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最近のFGOのシヴァに関する考察(という名のこじつけ&解説)

 初めましての方は初めまして。趣味で神話関係の資料収集とかしてる型月にわかの樹木と申します。
 例の如く小ネタを掻き集めて行きますが、今回は最近何かと伏線が張られていたりしてそうなシヴァに関して色々と考察(という名のこじつけ)をやっていきたいと思います。
 型月の設定は自分自身把握しきれて無いので基本的には原典及び史実に依拠するものになりますのでご了承下さい。

 では行きまっしょいb

シヴァに関して色々と概説

 シヴァは今なおインドの全体の80%の人々に信仰されているヒンドゥー教の主神の一角であり、古代インドの神学における「三神一体(トリムールティ)」の思想においてはブラフマー(梵天)ヴィシュヌ(那羅延天)と同体であるとされ、創造、維持、破壊のサイクルにおける「破壊」を司ります。
 また配偶神としてパールヴァティー(烏摩妃)、子神としてガネーシャ(歓喜天)スカンダ(韋駄天)を持ちます。
 ヒンドゥー教以前の時代、バラモン教の頃には前身として暴風神のルドラが存在しており、シヴァという言葉は元来「吉祥」などを意味する添え名として用いられていました。時代を経るにつれ、尊称だったシヴァという名がモンスーン(季節風)の神格化であるルドラの持つ破壊的な側面や暴風神であるという性質に由来する豊穣等と結びついていき、神格の持つ性格へと変質していきました。またシヴァの異名の一つにして化身であるマハーカーラマハー(偉大な)+カーラ(黒、時間)であり、万物を破壊するのは時間であるという考えのもと神格化されたものだともされています。

 後にヒンドゥー教で最高神の一角となるルドラ(シヴァ)ですが、天候を司る神格であるという点はバラモン教時代の最高神であるインドラや古代ギリシアのゼウス、また北欧神話のオーディンにも共通し、自然神・天候神が神話体系の頂点に来る例の一つと言えます。日本やエジプトの場合は太陽神が頂点に来ていますが、インドの三主神の一つであるヴィシュヌは太陽の光照作用を神格化した太陽神でもあるのでインドは主神に天候神と太陽神が両方来ているパターンですね。
 こういった傾向は普遍的に見られ、メソポタミア神話では事実上の最高神として大気神エンリル、ユダヤ教における神ヤハウェも元々はシリア・パレスチナ方面の嵐の神であったとされています。悪魔に貶められた天候神バアルを主神とするウガリット神話においては、女神アシェラトの対偶神としてヤハウェが位置づけられていたともされています。
 前身たるルドラですが、こちらは聖典である「リグ・ヴェーダ」においてはヴィシュヌ等と同じく捧げられる賛歌というのは非常に少なく、ルドラへの独立した賛歌を三つ、ソーマ神と共有・一部を割くもの二つを含めた僅か五篇の賛歌があるのみです。元々ルドラの神話だったものがシヴァの神話へと吸収されており、とりわけルドラがアスラの三つの城塞を矢で射抜く神話等が挙げられます。
 叙事詩の物語においてもシヴァの役割は大きく、創世神話である「乳海攪拌」においては蛇神ヴァースキの吐いた毒を呑み込んだという説話や、二大叙事詩の一つ「マハーバーラタ」においてはパーンダヴァの英雄アルジュナに対して神の武器であるパーシュパタアストラを授けるといった神話を持ちます。

 シヴァの起源に関しては相当古く、モヘンジョダロ遺跡から発掘された印章にはシヴァの原型と思われる、結跏趺坐をする修行者が描かれています。

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 ヒンドゥー教における宇宙期であるユガの終末に次なる再生の為に世界を破壊する等の重要な役割を担うシヴァですが、仏教に取り込まれると大自在天となり、如来、菩薩、明王、天部という尊格グループのうち天部の神々に含まれます。この大自在天という名はシヴァの異名であるマヘーシュヴァラを訳したものであり、他にも異名の一つであるマハーカーラやイシャーナを取り込んだ大黒天伊舎那天などが組み込まれています。
 仏教におけるシヴァは少しややこしく、同一の神格の異名が分霊、化身としてそれぞれ組み込まれているんですね。
 五大明王の一角である降三世明王に烏摩妃共々踏みつけられている図像も有名ですが、この場合は大自在天であるとされているので、基本的には
シヴァ=大自在天という認識で大丈夫だと思います。
 大黒天は前身をシヴァの化身であるマハーカーラとし、戦闘神的な性質を強く帯びています、また伊舎那天も大自在天の変化身とされるので、大自在天以外はその化身、分霊といったイメージの方が近いですね。

