見出し画像

【短編】『地下芸人 ~バーニング岩田単独ライブ編~』おぎぬまX

おぎぬまXさんの短編小説『地下芸人 ~バーニング岩田単独ライブ編~』を公開いたします。本作品は「地下芸人」(集英社文庫)の前日譚にあたりますが、「地下芸人」を既読の方はもちろん、これから読もうかなという方も、ぜひご一読ください!

画像1


ーーーーーーーーーーー

二月二十一日

〈1〉

チンという音が鳴ると、マンガを読みながら寝っ転がっていた僕はのろのろと立ち上がり、キッチンへ向かった。
暖房が効いているリビングと、そうでないキッチンでは別世界のような温度差がある。寝巻きに裸足の状態だった僕は、氷のように冷たくなったフローリングを爪先立ちで歩き、冷蔵庫の上に置かれた電子レンジの中から解凍されたおにぎりを二つ取り出した。
「あっちぃなぁ……」
 加熱し過ぎてパンパンになった包装フィルムの端をつまんでリビングに戻る。
先日、コンビニでアルバイトをしている後輩から、廃棄品の弁当やらおにぎりを大量にもらった。それらは全て冷凍庫に保管して、腹が空くたびに美味そうなものから食べ漁り、今回の「ゴロっとジャーマンポテトむすび」と、「直巻きラタトゥーユむすび」が最後に残った二つであった。
リビングに置いてあるローテーブルは、漫才の台本を書くためのノートパソコンや、何十冊も積み重なったネタ帳に占領されているので、僕は布団の上であぐらをかくと、そのままおにぎりの包装紙をビリビリと破いた。
包装紙の裏に書かれた消費期限を何気なく見る。日付は今日より十日前の二月十一日だったが、売れない芸人の僕がそんなことを気にする余裕はない。過去の経験から、消費期限は一ヶ月までなら過ぎていてもセーフだと考えている。なので、このおにぎりのデッドラインは三月十一日ということになるが、そこすら過ぎても気にしない人間が、僕の周りにはたくさんいる。

僕の名前は小田貞夫。今年で芸歴十年目になるお笑い芸人だ。中学時代からの友人であり相方の広瀬涼と「お騒がせグラビティー」というコンビを組んでいる。
フォーミュラーという小さな芸能事務所に所属しているが、残念ながら未だ売れる気配は全くなく、今日は月の半分以上あるオフの日を過ごしているところだ。
冬の寒さと、うだつの上がらない毎日。この季節はどうしても気分が落ち込みやすくなる。むしゃむしゃとおにぎりを頬張りながら、僕は最近芸人を辞めた先輩のことを思い出した。
その人は「三十歳になっても売れなかったら引退する」というのが口癖だったが、三十を過ぎても泣きの一年を繰り返し、結局三十五歳になるまで芸人を続け、先日とうとう引退することになった。コント師だったこともあり、今は大量の小道具や衣装をどう処分していいか分からず四苦八苦しているという。
その先輩に限らず、冬に引退を決める芸人を僕はたくさん見てきた。年に一度ある賞レースが一通り終わって燃え尽きる時期なのかもしれないし、人生を見つめ直してしまう時期なのかもしれない。
先日、屋外で開催された餅つき大会の営業で、舞台の上で寒さに震えながら漫才をしたら、最前列の子供につきたてのお餅を投げられた。帰りに公園の水道水で、舞台衣装のスーツにベトベトに張り付いたお餅を洗い流してる時、僕も危うく芸人を辞めかけてしまった。

二つ目のおにぎりを食べながらスマホをいじり、時間を確認すると夕方五時を過ぎたところだった。これを食べたら出かけようと思っていたら、突然スマホの画面が切り替わった。
 ディスプレイにはバーニング岩田という名前が表示されている。先輩からの電話だった。
岩田さんは元々は僕が所属している事務所の先輩だったが、度重なるライブの遅刻が原因で数年前に事務所をクビになり、現在はフリーで活動しているピン芸人である。芸歴は十一年目で僕より一年長い。
僕はとっさに着信に応じた。
「おお〜、オダ〜! 今、電話大丈夫かぁ?」
スピーカーから岩田さんの大声が鳴り響く。
「お疲れ様です。あ、はい、大丈夫です。どうしました?」  
岩田さんが事務所を辞めてからはあまり連絡を取り合ってなかったが、久しぶりに飲みの誘いだろうか。
岩田さんは酒に酔うと面倒くさいところがあり、ちょっとだけ飲もうと誘っておいて、終電まで飲むのは当たり前で、その後、岩田さんちに連れ込まれて、翌日の夜まで付き合わされることがしょっちゅうなので、僕は慎重に相手の言葉を待った。
「オダ〜! 今日、俺の単独ライブがあるんだけど、知ってた?」
「え?」
 予想外の言葉に慌てた僕は、通話中のスマホを操作して、ツイッターから岩田さんのアカウントをチェックする。
岩田さんのことはフォローしているが、現金や最新ゲーム機が当たるなどといった怪しい懸賞系ツイートを拡散ばかりしているのが鬱陶しく、しばらくミュートにしていたのだ。
まさか、今日が岩田さんの単独ライブの開催日だったとは。それならそれで、こんな時間に僕に電話をしてる場合なのだろうか。
「あぁ〜、はいはいはい……」と相槌を打ちながら、一番上に固定されたツイートに目を通す。

—————————————————————
【超絶拡散希望伝説!!!!🔥🔥🔥】
『第五回 バーニング岩田単独ライブ 〜燃えよ、バーニング〜』
日程・2月21日
場所・中野芸能ホール
時間・18:00開場/18:30開演
料金・前売り1500円/当日1800円

本日!!!!🔥🔥🔥
みんな絶対来てくれーーーーーー!!!!!!
うおおおーーーーーっっ!!!!!

