでもないとキミが思うなら話は別だけど」
「…………」
 ぼくはヒリを睨みつけた。
 とぼけた顔をしたヒリを。
 そして彼はあたりの景色と一緒に、ぼんやりと消えていった。

 意識がもどると、そこはぼくの部屋だった。
 天井を見上げて床に倒れていた。身体を揺さぶられている。ケティチェネ……と思ったけど、違う。逢空優梛だ。
「きゅー太郎……きゅー太郎! 起きて!」
 咄嗟に時間を見た。まだ真夜中過ぎ。ケティチェネが来て、この船の話をして、倒れてから……五分も経っていない。
 逢空優梛にしてもいきなり自分にもどったんだろうけど、急にぼくの部屋にいるってことも気にせずに、すっかり夢中になっているようだった。
「ねえ、あのね。夢を見たの。すごいの。ケティがいて……ケティを見たの! ヒリも」
 彼女も同じものを体験したんだろうか。多分そうだ。一緒にいたから、装置が同時に発動したってことか。
「前の星にいた頃のケティに言われて……わたしが決めてって。それで」
「逢空」
 ぼくは、逢空優梛の揺さぶる手を取った。
「な、なに?」
 逢空優梛が目を丸くする。
 それを見返して、ぼくは言った。
「逢空……言いたいことあるんだ」
「今?」
 と、彼女はあたりを見回した。
 急に気づいたようだった。ここはぼくの部屋だし、真夜中だし、寝間着だし、どうやって帰ろうかとか、現実的なことを。
 でもぼくは、そういうことは忘れた。
「今じゃなくちゃ多分無理だ」
「う、うん」
「俺……」

12

 夜中に目が覚めると、ぼくは屋根の上にいた。
 でも、もう驚きはしなかった。
 敷物の上で、ただ毒づいた。
「あいつ、ここでもどりやがった。どうすんだよ屋根の上で……」
 ふふっという可愛い笑い声がそれに答える。
 逢空優梛だ。ケティチェネじゃない。彼女も同じくここでもどってしまったらしい。
 ぼくのすぐ横で、逢空優梛はこう言った。
「わたしがケティに頼んだの」
「え」
 彼女はぐいっとぼくの腕を引き寄せた。
「あんまり自慢するんだもの。ふたりで星を見るのを」
 と、肩にもたれて空を見上げた。
 ぼくらふたり、いやふたりじゃないかもしれないけど、しばらく黙ってそうしていた。


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