 破壊と再生、舞踏、リンガ(男根)など、非常に多くの概念に触れているシヴァ神ですが、実はFGOマテリアルの中でカーマの因縁キャラとして名前が挙げられています。

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シナリオ内でも散々名前が出てきていますし、因縁キャラは大体実装の流れなので参戦は期待できますね。
 そこで、シナリオ内に散りばめられた伏線などを可能な限り集めて毎度の如くこじつけて行きたいと思います。

宮本武蔵の諸要素から見るシヴァとの関係

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 英霊剣豪七番勝負にて参戦し、星間都市山脈オリュンポスにて物語から退場した宮本武蔵。彼女の宝具やその詠唱、ふとした一言からシヴァへの伏線と思われるものを拾い集めていきましょう。

〇俱利伽羅剣と不動明王

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 最初に注目するのは彼女の宝具名。
 宝具名は『六道五輪・倶利伽羅天象』。ここから紐解いていきます。宝具に冠している「倶利伽羅」から解説していきます。
 倶利伽羅という言葉は仏教における信仰対象にして五大明王の一尊である「不動明王」の持つ『倶利伽羅剣』に由来します。
 倶利伽羅剣は煩悩を断ち切るという意味を持ちますが、不動明王の尊像には通常のものに加えて『倶利伽羅不動』というものが存在します。

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 それには二種類あり、一つは不動明王の持つ剣に龍が巻き付いているもの。もう一つは不動明王の姿は無く、剣に龍が巻き付いているだけのものです。
 この龍は倶利伽羅龍王と呼ばれ、不動明王が化身した姿であるとされています。古代インドに於いても蛇と龍は同一視されており、蛇を纏うシヴァの図像的特徴にも共通する部分が見えます。またヨーガの伝統におけるチャクラ(エネルギーの中枢)の概念の中で人間の尾てい骨付近にあるクンダリニーは蛇の形をしているとされ、五大明王の一尊である軍荼利明王はこのクンダリニーと深い関係を持ち身体に蛇を纏っています。
 この時点で倶利伽羅剣の図像的特徴とシヴァの特徴が共通しているという事が分かります。

〇不動明王の原名

 次に不動明王という尊格そのものについて触れていきましょう。
 不動明王の梵名はアチャラナータ。これは古代インドにおけるシヴァの異名であり、アチャラが「動かない者」、ナータが「守護者」という意味を持ちます。また不動明王は神話に於いて、自らが大宇宙の主であると奢る大自在天に対し、大日如来の化身である不動明王が調伏する(一説では降三世明王)とされています。そもそも明王はヒンドゥー教の神々に対抗するという性格を持ち、当時の仏教とヒンドゥー教の相互関係が神話に表現されています。
 アチャラナータはシヴァの異名ですが、シヴァがそのまま仏教に取り入れられ明王となったという事では無く、アチャラナータという名が仏教的に解釈された結果不動明王という尊格として組み込まれたといった方が近いのかと思います。

〇伊舎那天と天満大自在天神

 星間都市山脈オリュンポス終盤の武蔵がカオス神と対峙する場面。ここでは武蔵の口からシヴァに纏わる二つの尊名が語られています。
 まず一つ目の尊名が「伊舎那天」。

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こちらは先述したシヴァの異名であるイシャ―ナが仏教に取り込まれたものであり、摩醯首羅、即ち大自在天の忿怒身としての姿です。
 因みにロード・エルメロイ二世の事件簿ではシヴァの分霊、戦闘神であるマハーカーラを「大いなる虚無」と訳していますが、虚空を斬るという武蔵が大いなる虚無であるシヴァの名を唱えるって構図になっていますね。