#拡散希望 #一生のお願い #切実 #伝説 #みんなを信じている #来れる人はDMください  #🔥
—————————————————————

「…………」
 暑苦しい告知文に僕は思わず目を細めた。岩田さんのアカウントでは、単独ライブ当日だというのに、今日だけで十回以上の告知ツイートが繰り返されている。集客は相当厳しいことが予想できた。
「客がいなさすぎてヤバイ! 今日空いてたら観に来て欲しいんだが、どうだオダ〜!?」
岩田さんの直球すぎるSOSに僕はなんて返事をしていいか迷った。おそらく、僕以外にも芸人仲間に手当たり次第、電話で呼びかけをしているのだろう。集客の大変さは痛いほどわかるが、困ったことに僕は今日、別のライブを観に行く予定があった。
「あの……めちゃくちゃ行きたかったのですが」
「んん?」
「今日は新宿で“一騎笑千“を観に行くつもりで……」
「“一騎笑千“だぁ〜?」
 岩田さんの声がますます大きくなる。一騎笑千とは、イベント制作会社が主催しているお笑いライブで、各事務所の実力派芸人が多数出演する、お笑いファンにも芸人自体にも人気のライブである。
売れない芸人が一騎笑千に出演することは、ネクストブレイクを期待された証とも言えて、ライブシーンでの実力を測るステイタスのようなものとなっていた。それ故に、一度も一騎笑千に呼ばれたことがない岩田さんは、一騎笑千の運営陣や、出演者を目の敵にしている。
「す、すみません。今日は同期の“南極“が出るんですよっ」
「南極? 南極って、俺と同じくらいの時期に事務所を辞めた、あのコンビか?」
「そうです」
 南極とは、僕の同期の芸人で、岩田さんと同じく数年前に事務所を辞めて、現在はフリーで活動している。もっとも、南極はマネージャーとの人間関係が原因で自ら退所したが、岩田さんの場合は営業やオーディションはおろか、自身の単独ライブまで寝坊するような、遅刻癖が原因でクビになったわけだが。
「南極のやつら、フリーになっても頑張ってるみたいで。すごいですよね、一騎笑千に出るなんて」
 僕が芸人の養成所を卒業した時、一緒に事務所に所属した同期は十組いたが、そのほとんどが数年以内には引退をしてしまった。だからこそ、事務所を辞めたとはいえ、今も生き残っている同期の活躍には胸が熱くなる。
「ふん、南極っていかにも運営が好きそうなネタしてるもんなぁ」
「まあまあ……」
 僕の思いとは裏腹に、僻みのような言葉を口にする岩田さんをそっとなだめる。
「なるほどな。で、お前は数年に一度の先輩の単独より、毎月開催されるそっちのライブを選ぶってわけかい!」
「いやいや、そんな言い方っ。それに今回は南極が……」
「物理的に来るのが無理なら諦める! ただ、そうでないというならば、めちゃくちゃ来て欲しいーー!」 
「えぇっ……物理的なんて話をしたら、大抵の理由が通用しなくなるじゃないですか」
「めちゃくちゃ、めちゃくちゃ来て欲しいーー!」
「…………」
どれほど追い詰められたら、人はここまで図々しくなれるのか。文字通り絶句した僕は、先輩との電話だというのに数十秒間に渡って沈黙してしまった。ずるいのは、岩田さんのこういった無茶苦茶な言動はどこか憎めないところがあることだ。
「めっちゃくちゃ! めっちゃくちゃ! めちゃくちゃ、めちゃくちゃ、来てほしいーっ!」
 なぜか三三七拍子のリズムでライブの勧誘をする岩田さんに、僕の心はとうとう屈してしまった。
「わかりました……行きます」
「マジかぁ〜! バーニンキュ〜ッ!」
 駄々をこねた末に玩具を買ってもらった子供のように、岩田さんが無邪気な声ではしゃいだ。ちなみに“バーニンキュ〜“とは、バーニングとサンキューを組み合わせた岩田さんの造語である。
「なあに、南極はきっと今後も一騎笑千に出続けるさ。今回は俺の単独を目に焼き付けてくれいっ!」
 手の平で自分の胸でも叩いたのか、岩田さんの言葉の後にペチンという音が鳴った。
「はい……。場所、中野ですよね。それじゃ、そろそろ出ないとなので」
「オッケ〜! 実は重大発表もあるのよ、そんじゃ劇場でなぁ〜!」
 岩田さんとの通話が終了し、僕は思わず布団に倒れ込んだ。なんだかんだ言いくるめられて、岩田さんの単独ライブを観に行くことなってしまった。
数秒間、目を閉じ、深呼吸をして気持ちを切り替えた僕は、勢いよく立ち上がると着替えをすませた。

