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水に流せる

週末、、、、ということがわからないくらい、外に行っても普通にお父さんたちが昼間に子供の手を引き公園にいたりしていた1週間。
スーパーへ行ってもおじいさんではなく、雨の日の職人さんでもなく、普通の会社員たちを見かける不思議な光景。
コロナの影響で世の中が大きく変わろうとしているようだ、、、、不謹慎だけれども「働き方改革」の一環??と思ってしまうくらい。

でも私の中では、コロナどころではない実に怒涛の年末年始だった。


父が、年始早々に亡くなった
昨年から一応立ち上がり、つかまりながらなら歩行ができていた父だが、転ぶことも多くなり、とても家では看れない状態になり高齢者施設へ。秋の忙しい時期を終えてようやく12月の中旬になるころにホームへ父に会いに行き始めた頃。すこし風邪気味だということで、部屋での食事に付き合うかと行ったところ、とても辛そうな様子を見て異変を感じて施設の方にお医者さんを呼んでもらい、そのまま救急車で病院へ。
その後お正月を越して2週間目に息を引き取った。
意識がその間あったかどうかはわからないけれど、毎日のように会いに行き家族も自分も父とのお別れの覚悟ができていたように思う。
お葬式やその後の様々な手続きを淡々とこなしていき、先週ようやく納骨を終えたところ。

でも実はそれだけではなく、父より前に広島の叔母が、同じく昨年5月頃に突然白血病がわかり闘病の末、12月に亡くなり、、、父の後に、今度は従兄弟が10年以上の闘病の末、最近では元気だったのに突然亡くなった。最後に会ったのは叔母の葬式の時だったのに、、、、。
そんなわけで、葬儀のため広島を往復していたら私。

そして今度は、私の元夫、息子の父親が急死した。
息子からの連絡で病院へ行くと、息子が私の顔を見るなり感極まった様子で号泣。大きく成長した息子の背中をさすりながら、病院で元夫の最期を見送った。

実は、去年の3月に学生時代の友人が亡くなったのを皮切りに、仕事の関係者を2人を見送り、いずれもその前後、ご家族とも関わることがあり人の死を間近にみて重い気持ちでいた一年だった。
そんな時でもありこんなに続き、元夫の死に立ち会い、はっ、、お前もか!と思わず呟きそうになった。勘弁してくださいーと。意味がわからなーい、と嘆きたくなるくらい。

いろいろあって別れた夫だけれでも、それでも最後にそっと手を握った。
私が最期にできる精一杯のことだった。
彼もきっとまだやりたいことがあったはず、、、と。
実際後から分かったことには、翌日からタイへゴルフ旅行へ行く予定だったらしい。やっぱりね、、、うっかり死んでしまったらしい。
そんな人だもの。死ぬなんて思っていないし、誰よりも死が怖かった人だったから。
むしろうっかりでよかったね、と思ったりして。
長く寝たきりで苦しむなんて耐えられない人だもの。
私が20代の頃に出会って、、、出会ったことで良くも悪くも今の私がいる。
20代の私はその後こんなに波乱万丈な人生を歩むことになるとは思わなかったけれど、、、

でも今の私は普通に幸せだから、全部、

**「水に流せる」 **

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「3枚重ねのやさしさで、水に流せる」

ネタではなく、今、目に飛び込んではきたけれど、真実、その時の気持ちを表している。

この「水に流せる」ティッシュペーパーはぜひまた手に入れたい。
なんだか優しくなれそうで、そばに置いておきたいネーミング。
また悲しい事が起きた時には、これで涙を拭いて水に流そう、、、

だから早くティッシュの供給お願いします。

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