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#38 「介護保険利用」して分かったこと・感じたこと

木下斉さんのVoicyは、ちきりんさんとの初回対談をきっかけに知り、直ぐにフォローをさせて頂きましたが、プレミアムリスナーとなったのは、昨秋からです。

下記リンク先の放送について、noteを書かせて頂きたいと思いながら、半年以上が経過しましたが、記録に残しておきたく今更ながらですがこちら綴らせて頂きます。

対談のお相手は、このほど大阪は大東市の市長に就任された逢坂伸子さんは、大東市保険医療部課長として、理学療法士の資格を活かし、元気でまっせ体操の普及を通じ、介護度要支援の方々がデイサービスに通所するという一択の選択肢
ではなく、介護が不要な健康な体づくりをして頂く機会を提供することで、高齢者の健康維持と、介護保険の削減を実践されています。

そんな逢坂さんは本放送で、「一時的ではなく継続的に使用が必要なはずの手すりを、介護保険を使ってレンタルする事で、介護保険を使い続けることになっている」という事例を挙げてくださり、その仕組みを「無限サブスクビジネス」と木下さんが秀逸にネーミングくださっています。

こちらの放送を聴きながら、サブスクリプション、という今風なシステムでありネーミングを知らない母から「なんか、サービスを使わせよう使わせようとしている」と怪訝に話していたことを思い出しました。

側弯症で当時要介護1だった母。ある時、膝が不調で歩行が困難になりました。当時、側弯症治療のため長年通院していた整形外科を何度か受診したものの改善せず、別の整形外科を受診し、膝に水が溜まっているとの診断で3回ほど水を抜き、
お蔭様で膝は回復し歩行出来るようになりました。

今でこそ、要介護4の父と要介護1の母の諸事についてはわたしが窓口になっていますが、当時は、父と自身の介護関連の窓口は母でした。

膝の不調を知ったケアマネジャーは、すぐさま介護保険サービスを使って歩行器を手配してくだいました。

ケアマネジャーが手配してくださった歩行器は街歩き用で、座面の下に荷物を少し入れる事ができ、また、座ることもできるタイプのものでした。側弯症の母は、歩行時に荷物を持つことが出来ないため、買い物等は自転車を利用しており、歩行器は寧ろ室内で使うために必要でしたが、用意してくれた歩行器をリビングに持ち込み、車椅子の要領で使っていました。

膝は治療により短期間で回復したため、ケアマネジャーに利用停止を依頼したところ、それは、自身で介護用具店の担当者へ連絡するように指示されたそうです。

ニーズ把握せず先走りな対応だなと感じながら見守っていたところ、今度は、訪問看護を頼みましょう、とケアマネジャーから繰り返しの提案を受けた母は辟易しながら、「なんだか、サービスを使わせよう、使わせよう、としている」「恐らく、ケアマネジャーの利益のためだと思う」と語っていました。

認知症の進んだ父、要支援から、認知症として要介護になった母を間近で見ながら、確かに認知機能は衰えているものの、人の心を見る力は研ぎ澄まされてきたように思います。

市町村、包括支援センター、更には、ケアマネジャーの人柄、によっても違いはあると思いますが、サブスク的なこと、結構あると想像します。

わたしは独身で子供もいないため、そういう面では余力があり、両親の諸事には目を光らせる事が可能ですが、闇がそのまま葬られているかと思うと恐ろしいですし、パンドラの箱は開けてはいけない状況になている様にも感じます。

今回さん暗い内容になりますが、また、介護保険については、記録に残していこうと思ってきます。

以上です。






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