〈2〉 

家を出る寸前に、一人で岩田さんのライブに行くのは心細く感じた僕は、なんとなく道連れに後輩の芸人に電話をかけることにした。数回のコール音の後、相手が着信に応答する。
「お疲れ様です! まさおです」
「おおー、ごめんね急に。今平気かな?」
「おす!」
 電話に出たのは、芸歴三年目の“ギャグアルケミスト・まさお“というピン芸人だ。
マネージャーが意図して振り分けているのか、ハードな仕事に駆り出される芸人はおおよそ決まっていて、まさおとはよくキツい営業で一緒になることが多かった。先日の餅つき大会の営業でまさおは、ネタ中に観客の誰かが放った犬に襲われて、持ち時間を大幅に余らせて舞台裏に逃げ帰ってきた。
「あのさぁ、今日って空いてる?」
「え、今日ですか? 今日は一騎笑千を見に行くつもりなので、その後なら大丈夫ですよ!」
「お前もかぁ……」
 まるで、ついさっきまでの自分と電話をしているようで、ため息が出る。
「あ、オダさんも観に行くんですか? それなら、どっかで待ち合わせて一緒に行きましょうよ」
「いや、俺もそっちに行きたかったが、バーニング岩田さんの単独ライブと被っててな」
「はあ……あの人、今日単独なんですか」
 まさおが特に興味もなさそうに答える。
「よかったらさ、一緒にそっち観に行かないか?」
「え? ……絶対嫌ですよっ!! あの人の単独って毎回、地獄みたいな内容じゃないですか!!」
 まさおは、自分が好きな芸人と嫌いな芸人とで、露骨に接し方を変えるところがあるが、岩田さんに対する拒否反応は異常だった。
「まあ……ほら、岩田さんもまさおと同じくピン芸人だし、勉強になるんじゃないかなぁ」
「ちょっと、オダさん! 舞台で全裸になったり、物販コーナーで自分の金玉袋を写した魚拓を売ったりして、あちこちの劇場を出禁になってるような人と、僕を一緒にしないでくださいよ! 僕、ああいう芸風、本当に苦手なんですよ!」
「ああ、バーニング袋ね。あれは最悪だったなぁ……」
「ていうか、今日はせっかく同期の南極さんが出るんですから、オダさんもこっちに来ればいいじゃないですか?」
「う〜ん……」
 後輩のまさおを誘おうとしたのに、いつの間にかに立場が逆転していた。ライブの満足度は絶対に一騎笑千の方が上だが、岩田さんの言うように、確かに同業者の単独ライブは無理をしてでも駆けつけたい気持ちもあった。
ともかく、まさおを連れて行くことは不可能だと分かったので、ほどほどに電話を終えると、僕は最後に別の人間に電話をすることにした。
 なかなか電話に出ないのでバイト中かと思った時、のんびりとした声が聞こえてきた。
「もしもし〜、オダちゃん?」
「広瀬、今平気か?」
「うん、今バイト終わったとこだよ」
 電話に出たのは、僕の相方である広瀬涼だ。
「いや、今日さ。バーニング岩田さんの単独ライブがあるんだけど、よかったら一緒に観に行かないかぁって思ってさ……」
「いいよーっ」
少しの間もなく広瀬の答えが返ってきた。本来、こういう時に実感するものじゃない気がするが、広瀬のような人間とコンビを組めて、心からよかったと僕は思った。

