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マジョリティとは「気にせずにすむ人々」ーー #ふれる社会学 のイベントから


えらいことになりました!鳥取・汽水空港でのふれしゃかフェス(刊行記念イベント)を楽しんでいるあいだに、さらに在庫がごっそり減っていたそうです!!

ありがたい!!

ということで、年末年始返上で、誤字脱字修正した『ふれる社会学』増殖計画が進行することになりました!!

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嬉しい悲鳴!!

きゃー!!

がんばります!!

『ふれる社会学』の版元、北樹出版のみなさんの忘年会が先週開催されてて「えらい早いんやなぁ」と思っていたのですが、こーゆー時に備えて、なのですね。。

さて、前回のふれしゃかフェスでは『よい移民』とのコラボイベントとして「差別のカジュアルさにふれる」をテーマにトークして参りました!

熱い議論が多々あったのですが、なかでも、汽水空港さんがつぶやいてくださったコチラが1つのポイントかなぁと。昨晩、#ふれしゃかフェス を行った汽水空港さん➕Readin' Writin' さん➕僕でこんなやりとりがありました。


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そうなのです、上記のように書きました。
改めて引用します。

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マジョリティとは、気付かずにいられる人/気にしないでいられる人。この言葉が浮かんだのは、講義中に大学生の質問に答えるなかででした。

僕と上原さんで書いた『ふれる社会学』第15章では「気づかず・知らず・みずからは傷つかずにすませられること」は、マジョリティのもつ特権だと書きました。

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普通、マジョリティは「多数派」や「多数者」と訳されます。ということでマイノリティも「少数派」や「少数者」と訳されます。

ただ、アンソニー・ギデンズが超ブ厚い『社会学』という本の中で書いていたように、人数の多い/少ないだけでマジョリティとマイノリティを判断すると、

構造的な格差や差別を見逃しがちです。


たとえば、超少数のウルトラ特権階級なセレブの皆様がめちゃくちゃ暴利をむさぼっているのに「俺たちマイノリティだから」とか言われても「だまらっしゃい」てなりますよね?だから、多い/少ないだけで判断するのは危ういのです。

しかし、多数者や多数派と訳されているのはたしかで。

しかもそれは間違ってはおらずむしろ適切ではあるんだけど、なんかこう、ニュアンスが伝わりづらいなー、と思っておりました。

ちょうどそんな時に、学生に「マジョリティって、ぶっちゃけ何者なんですか?」と聞かれたわけです。


そして、咄嗟にでてきたのが、

「うーん、なにかしんどい状況とか差別が目の前にあるときに、それに気づかずにいられる人とか、気にしないでいられる人とか、その場からサッと立ち去れる人たちのことかなぁ」という言葉でした。

そうした人たちのことをマジョリティと呼べるのではないかな、と思います。

また、こうした「気づかず・知らず・みずからは傷つかずにすませられること」は「特権」だよなぁと思います。

さらに言えば、

気にしたくなくても、気にせざるをえない。

気にしたくないのに、気にしないといけない。

立ち去りたくても、立ち去れない。むしろ戻ってこないといけない。

それがマイノリティのしんどいところでは、とも思います。

マイノリティは「気にしすぎ」と言われることもまた多いのですが、それこそ「気にしすぎ」にさせてる社会の仕組みこそ、そしてマジョリティの特権性それ自体を問う必要があるように思います。


一方で、この特権性を「誰が相対的に多く持つか」は状況によって、ある程度変わりうると思います。

自分もマジョリティになってしまうかもしれない。

自分は気づかない間にマジョリティとして振る舞っていて、誰かを傷つけていたかもしれない。

誰かをしんどい状況に追い立てる仕組みを維持していたのかもしれない。

そんな気づきを得ることで、いままでとは少しちがう「自分」として、身の回りの人々とかかわれるようになるかもしれません。

あるいは、特権的なマジョリティとしんどい状況に追い込まれるマイノリティとに人々を分断する社会の仕組みに「ちょ、待てよ!」と言えるようになるかもしれません。

それはほんのちょっと、ポジティブに社会を変えていくことにつながっているはず。


この「特権性」の話は

第12章「差別感情にふれる」
第1章「スマホにふれる」

あと、何気に第6章「スニーカーにふれる」をはじめ、多くの章とかかわってくる論点だと思います。

そのあたりも含めて、『ふれる社会学』を読んでいただけますと幸いです!(突然のちゃっかり広報)


そして、これだけ広報しておきながら在庫が足りなくなっては申し訳なさすぎますので、修正に取りかかります!まだ、#ふれしゃかフェス を開催した本屋さんand「うちに本あるよ!」と名乗りをあげてくださっている本屋さんにはございますので、ぜひそちらでゲットしてくださいませ!

そして、このマイノリティ/マジョリティの話は、もう少し「カタい形式」でもきちんと書く予定です。がんばります。

ではでは、年末年始もよろしくお願いします!

じゅりあん

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オンラインイベント、やります!

