行間を埋める仕事

仕事をしている中で、やり取りが上手くいってないことを観測して疲弊することがある。言う側・聞く側というのが存在する状態で「AでBなので、つまりC」という発言・文章があった場合、言う側がすべてがこれで伝わることを期待していたとしても

・いつのAのことか
・誰が言ったBなのか
・Cは具体的にどういうことか

など5W1Hで言葉を切り取ってもいくらでも質問が出せてしまう。特に日本語は一語の情報量が多く、空気を読んだり、間を読んで不足情報を聞き側で補足をする。この不足情報を「行間」とここでは表現する。実際に何かが進むためにはこの行間が埋まって、相互の認識が揃う必要がある。お互いにとって必ず必要なことは明白。
なぜこのようなことが事が起きるかと言おうと「全部を言語化するのは面倒でコストがかかる」からだと思っている。これはある意味正しく、あるいみ正しくない。それぞれに必要な情報を初手で揃えきることは当たり前に大変だから。
さらにこれが 言う側・聞く側 => 依頼者・受注者になった途端、この行間を埋める作業が圧倒的に漏れる。というか実施されない。理由は様々あるが

・スキルが不足しておりできない
・わかっているorできるが受注者がわかってくれるorできると勝手に期待している
・深く考えないとできないが時間がない
etc…

などがある。表題にある「行間を埋める仕事」はここで登場する。

この仕事は誰のものなのか。本来は全員の仕事であり、全員はこれをハイパフォーマンスに実施できれば望ましい。しかしエンジニアリング、デザイン、事業、ユーザーなど、議論に登場するコンテキストが多く、全員がこれを把握するのが難しい・コストがかかる。そのため必要なのが役割と仕組み。

役割としてはPdMやEM、PMなど主にマネジメント従事者が担うことが多いし、その役割を持つ人は「行間というものが存在すること」「これを埋めることが遂行の助けになること」を意識する必要がある。行間を埋める作業は基本的にハードになる、発注者としても受注者としてもどちらとも話さないといけないし、感情的になってもいけない。コンテキストを理解する=会話が必要。
なのである程度仕組みとセットでやらないと会話ばっかしてて何も生み出さない人間が生まれてしまう。どんなに仕組みを揃えても時期や状況的に生まれてしまうのは止む無しとしても、これを検知し避けるのが望ましい。コミュニケーションデザインと呼ばれるように体系化された知識やアイデアが求められるし、本当にケースバイケースなので粘り強いアクションが必要となる。具体的には「仕様書のフォーマットを決める」「依頼テンプレートを作る」などがある。または会議帯やファシリテートのルールなど、仕組みを揃えないといけない範囲は多岐にわたる。さらに対面でなく、リモートやドキュメント経由だと、行間が増える。本当に広い範囲でのケアが求められる。

私個人としてはCTOとしてやEMとして、またはPdMのチームのマネージャーとして自身もこの行間を埋める、というよりそもそも作らないような会話や依頼、またメンバーもそれができるように状況を作る必要がある。
これは本記事とは別視点だが、プロジェクトや状況を推進するためには一方で全部の行間を埋めてしまい、言語化をしていると自分の時間がなくなったり、具体的な依頼しか実施できない組織になってしまう。行間=余白として成果を自発的に出してくれることもあり、この成長機会やキャリアチャンスを奪うことはしたくない。


なのでむずい。とにかくむずい。ジレンマ。あー、うなぎの白焼を昼から食べて楯野川でマリアージュしたい。締めはざる蕎麦で最後にそばつゆでお湯割り飲みたい。

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