夕方六時十五分。中野駅の改札を出た僕は、待ち合わせ場所である北口に向かって歩いた。きょろきょろと辺りを見渡すとすぐに広瀬が見つかった。
「オダちゃん、オッス〜」
 先に到着していた広瀬は、駅前の商店街で買ったのか、食べかけのたい焼きを持っている。
広瀬と合流した僕は、二人で話しながらサンモール商店街に入った。岩田さんの単独ライブとなる中野芸能ホールは、この商店街を抜けたらすぐのところにある。
「そういえば、岩田さんがさぁ、電話の最後に重大発表があるとか言ってたな」
僕はふと思い出したことを広瀬に伝えた。
「重大発表? テレビに出るとか?」
「いや、どうかなぁ……芸名を変えるとか、そんなところじゃないかな」
 岩田さんはデビュー当時、トルネード岩田という芸名だったが、姓名判断で画数が悪かったという理由で突如、バーニング岩田に改名したことがあった。しかし、改名後も芽は出ず、今度はシャイニング岩田に改名しようとしたが、マネージャーにホームページのタレントページを更新するのが面倒という理由で却下され、現在の芸名に落ち着くことになった。
「辞めるんじゃない、芸人?」
 突然、広瀬が予想外のことを口にした。
「え? あの岩田さんが? なんで?」
「いやぁ、なんとなく」
 うーん、と言いながら僕は顎に指を添えた。僕のイメージでは、繊細な人や現実的な人ほど芸人を辞めやすい。ガサツで次の食事までのスケジュールしか把握してなさそうな岩田さんは、引退とは対極に位置するような人間に思えた。
 そんなことを話してるうちに、中野芸能ホールに到着した。
受付などのスタッフは、何度かライブで共演したことがあるフリーの芸人が任されていた。事務所に所属している芸人は、単独ライブの手伝いを後輩たちに任せられるが、岩田さんのようにフリーの芸人は、独自の人脈でお互いの主催ライブを助け合っているようだった。
「おつかれ」
 スマホに夢中でこちらに気づいてない受付に僕は声をかけた。
「あっ、オダさん! お疲れ様です。ああ、広瀬さんも!」
「うすうす〜」
 僕の後ろにいる広瀬が受付に手を振った。料金を支払って、ライブのポスターとアンケート用紙を受け取る。
「どんな感じ?」
 なんとなく受付の芸人に現場の状況を聞いてみた。受付は心底苦しそうな顔をして、首を左右に振る。
「地獄っす」
受付に誘導され、劇場への扉の前まで移動する。客入りの曲だろうか、扉の奥から岩田さんが好きな特撮ソングが流れているのが聞こえる。受付が扉を開くと同時に、僕たちは劇場に足を踏み入れた。

