ゆずる

いつの時代もオタクです。東方神起/宝塚/Snow Man/SEVENTEEN/BTOB…

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いつの時代もオタクです。東方神起/宝塚/Snow Man/SEVENTEEN/BTOB/日本史(古代~平安後期たまに南北朝)/手芸(刺繍)/園芸(蓮、睡蓮、バラ)

最近の記事

読んだ本:「風と雅の帝」

数年前にふと、1991年度の大河ドラマ「太平記」を思い出し、DVDをレンタルして全話観た私、真田広之氏演じる足利尊氏に惚れこんでしまいました。生来のオタクの凝り性から俄然南北朝時代に興味を持ち始め、さまざまな本を読み漁った中で、光厳天皇の凄まじい一生も知ったのです。(これは推しがすべて悪い) 「風と雅の帝」は鎌倉幕府滅亡から始まる南北朝の動乱を、主人公・光厳天皇の一人称によって語られています。皇統の行方、変化する敵対関係など、複雑な出来事がとても上手くまとめられていて、一気

    • ソウル旅行 雑記

      海外旅行は5年ぶり、ソウルも10年ぶりだったので、さすがに行く前はいろいろ情報収集をして臨みましたが、実際のところどうだったかをぼちぼち書いていこうと思います。 仁川空港からソウル市内へ 宿泊先が東大門だったので直通で行けるリムジンバスを利用。17000W。空港の自販機でクレジットカードで購入。帰りはT-moneyカードで支払い。 宿泊 宿泊はバイトン・ソウル東大門ホテル。旅行の目的がミュージカル観劇だったので、会場(忠武アートセンター)がある東大門エリアで選びました

      • ソウル旅行 聖水洞/景福宮

        ミュージカルの他に行ったところ。 聖水洞 ちょうどこの秋にカムバするSEVENTEENのミニアルバム「SEVENTEENTH HEAVEN」のプロモーションイベント「SEVENTEEN STREET in Seongsu」が開催されていたので聖水まで行ってみました。10回以上訪韓していますが聖水は初めて。元は工場や倉庫が立ち並ぶ地帯だったそうですが、廃墟が増加。それをお洒落なカフェやショップにリノベーションして生まれ変わった街だそうです。この看板も板金屋の横にあって、思っ

        • ミュージカル「MEMPHIS」

          ブロードウェイミュージカル「MEMPHIS(メンフィス)」の韓国初演を見てきました。 2023年10月6日ソワレ 忠武アートセンター大劇場 ヒューイ:イ・チャンソプ(BTOB) フェリシア:ソン・スンヨン デルレイ:シム・ジェヒョン ママ/グラディス:リュ・スファ ゲーター:チョ・ソンリン ボビー:ユ・ヒョジン Mr.シモンズ:イ・ジョンムン 1950年代の米国メンフィスを舞台に、当時タブーとされた黒人の音楽であるブルースを、ラジオやTV番組で紹介した実在の白人ラジオDJ

        読んだ本:「風と雅の帝」

          鎌倉覚書:大江広元の墓と長州(2013.9)

          頼朝の墓の北側の山に大江広元、毛利季光、島津忠久の墓があるそうです。 伝聞なのは、実際見に行かなかったから。 山歩きを想定した格好はしていなかったもので…。 何故、大江広元に反応したかというと、 今興味をもっている蹴鞠の家、飛鳥井家の祖・飛鳥井雅経 (鎌倉と京都で活躍した名足)は大江広元の婿だからです。 大江広元(1148~1225) 出自は諸説あり。中原氏を名乗っていた時期もある。 京では下級貴族(官人)だったが、鎌倉に下って実務官僚となる。 頼朝のブレーンとして活

          鎌倉覚書:大江広元の墓と長州(2013.9)

          鎌倉覚書:頼朝と希義(2013.8)

          頼朝の墓の傍らに、同母弟・希義の墓から遷された土と石がありました。 以下、「平治物語」より 兵衛佐殿は、尾張国熱田大宮司季範がむすめの腹也。 男子二人、女子一人ぞおはしける。 女子は後藤兵衛実基養君にして、都に隠しおきけり。 今一人の男子は、駿河国に香貫といふ者からめ出て、平家へ奉れば、 希義といふ名を付て、土佐国気良という所へながされておはしければ、 気良の冠者とぞ申ける。兵衛佐は伊豆国、兄弟東西へわかれゆく、 宿業の程こそかなしけれ。 (頼朝義兵を挙げらるる事) 平

          鎌倉覚書:頼朝と希義(2013.8)

          鎌倉覚書:頼朝の墓と島津氏(2013.8)

          横浜在のお友達二人に案内され、鎌倉に行ってきました。 ぶらぶら散策中に源頼朝の墓を見に行ったところ、 歴女と思われたのか、そこにいた地元の方から歴史について 講義を受けることに😅 その講義と自分で調べたことを書き残しておきたいと思います。 源頼朝の墓(鎌倉ぶらぶら) http://www.kamakura-burabura.com/meisyokamakurayoritomonohaka.htm 頼朝は建久10年(1199年)年1月13日没(享年53歳)。 死後は勝長寿院

          鎌倉覚書:頼朝の墓と島津氏(2013.8)