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 アニムスフィアの詠唱に於いても「虚空」という単語は登場してきますが、インドにおいても虚空という概念は存在し、五大・六大における「空大(アーカーシャ)」が挙げられます。これは地・水・火・風の四つの概念を包括する空間であり、無限に広がる虚空を意味しています。金星の神格化であり、「虚空のような蔵を持つ者」を意味する虚空蔵菩薩なんかも存在してますな。
 少し話がズレましたが、次に触れる台詞は「南無、天満大自在天神」というもの。

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 「南無」という言葉は仏教においては特定の信仰対象に帰依するという意味を持ち、「南無阿弥陀仏」という文句は「私は阿弥陀仏に帰依します」という意味になります。
 そして「天満大自在天神」は日本三大怨霊である菅原道真公が神格化されたものです。学問の神として非常に親しまれている神様ですが、この名前に大自在天が含まれているという事からシヴァと習合されている事が見て取れます。道真公のもう一つの諡号である「日本太政威徳天」の威徳というものは五大明王の一人にしてシヴァの異名バイラヴァを継承した大威徳明王(原名:ヴァジュラバイラヴァ)に由来し、ここでもシヴァとの繋がりが見えてきます。

〇仁王

 次に触れるのは武蔵の「仁王倶利伽羅」という宝具の台詞。

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 仁王と言えば寺門の左右で参拝者を憤怒形で出迎える姿が印象的ですね。
 口を開いた「阿行」と口をつむいだ「吽形」の一対で祀られる事が多く、最初の言葉の「あ」と最後の言葉である「ん」という事で、この二神は万物の最初と終わりを象徴しています。シヴァ神は時に破壊と同時に創造も司る為にここでも類似性を見る事が出来ますね。
 東大寺の金剛力士像は運慶、快慶という超有名仏師の手によるものですが、秋葉原イベントで北斎の口から語られています。
 仁王は時に金剛力士とも呼ばれ、梵名は「金剛杵を持つ者」を意味するヴァジュラパー二。即ちインドラの異名に由来します。
 基本的に二尊で一対を為す仁王ですが、独立した尊像として執金剛神という尊格も存在しており、同様に梵名をヴァジュラパー二としています。
 執金剛神はヘレニズム期にギリシアのヘラクレスの図像に影響を受けたものとされています。
 少し話がズレますが、ヴァジュラパー二と呼ばれるインドラは「リグ・ヴェーダ」における天空神ディヤウスの息子であり、ヘラクレスも同じく天空神の性格を持つゼウスの息子ですが、ディヤウスとゼウスは語源的に対応している神格同士になります。先ほど「天空神が頂点に来る」との話をしましたが、これは普遍的な事であり、東はインドから西はヨーロッパまで広く分布するインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族集団も天空の神を崇拝対象としていました。ディヤウスとゼウスは語根div-(輝く)に由来しています。

 金剛杵は古代インドにおいては専ら英雄神インドラの持物であり、聖仙ダディーチャの骨を技巧神トヴァシュトリが加工したものとされていますが、仏教においては多くの天部の神や明王が所持しています。
 さて、金剛杵を持つ尊格に関する話を少ししましたが、ここでリグ・ヴェーダの一節を抜き出してみましょう。

『ルドラよ、汝は生あるものの中、威光にかけて最も威光あり。力あるものの中、最も力あり、ヴァジュラを手に持つ〔神〕よ。われらを安全に困厄の彼岸に導け。疾病のあらゆる襲来を遠ざけよ。』――ルドラの歌

 ここでルドラ(シヴァ)もヴァジュラを持つという記述が為されている訳です。暴風神であるルドラにヴァジュラ(雷)が関連付けられるのはそこまで意外では無いのかとも思いますが。

 一応ここまでの事を整理すると
・倶利伽羅剣とシヴァの図像の共通項である「蛇」
・不動明王の梵名アチャラナータはシヴァの異名であり、不動明王は大自在天を調伏する
・伊舎那天と大自在天
・伊舎那天=イシャ―ナ=シヴァ=マハーカーラ(大いなる虚無)の名を以て虚空を斬る武蔵
・天満大自在天神及び日本太政威徳天=大自在天(マヘーシュヴァラ)、大威徳明王
・始まりと終わりを象徴する仁王(金剛力士)に対し、シヴァは破壊と再生を司る
・梵名をヴァジュラパー二(「金剛杵を持つ者」)とする金剛力とヴァジュラを持つルドラ(シヴァの前身)