〈3〉

「はぅぁっ……」
 思わず変な声が出た。僕たちの目に飛び込んできたのは、最前列に不自然に座らせている数人の客と、百席以上の空席だった。
 想像以上の客の少なさに背筋が冷たくなった。広瀬と舞台から少し離れた席に座ろうとしたら、最前列の客の一人がこちらに振り向き、声をかけてきた。
「あ、すみません。前から詰めて座ってください、とのことです」
「はぁ」
 彼もフリーの芸人なのか、おそらくは岩田さんに会場整理兼観客を任せられているのだろう。僕と広瀬は指示に従い、最前列のど真ん中の席に腰を下ろすことになった。
時刻は六時半。まもなくライブ開演のはずだが、観客の数は僕と広瀬を抜くと僅か七人だった。僕の右隣には広瀬が座り、左隣には茶髪の若い女性が座っている。さきほど声をかけてきた者のように、芸人をやってそうな者もチラホラ見える。中には、来てくれれば本当に誰でもよかったのだろう、顔を真っ赤にして明らかに酔っ払っているおじさんが、開演前だというのにすでに眠りこけていた。
 今回、岩田さんが会場に選んだ中野芸能ホールは、お笑いライブ以外にも、普段は落語など演芸全般で使用されている中野区の区立施設である。広々とした舞台に、百以上ある客席、駅から徒歩五分のアクセスを兼ね備えている芸人御用達の劇場で、客席は映画館のように折り畳み式の座席が傾斜をつけて並んでおり、ミニシアターのような構造になっている。
 そんな立派な劇場を、どうして岩田さんのような無名な芸人が使えるかというと、理由は一つ、安いからだ。
 中野芸能ホールのような区立施設は、利用申請者がそこの区民である必要があるが、一般のライブハウスより安い値段で、倍近いキャパシティの劇場を借りることができる。
 芸人が好んで使うそういった劇場は、中野の他にもいくつかあるが、問題は集客力がない芸人が使ってしまうと恐ろしいほどに空席が目立ってしまうことだ。
しばらく空っぽの舞台を見つめていた僕は振り返ると、今度は舞台反対側の空席の丘に視線を移した。客席後方には「関係者席」と張り紙された席が一列設けられていたが、そこに座っている者はだれもおらず、空調のせいでわずかに揺れている張り紙が、なんとも言えない切なさを醸し出していた。
こんなことなら、たとえ割高でも客席数が少ない劇場を選べばよかったのに……そんなことを思っていたら、客入りの曲のボリュームが上がり、会場内の照明が落ちて真っ暗になった。どうやら、いよいよライブが始まるらしい。僕は視線を舞台に戻すと、岩田さんの登場を固唾を呑んで待ち続けた。
「第五回 バーニング岩田単独ライブ……燃えよ、バーニング!!」
岩田さんがマイクでライブのタイトルを叫ぶと、特撮ソングがフェードアウトし、舞台の照明が一斉に点灯する。しかし、おかしなことに岩田さんはいつまで経っても出て来ないで、舞台は空っぽのままであった。
 さすがに客席がざわつき始め、僕も隣の広瀬と顔を見合わせた。その時、客席後方にある劇場の出入り口が勢いよく開いた。
「みんな〜〜!! お待たせ〜〜!! バーニング岩田だよ〜〜っっ!!」
 筋トレが趣味のため、ボディービルダーのように引き締まった肉体に、ブーメランタイプの海パン一丁の姿で岩田さんが登場した。
「史上最強のエンターテイメントショーの始まりだぁーーーっ!!」
岩田さんが猛スピードで劇場の入り口から舞台に向かって走り抜ける。そのまま、舞台に飛び乗るかと思いきや、岩田さんは舞台の直前で急停止し、最前列に座っている僕たち観客を、まるで猛獣が獲物を狙うかのような表情で一人一人凝視し始めた。
 何をされるか分かったものじゃないので、僕も広瀬もとっさに岩田さんから目を逸らす。
「君たち〜〜っ、バーニング岩田を大好きそうな顔をしているねぇ〜」
 そう言うと、岩田さんはどこからともなく写真の束を取り出して一枚一枚、観客に向かって配った。自分に配られた写真を見たら、全裸の岩田さんが薔薇を咥えているプロマイド写真だった。隣の広瀬は、おしゃぶりを咥え、ガラガラを握って赤ちゃんのコスプレをしている岩田さんという、意味不明の写真を強引に握らされていた。
 一体どれだけの人数が集まることを予想していたのだろうか、全ての観客に写真を配り終えた岩田さんの手元には、まだ百枚以上の写真の束が残っていた。
「プレゼント フォー ユー!」
「ひっ……」
 嫌な予感はしていたが、岩田さんは残った写真の束を、雑に僕に手渡すと、ようやく舞台に上がった。
「改めまして、自己紹介! 燃える芸人! バ〜〜ニング岩田で〜〜す!」
 岩田さんが童謡の「いとまきまき」の振り付けのように、自分の胸の前でぐるぐると両手を高速回転させる。これが岩田さんのお気に入りの決めポーズだった。
そもそもこの動作は、岩田さんの芸名がトルネード岩田だった時代に考案されたもので、両手の高速回転は竜巻を意味しているらしいのだが、岩田さんはよほどこのポーズを気に入ったのか、それともただ単に新しいポーズを考えるのが面倒だったのか、バーニング岩田と改名した後も、一連の流れを貫いている。おかげで、ほとんどの客が、どうして岩田さんが両手を高速で回転させるのかピンとこないまま、ネタに突入する。
単独ライブということもあり気合いが入っているのか、岩田さんはマグロを釣り上げるリールのように目に止まらぬ速さで両手を回転させ続ける。とその時、拳がたまたま岩田さんの顎に抉るようにぶつかった。
「かぱッ……」
岩田さんはクリーンヒットをもらったボクサーのように、一瞬白目を剥いて気絶をしかける。膝をついて崩れかけそうになった寸前でなんとか意識を取り戻し、踏ん張ったかと思えば、今度は何事もなかったかのようにオープニングトークをし始めた。
「ちょっと……もう」
思わず困惑の声が出てしまった。まだライブが始まって一分も経ってないというのに、あまりの情報量の多さに、僕の頭はすでについていけなくなってしまっている。
この世で、ライブ早々に気絶しかける芸人がどこにいるのだろうか。それも不慮の事故でもなんでなく、何百回とやってきた自分の決めポーズの誤爆が原因で。もっというと、舞台上のトラブルは笑いに変えればいいのに、なぜか何事もなかったかのように平然とオープニングトークに移行するのも不気味だった。
岩田さんはトイレが楽屋から離れたところにあるライブに出演した時、何回かあったトイレチャンスを逃して舞台に上がるはめになり、ネタ中にお漏らしをしたことがあった。その時は笑顔でわざわざ客席に向かって「漏らしました」と報告するような男だったのに、なぜ舞台上で気絶しかけることは“恥“だと思ったのか。観客に悟られぬべきなのは絶対に気絶より、お漏らしだと思うのだが、岩田さんの舞台に対する美学は常人には理解できない。
そんなこともあり、岩田さんのオープニングトークはまるで頭に入ってこなかったが、どうやら今までやってきたネタの中からお気に入りのネタを揃えた、ベストネタ形式のライブとなるらしい。
芸人の単独ライブでは、単独のために準備したネタをおろす新ネタ形式と、過去のライブで人気だったネタを揃えたベストネタ形式の二種類がある。岩田さんがベストネタ形式の構成にしたのは、事務所を辞めてからは年に一、二本くらいしか新ネタを作らなくなったからだろう。
「いやぁ〜、今日はようやく付き合えた彼女も来てるんでね。絶対にスベらないぞ!」
 岩田さんが突然、謎の宣言をした。なぜ客席に女性が一人しかいないライブで、オープニングからそんなことを言う必要があるのだろうか。
僕はついつい隣に座っている女性を横目で見てしまった。岩田さんより十歳は若そうな茶髪の女性が、不意の客いじりに困ったのか顔を伏せている。岩田さんのことだから、本当にただただ彼女ができたことを自慢したかっただけなのかもしれない。電話で言っていた重大発表が、このことではないことを僕は祈った。
こうして、バーニング岩田さんの単独ライブの幕が上がった。