新宿2丁目の足湯カフェ&バーどん浴さんへのサポートもコミコミですので、ぜひチケットをゲットしてくださいませ!よろしくお願いいたします😆

【追記】(2020.11.29)

おひさしぶりです。じゅりあんです。

追記することをうっかり忘れていたのですが、こちらのnoteをもとにしつつ、オンライン記事が配信されました。

「人種差別にピンと来ない」日本人には大きな特権があるという現実

こちらの記事を読んでいただいてから『ふれる社会学』を手に取ってもらえるとありがたいです。

このnoteを書いたときにもそうなのですが、マジョリティの特権という言い方を僕がしたときに念頭に置いているのは、「固定的かつ二項対立的な関係としてのみマイノリティとマジョリティの関係を捉える」議論からは「卒業」したいという目的があります。

そして、その上で「でも、非対称性な関係性を生み出している社会の仕組みはある」ときちんと問題提起したい、という目的も共にありました。

だからこそ、『ふれる社会学』ではインターセクショナリティ(交差性)という概念について紹介しています。

詳しくは本書をあたってほしいのですが、実はそのあたりをさらに前景化つつ、先ほどのオンライン記事も書きました。

2019年のこのnoteの記事から、少しは表現が「進化」しているかもしれませんし、しかしそもそも『ふれる社会学』にもう書いていたような気もします。

1度世に放たれた文章の解釈は(ある程度)自由ではあるのですが、「固定的かつ二項対立的に筆者は捉えている」わけではなく、むしろ「その逆である」と「文字通り」に解釈していただけましたら幸いです。


※付け足し①

ご質問いただいたので、コチラに書き加えますと、いろんな社会的属性をもっているのが個人ですので、マジョリティとマイノリティの関係は固定的・二項対立的というよりも、グラデーションのようなものかと思っています。ジェンダーや階層などもかかわりますので、個人の経験と社会構造のどちらも見なければなーと聞き取りしながら、考えています。このあたりも『ふれる社会学』を手に取っていただけますと幸いです。

※付け足し②

Nikeの動画のリプで気になることが。

「ある人のまわりで人種差別が見当たらない」ことと「日本に人種差別がある」ことは両立するということ、があまり共有されていないような。

「喜ばしいことに人種差別がない状況」を見ている人が目を向けていないところに実際にあるだろうし、そもそも身の回りのことに気づいていない可能性すらあるわけで。

人種差別にかかわらず、差別ってそーゆー側面があるので、「自分もやりかねない」ものとして捉えるべきだと思うし、だからこそ厄介だと思う。

だから「差別ってなくなりますか?」という質問に関しては、「それを観察することは物理的に不可能なので、見つけ次第、批判&介入&自省」だと思いまする。。


さて、嬉しいことに、こちらのnote・『ふれる社会学』・先ほどのオンライン記事から、議論を展開してくださっている方々がおられます。

哲学者の谷川さん。

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弁護士の太田さん。

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大変刺激を受けました…!

ありがたい限りです。

それでは。

今年も一気に寒くなってきましたね。

どうか、ご自愛くださいませ。

じゅりあん

【備忘録的な追記2】(2020.11.30)

Nikeの広告が話題ですね。

Nikeの広告が動揺を与えているのは、日本の人種差別を「気にせずにすむ」マジョリティの特権性を描いているから。


このNikeのリプ欄は
①日本に人種差別がある
②日本のレイシズムがいろんなルーツをもつ人々の「未来」を奪おうとしている
③人種差別を「気にせずにすむ人々=マジョリティ」が特権を行使している
④広告がマジョリティに動揺を与えている
⑤でも共に人種差別に抗議するマジョリティも大勢いる
ことの証左だと思います。

動揺して現状を否認するのではなく、日本のレイシズムという不平等・不公正と向き合い、一緒に「社会の仕組み」に介入するマジョリティもいることが希望の1つ。

(一方で、Nikeそれ自体についてはスウェットショップや宮下公園のホームレス排除のこともあり、いろいろ思うところもあるけど、それをもって何かをただちに断言するのではなく、じっくり向き合っていたい)

さまざまな抑圧は交差するもの(インターセクショナルなもの)だからこそ、レイシズムやセクシズムをはじめ、さまざまな社会問題や差別現象に絶えず介入し続けないといけないと思います。

こうして、僕が「筆をとる」ことができるのは、偶発的にもそれが可能な社会的条件があって、僕がこの社会的なポジションにいるから。ここにも、「特権がある」。

だから、僕は「筆をとる」ことで、なんとか適切に「特権を使う」ことで、レイシズムをはじめとするさまざまな問題と批判的に向き合いたいと思います。

青くさいこと書きましたが、やっぱりベタなことをベタにちゃんとするの大事やと思うんです。

至らぬところもありますが。。

これ書いてからじゃないと何も書けない気がしたので、わーっと書きました。

ではでは

じゅりあん

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【備忘録的な追記3】(2020.12.2)

Twitterとnoteに書いてあることをちゃんとストックさせておきましょう!(大意)という編集の方の熱い言葉と、これ書かないと前に進めない気がしたので、思い切って記事を書きました。

マジョリティ=気にせずにすむ人々、という話の最新形です。すこしだけ、前進できた気がしております。ぜひお読みください!


さらに後日Yahoo!にも記事を書きました。こちらもよろしければ、ぜひ。

NIKEに日本社会の人種差別を批判する「資格」はあるのか?(ケイン樹里安) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/keanejulian/20201204-00210873/




ではでは

じゅりあん











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お手柔らかによろしくお願い致します。文化社会学/文化研究の駆け出し研究者です。唐揚げとコーラが燃料。ビールとラーメン止まらない。ハーフに限らず海外ルーツと身の回りの人々を「半歩」から繋ぐ、がコンセプトのWEBメディアHAFU TALK(ハーフトーク)のゆるふわコラム担当。