武蔵と村正と観音菩薩

〇観音さま

 次に触れるのは観音菩薩。シナリオにおいて武蔵の口から何気なく語られています。日本人ならば殆どの人は名前を知っているであろう観音菩薩。武蔵もシナリオの中で度々「観音さま」と口にしていますが、正確には観世音菩薩と呼ばれます。
 「菩薩」は古代インドのボーディサットヴァに由来し、「悟りを求める人」という意味を持ちます。
 非常に広く親しまれている尊格である観音菩薩は梵名をアヴァローキテーシュヴァラと言い、「観察する」を意味するアヴァローキタと「自在者・主宰者」を意味するイーシュヴァラから構成され、観自在菩薩とも呼称されます。
 「法華経」の普門品(観音経)という経典においては、観音とは

「苦を受けた衆生が一心にその名を称えれば、直ちにその音声を観じて解脱させる」

 と記述されており、この記述に由来するともされており、また一説ではイーシュヴァラが「音」などを意味するスヴァラであるともされています。
 観音菩薩は非常に多くの化身を持ち、様々な姿で衆生を導くとされ、七世紀頃にインドへと旅行した玄奘は

「観音は祈願者の前に自在天(シヴァ)」の形となって現れる」

という伝聞も残しています。この記述から大自在天(シヴァ)も仏教の体系の中では観音菩薩の姿の一つであるともされていますが、「三十三身」という、観音菩薩が相手に応じて変じて教えを説くという思想の中には大自在天も含まれていますし、「三十三観音」の思想の中では青頸観音という観音も含まれています。この青頸観音はニーラカンタ、即ち乳海攪拌の神話において毒を飲みこみ青い頸を持つ事になったシヴァを観音の化身と見なしたものですね。

 基本的に菩薩が仏教における信仰対象のヒエラルキーの中で上位なのに対し、ヒンドゥー教の神々である天部は最も下にして護法善神に過ぎないので、上位の信仰対象の体系に組み込まれていても不思議では無いんでしょうね。ユダヤ教が異教の神を悪魔に叩き落した感じに近いのかな。
 観音菩薩は元々は正法明如来という如来であり、衆生を救済する為に菩薩となって化身したものともされています。アヴァターラみたいな。
 観音の起源に関してはハッキリしておらず、ヴィシュヌに求める説もありますが西アジア方面の女性神が仏教に取り込まれ、男性神となったという説も存在しています。

 因みに三十三という数字は古代インドにおいて重要視されている数字であり、天界、空界、地界にそれぞれ十一の神を配置し、主要な神々は三十三柱としています。この思想は仏教の体系にも組み込まれ、世界の中心である須弥山の上には三十三の天があり、そこに帝釈天を筆頭に三十三の神が住むと定義されていました。
 まずこのイーシュヴァラ、これは自在天とも訳されるので倶利伽羅、仁王、不動明王等の要素に加えてここでもシヴァの要素に繋がって来ます。
 水着武蔵の方では「馬頭観音」という尊名が語られていますが、馬頭観音とは梵名をハヤグリーヴァとする観音菩薩の変化身の一つであり、六観音の一つとされる尊格です。
 馬頭観音の特徴といえば、他の観音が基本的に温和な表情を持つのに対し、こちらの馬頭観音は憤怒形を備えた恐ろしい姿をしている点でしょう。
 この尊格は頭上に馬の頭を持つ事からそう呼ばれ、古代インドにおける「馬が太陽の車を曳く」「悪蛇を退治する」という馬に対する信仰が影響していると考えられています。
 時に馬頭観音はその図像的な特徴から「馬頭明王」とも呼ばれ、仏法を守護する明王の一つとして含まれる事もありますが、これは観音が慈悲の面だけでなく怒りの面も備えているという事を表現していますね。
 
 空海の真言宗と最澄の天台宗では六観音とされる尊格に違いがありますが、まとめると
・聖観音
・十一面観音
・千手観音
・馬頭観音
・如意輪観音
・准胝観音(台密では不空羂索観音)

 になります。
 馬頭観音の梵名の「グリーヴァ」は恐らく「首」という意味になるんすかね。

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地獄会曼荼羅で酒呑童子が言及した「瞿摩掲唎婆耶提婆囉惹」はゴーマ・グリーヴァヤ・デーヴァラージャとなり、
・牛頭⇒ゴーマ・グリーヴァヤ
・天王⇒デーヴァラージャ(デーヴァ⇒天、ラージャ⇒王)