〈4〉

一度舞台が暗転し、しばらくの間を置いて明転する。
一本目のネタが始まろうとしていた。
さきほどとは違い、Tシャツと半ズボン姿の岩田さんが舞台中央に立っている。
「う〜ん……なんだか最近、誰もいないところで、変な声が聞こえるなぁ〜」
 観たことがある導入だったので、心の中であのネタかと呟く。
ある日、岩田さんのお腹のシックスパックに、それぞれ六つの人面瘡が浮かび上がってしまったという設定で、最初はあれやこれやと話しかけてくる人面瘡に困惑するが、女心が分かっている人面瘡や、株に詳しい人面瘡などの助言を借りて、彼女を作ったり、金持ちになろうと奮闘するコントだ。
「?」 
僕は隣に座っている岩田さんの彼女らしい女性が、ネタが始まってから、ずっと顔を伏せていることに気がついた。あまりジロジロ見るわけにもいかないが、視界の端に映る彼女は、明らかに舞台より低い位置に視線を落としている。
体調が悪いのか、それとも自分の彼氏のネタを直視することに照れでもあるのだろうか。
「あっれぇ〜? おっかしいなぁ? なんか、服の中から声が聞こえる気がするなぁ〜っ? うりゃ!」
 岩田さんがTシャツを力いっぱいまくり上げた。次の瞬間、岩田さんのシックスパックにそれぞれ貼られた人面瘡が露わになるはずだったのだが。
「あ……」
 僕は思わず腰を浮かせて驚いた。コントの内容を知っている広瀬も、隣で前のめりになって目をパチパチさせている。どういうわけか、岩田さんのシックスパックに六つあるべき人面瘡が、一つも貼られていなかったからだ。
「…………………………」
 この状況は岩田さんにとっても予想外だったのだろう。Tシャツをまくったまま、無言になり微動だにしなくなってしまった。
「うわぁ、事故だ」
 広瀬が小声で呟いた。本来なら、一本目のネタが始まる前の暗転中に、着替えや小道具の確認を済ますべきなのだが、おそらく人面瘡を貼り忘れてしまったまま明転してしまったのだろう。
 僕は上体をずらして舞台袖の奥を覗いてみる。やはり、舞台袖には長机の上に、他のコントで使う衣装と一緒に、置きっぱなしになった人面瘡が残っていた。
 これが漫談や漫才なら、一度、素の状態に戻って面白おかしくフォローできたのかもしれないが、よりによって岩田さんは今、完全にコントの世界に入ってしまっている。そのため、どうすることもできず、コントは完璧に進行不能な事態となってしまった。
 どう切り抜けていいのか分からないのか、岩田さんはいつまで経ってもピクりともしない。舞台がバグによってフリーズしたゲーム画面のように見えた。
 もはやこうなったら、一からコントをやり直すしか方法はない気もしたが、しばらくの沈黙の後、ついに岩田さんの体が動き出した。
「う〜〜〜〜んっ……」
 岩田さんは険しい顔をしながら、掴んでいたTシャツを離し、今度は直立不動になった。そして、両手をパーにして客席に向けると、満面の笑みを浮かべて叫んだ。
「おし〜まいっ!」
 そのまま舞台は暗転し、場内は真っ暗闇になった。
暗闇の中、周りがざわつく声が聞こえる。前衛的すぎるアートを見せられたようで、僕は何も言葉を発することができなかった。隣の広瀬は腹を抱えて笑っていた。
僕は岩田さんの芸人としての至らなさが愛おしく思えた。どうしてこんなにも全てが上手くいかないのだろうか。感情が一周したのか、段々とこの状況がおかしくてたまらなくなってしまった。
お笑いでは、本人が意図せぬところで笑われることを裏笑いと呼ぶが、僕は決して嫌味でも皮肉でもなく、この全力の空回りこそが岩田さんの真骨頂だと思っている。
世間からも同業者からも、認められず慕われず、本当の意味での孤高の地下芸人。それがバーニング岩田なのだ。きっと岩田さんの彼女も、華やかな芸人では味わえない、岩田さんのアンダーグラウンド感に惹かれたのではないだろうか。
「ん?」
岩田さんの彼女が座っている方向に視線を向けると、妙なことに気がついた。暗転中なのに関わらず、隣の席から明かりが灯っている。よく見てみると、岩田さんの彼女がスマホをいじっていた。
「えぇ……」
 岩田さんが舞台でネタをしている時に彼女が顔を伏せていたのは、ただただスマホをいじっていただけのようだった。岩田さんの彼女は、場内の混乱など我関せずといった表情で、賃貸サイトを眺めている。この人は一体どういう感情でライブに来てるのだろうか。
ただでさえ、少ない観客の中で一人は居眠りをしている酔っ払いなのだ。彼女がスマホに釘つけだとすれば、真剣にこのライブを観ている人間は一体何人になるのだろう。
 なんとも言えない気持ちになり、僕は真っ暗闇の天井を見上げた。今頃、後輩のまさおは新宿で一騎笑千を楽しんでいるのだろうか。
 
それから何本かのネタと、独学で身につけたという和太鼓の演奏を披露し、岩田さんの単独ライブはエンディングに突入した。
「今日はバーニング岩田単独ライブにお越しいただき、どうもあざしたぁ〜〜っ!!」
 客席に向かって礼をする岩田さんを合図に照明がフェードアウトしていく。完全に暗転したところで、僕はようやくこの宴から解放された安堵感に包まれた。暗闇の中で、座席の下に丸めていた上着を取り出し、帰るばっかりにする。
「……?」
 しかし、いつまで経っても場内は暗転したままで、もしやまだ何か残っているのかと僕は緊張した。岩田さんのことだから、また劇場の出入り口から飛び出してくる可能性もある。
僕は岩田さんの過去の単独ライブを思い出した。当時、ループもののアニメにハマっていたのか、それとも新ネタを用意することができなかったのか、岩田さんはほとんど同じ内容のネタを八回連続で繰り返した。そのせいで事務所での自主ライブを禁止された。
 しばらくの静寂の後、突然場内は明転され、舞台の中央で妙に真剣な眼差しで佇む岩田さんが現れた。
 観客である僕たちは、迂闊に言葉を発することもできず、舞台で仁王立ちしている岩田さんのことを見守ることしかできない。
 どこか寂しそうな表情をしている岩田さんは、何か決心でもしたのか、一度目を瞑ったかと思えば、すぐさま力強く目を見開き、信じられないような大声で絶叫した。
「お笑いありがとぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」
 客席が混乱してる中、岩田さんは声が続く限り叫ぶのをやめない。
とうとう声が途絶えたところで、岩田さんは体を反転させ、今度は僕たちに背中を向け、舞台に向かって深々と礼をすると、それを最後に舞台袖へ去っていった。
「え? なに? なに?」
 狐につままれたような気分になった僕は隣の広瀬と顔を見合わせた。

〈5〉

 どうやら、今度こそライブは完全に終了したらしく、パラパラと観客たちが席を立つ。僕と広瀬も他の観客に続いて出口へと向かう。
 劇場の出入り口の扉を開けると、受付に岩田さんが帰路につく観客を見送っていた。
「オダー!広瀬―!」
下手に捕まると打ち上げと称して、明日まで拘束されることになる。他の観客に紛れ、軽くお辞儀をして帰ろうとしたが、岩田さんに呼び止められた。観念した僕と広瀬は、「お疲れ様です!」と言いながら、岩田さんのもとへ駆け寄る。
「お前たち、今日は来てくれてバーニンキューな!」
「いえ、そんなそんな……」
「実はな。俺、今日で芸人辞めるんだわ」
「えっ!?」
 岩田さんの突然の引退宣言に、僕と広瀬が同時にのけぞって驚いた。
「ど、どうしてですか?」
 おそるおそる岩田さんに理由を尋ねると、岩田さんは少し離れたところで壁にもたれながらスマホをいじっている彼女の方を見た。
「愛する人が見つかったからだ」
「は……?」
 僕と広瀬は目をぱちぱちとさせながら、岩田さんとその彼女を交互に眺めた。
「今年中に結婚する予定だ。もう、お笑いなんてリスキーなことは続けられない」
「そうですか……こ、これからはどうするんですか?」
「スーツアクターになる」
「え?」
「特撮好きだし、マッチョな体を活かせるからな」
「ス、スーツアクターはリスキーではないんですか?」
「ん?」
「いえ、なるほど……」
 何がなるほどなのか、自分でもよく分からなかったが、ともかく岩田さんの中では様々な葛藤や決断があったのだろうと思った僕は、あえて深く詮索をすることをやめた。
岩田さんがまさか引退するなど夢にも思わなかったが、最後のライブを見届けることができて本当によかった。電話で言っていた重大発表とはこのことだったのだろう。
「あ……」
僕はズボンの尻ポケットにねじ込んでいた、岩田さんのプロマイド写真の束を取り出した。オープニングで手渡された時に一通りパラパラと眺めたが、岩田さんの引退を知った今、一見悪ふざけに思えたこのプロマイド写真に込められた真の意味に気づいたからだ。
「岩田さん、オープニングで配れたこの写真、本来なら来場者に満遍なく配られる予定が、僕がほとんど預かることになっちゃったじゃないですか」
「うむ」
「だからこそ気づけたんですけど。これって一枚一枚が適当な写真に見えて、実は岩田さんの人生を表していたんですね?」
 僕は写真の束から、杖をつきハゲカツラを被って老人の格好をしている岩田さんの写真や、合格の二文字が書かれた鉢巻をして受験勉強をしている岩田さんの写真を取り出した。
「あ、ほんとだ。俺は赤ちゃんだったよ!」
 隣の広瀬も興奮した様子で、自分に配られた写真を取り出した。
「そして、中には布団の中で大往生している岩田さんの写真まで……。引退とは、芸人としての岩田さんの死を意味している。観客にランダムに配られた写真は、バーニング岩田という男の走馬灯の断片だったということですね」
「すごい! 岩田さんが引退を発表する伏線はすでにオープニングから張られていたんだ!」
 目を輝かせてはしゃいでいる広瀬を横目に、僕は頭の中で次々と繋がった仮説をさらに岩田さんにぶつけた。
「おそらく、今回の単独ライブがベストネタ形式の構成だったのも、岩田さんが最後のライブは悔いなく鉄板ネタをぶつけたいという思いがあったからではないでしょうか? オープニングの彼女いじりも今思えば、本当は『最後のライブだから、絶対にスベらないぞ!』と言いかけたのを、とっさにごまかすために不自然な言葉になってしまったんじゃないですか?」
岩田さんは照れ臭いような、それでも嬉しそうな表情で静かに微笑んでいる。岩田さんが人知れずどんな気持ちで舞台に立っていたのかを思うと胸が熱くなった。
岩田さんは何度か小さくうなずいた後、口を開いた。
「そう……ですよ?」
「えっ」
 妙な口調で岩田さんが返事をした。本当に僕が言ったことは当たっていたのだろうか。下手なことを言ってぼろを出したくないのか、岩田さんはそれっきり、無表情のまま僕と広瀬の間にある誰もいない空間を見つめたまま何も言わなくなってしまった。
「岩田さん〜、片付け終わりました〜」
 スタッフをしていた芸人の一人が、変な空気になったまま硬直していた岩田さんに駆け寄った。
「おお、そうか! おつかれ! マジおつかれ! ……あ、そうだ」
 スタッフの言葉で再起動した岩田さんは、僕と広瀬の間に入ると、スタッフに向かってスマホを投げた。
「最後に記念だ! 写真撮ってくれー!」
 真ん中の岩田さんが僕と広瀬と肩を組んだ状態で、スマホを構えたスタッフに笑顔を向けた。僕と広瀬も慌ててぎこちないピースをする。
「オダー! 広瀬ー! お前ら、俺の分まで頑張れよ〜っ! 絶対売れろよなー!」
 岩田さんが肩を掴んでいる力が痛いほどに強かった。岩田さんの言葉の直後、スタッフが構えるスマホからシャッター音が鳴った。
「え? 今の言葉が、はいチーズ的な合図なの?」
 