 と分解できます。
 また、同じく酒呑童子から「その姿、帝釈天に同じく──」と言っていますが神々の王を意味するデーヴァラージャはインドラ(帝釈天)の異名の一つとして数えられています。
 さて色々と話して来ましたが、次に観音菩薩と何を結びつけるかというと、今年の正月に晴れて参戦した千子村正。
 村正の読みはせんごむらまさが本来の読みになりますが、FGOではせんじとなっています。また初代村正の母親が観音菩薩の変化身の一つである千手観音に祈ったという説話もあり、ここでも村正と観音菩薩との関係がある訳です。

鎌倉イベにおける仏教的要素

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 年明けに開幕したイベント「いざ鎌倉にさよならを」。アジカンの鎌倉グッドバイみたいなタイトルですよね。
 このイベントでは地獄界曼荼羅で先んじて登場した平景清、そして配布として鬼一法眼もとい鞍馬山僧正坊。鞍馬山の大天狗は貴船神社のカミを妖怪視したものであるともされています。
 鎌倉といえば鶴岡八幡宮や長谷寺、銭洗弁天神社などがありますが、個人的には鎌倉国宝館がお勧めです。十二神将と薬師三尊像は圧巻です。十一面観音も凄いですね。

〇大黒天

 鎌倉イベには仏教、修験道的要素やシヴァに関する要素を幾つか見出す事が出来ます。まず一つ目は序盤に鬼一法眼が使った打ち出の小槌

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日本ではお馴染みの一寸法師の説話で有名なものですが、仏教における打ち出の小槌は福や富の象徴であり、大黒天の持物として表される事が多いです。

 起源をインド、即ち異国に持つ神でありながら観音などに並んで深く浸透し親しまれているのが大黒天です。七福神などにも組み込まれ、基本的には打ち出の小槌などを持ち温和な表情を浮かべているのは馴染み深いと思います。
 しかしそういった姿は最初からあったものでは無く、大黒天のルーツは古代インドの主神であるシヴァ神の分霊、戦闘神であるマハーカーラに由来し、シヴァの分霊であり戦闘神としての性質を帯びた尊格になります。

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マハーカーラは『理趣経釈』という仏教経典に曰く、

「摩訶迦羅は大時の義なり。時は三世無障碍という義なり。是れ毘盧遮那法身の無所不偏なり」

 と記述されており、マハーカーラを大時と訳しています。
 時間は万物を包括して零へと導くと考えられている事から全ての時を支配する神の意になり、転じて死神の性質を帯びてきます。
 シヴァが時の支配者である事は仏典の事典で考えられている事が分かりますし、ユガ・クシェートラでも言及されていましたね。 
 また大黒天は数多の鬼神を眷属として従える恐ろしい神でもあり、死神の支配者である事から不老長寿や隠形の薬など、沢山の珍しい宝物を所持しており、それらを欲する人間に対して血肉を要求するとされています。仏教説話において大黒天が茶吉尼天を調伏すると言う説話がありますが、これはより強い死神が下位の死神を調伏するという構図になっており、ダーキニーは本来土着の地母神的性質を持つ女神でしたがヒンドゥー教や仏教に取り込まれ、死肉を食らう悪鬼、夜叉として定義されました。インド神話においてはシヴァの妻であるパールヴァティの姿の一つであるカーリーの眷属として組み込まれています。

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 図像的には大黒天は三面六臂憤怒形を備えた恐ろしい姿をしていますが、日本のそれは全くの正反対であり、袋を持ち笑みを浮かべていますね。これは大黒天が時代を経るにつれて福神としての性質を備えていった結果であり、大体平安時代頃から装いが日本風に変化していったとされています。去年の最後のシナリオは地獄界曼荼羅「平安京」でしたもんね。
 密教が花開いたのも平安時代であるとも。尚、三面六臂の恐ろしいマハーカーラはまだチベット、ネパール辺りでも残っているみたいです。

 大黒天の性質が変化していったのはインドからであり、仏教が南方で普及してきた頃には既に恐ろしい神としての性質は失われていました。チベット、ネパール方面に見られる「シヴァの特徴を強く持つ戦闘神」としての大黒天と南方のインドの仏教における「食厨の神」としての大黒天の二種類が中国に入っていきました。