写真を撮った後、僕と広瀬は岩田さんに別れの挨拶をして、中野芸能ホールを後にした。
帰る前に、劇場から目と鼻の先にある中野ブロードウェイをプラプラしながら、ライブの感想を言い合う。
「それにしても、よくわかったな広瀬」
シャッターが半分閉まっている玩具屋のショーケースを眺めている広瀬に、僕は声をかけた。
「え? 何が?」
「いや、ほら。岩田さんが重大発表があるって話した時に、芸人辞めるんじゃないって言ってたじゃん」
「あ、たしかに。なんとなく言っただけなのに当たってたねー」
 本当になんとなくだったのだろうか。広瀬はそんなことを言ったのをすっかり忘れていたようだった。
 広瀬が再び中腰になりながらショーケースを眺めている間、僕はスマホを取り出し、ツイッターを覗いてみた。
「あ……」
 タイムラインには今朝、ミュートを解除した岩田さんの最新ツイートが流れていた。ツイートが投稿されたのはほんの一分前のことだった。
 僕の声に反応して、広瀬がこちらを振り向く。
「どしたの?」
「ああ、いや、岩田さんが単独ライブのこと呟いててさ」
「へーっ」
 広瀬がスマホの画面を覗き込むため、僕の隣にさっと並んだ。
僕は広瀬と一緒に岩田さんの最新ツイートに目を通した。

———————————————————————
【終炎】
本日は単独ライブでした!!来てくれた大勢のお客様に感謝!!

……そして、私、バーニング岩田は本日を持ちまして引退致します!!

今まで応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!!
芸人として売れる夢は、自分のことを慕ってくれる後輩に託しました!!
これからは、この二人がバーニング魂を受け継いでくれることでしょう!!🔥🔥

それでは皆様、さようなら!!また会う日まで!!
BURNING FOREVER!!

#引退 #ありがとう #お前達に会えてよかった #俺の屍を超えてゆけ  #🔥🔥
———————————————————————

「…………」
岩田さんのツイートを読み終えた僕と広瀬は何も言わずに目を細めた。
ツイートには、ライブの最後に僕と広瀬と岩田さんの三人で撮った写真も貼り付けられていた。
 夢に敗れた者とは思えないような満面の笑みを浮かべている岩田さんを見て、僕と広瀬は笑い合った。
 岩田さんのツイートにそっといいねだけ押すと、僕はスマホをポケットにしまった。
「そうだ、広瀬。新ネタの台本もうすぐできるから、ネタ合わせの日にち、いつにする?」
「おっ、待ってました。そうだねー……」
 なんてことない日に突然、身近な誰かが辞めていく。僕たちは、そのなんてことない日が訪れぬまま、ここまでやってこれたが、かといってそれが僕たちが売れることとは無関係なのである。
見渡す限りシャッターが閉まったブロードウェイが、出口のない迷宮のように見えた。

ーーーーーー

小説「地下芸人」は集英社文庫より発売中です(電子版も発売中)。

JBOOKSのnoteでは、おぎぬまXさんのインタビュー記事も公開中です。
【投稿者必読!ジャンプ小説新人賞】2019年度受賞者おぎぬまX先生インタビュー
【「地下芸人」とはどのような存在なのか?】おぎぬまX先生インタビュー