 また大黒天は他の仏神とも同一視ないし習合される事があり、鎌倉時代頃から福神であるという性質から弁財天や毘沙門天と合体した三天一体の三面大黒天などの図像も存在しています。
 平安時代には本地垂迹の思想が盛んだった事もあり、大黒天が大国主と習合した事が大黒天の日本化が加速していきました。
 福神大黒天の持つ打ち出の小槌は幾つかの尊格が持つ如意宝珠と同じく、武器としての槌では無く宝物であり、福神として願いを叶えてくれると考えられていた事が伺えます。シナリオでは日本版聖杯みたいなものとして説明されていましたね。
 長々と垂れ流しましたがとりあえずマハーカーラ(シヴァ)との関係が見えてくると。

〇天狗

 これは不動明王の図像から天狗との関係性を見出す事も出来ます。
 天狗は日本妖怪の中ではかなり有名な方ですが、鳥と人間の要素を併せ持つ古代インドのガルーダに起源を持つとされます。ガルーダはヴィシュヌのヴァ―ハナ(乗り物)であり、ヴァジュラを持ったインドラに勝利を収める辺りパワーインフレの一角ですね。漢訳では金翅鳥と呼ばれます。
 神話に於いてガルーダの母と龍族であるナーガの母との確執があった事から龍(蛇)の敵となり、彼らを食うとされています。仏教においては八部衆の一角に組み込まれていますね。
 さて、不動明王の図像の話に戻りますが、不動明王の背後で燃え盛る炎は迦楼羅炎と呼ばれ、迦楼羅が龍を食う事を煩悩を滅する象徴としたものとされています。

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 鳥天狗のイメージは迦楼羅から継承したものでもあるので、天狗と不動明王(シヴァ)の繋がりを見出せる訳です。

 あとはちらっと鬼一法眼が「他化自在天」に関して言及してましたが、これは仏教における六欲天の一つであり特定の尊名ではありませんが自在天のワードが含まれている辺り伏線なんでしょうね。

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最後に

 長々と垂れ流して来ましたが、ここまで読んで頂きありがとうございます。
 シヴァと同じぐらいスサノヲも掘り下げられている気がするので今後ちょっと色々とまとめてみたいなと思います。
 二世の事件簿、冒険で出て来た神格やら宗教に関しての解説もやってみたいですね(なお資料)

参考文献

小林登志子著『古代オリエントの神々―文明の興亡と宗教の起源』中公新書 2020年
森本達雄著『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』中公新書 2018年 
頼富本宏著『密教とマンダラ』講談社学術文庫 2019年
速水侑著『菩薩 由来と信仰の歴史』講談社学術文庫 2019年
鎌田茂雄著『観音さま』講談社学術文庫 2018年
松村一男著『神話学入門』講談社学術文庫 2019年
宮坂宥勝著『密教経典』講談社学術文庫 2013年
中沢新一著『精霊の王』講談社学術文庫 2018年
上村勝彦著『インド神話 マハーバーラタの神々』ちくま学芸文庫 2018年
大林太良著『神話学入門』ちくま学芸文庫 2019年
佐藤任著『密教の神々 その文化史的考察』平凡社ライブラリー 2009年
ヴェロニカ・イオンズ著 酒井伝六訳『インド神話』青土社 2011年
松永有慶著『密教』岩波新書 1998年
山本ひろ子著『中世神話』岩波新書 2018年
辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ賛歌』岩波文庫 2019年
下泉全暁著『不動明王 智慧と力のほとけのすべて』春秋社 2019年
田中公明著『仏教図像学 インドに仏教美術の起源を探る』春秋社 2015年
下泉全暁著『密教の仏がわかる本 不動明王、両界曼荼羅、十三仏など』大法輪閣 2019年
羽田守快著『茶吉尼天の秘密』大法輪閣 2020年
笹摩良彦著『新装版 大黒天信仰と俗信』雄山閣 2019年
宮坂宥勝著『新装版 密教の学び方』法蔵館 2018年
速水侑著『観音・地蔵・不動』吉川弘文館 2018年
石井亜矢子著『仏像解体新書』小学館新書 2020年

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