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『愛着障害の克服』

「愛着アプローチ」で、人は変われる 岡田尊司 著

私がこの本を手に取ったのは言いにくいのだが、子どもたちとの関係修復にきっかけを見出したかったという理由からだ。そして以前から保育園を主宰する義理の姉に「愛着」についての本をたくさん勧められていた。しかしわたしの問題の根源はそこではないと考えていたので数年間放置していた。

著者の岡田尊司さんは精神科医で作家。著者紹介文によると、東京大学文学部哲学科中退、京都大学の医学部卒、同大学院にて研究に従事するとともに、京都医療少年院、京都府立洛南病院などで困難な課題を抱えた若者と向かい合う。現在、岡田クリニック院長(枚方市)と書かれている。私が知らなかっただけで岡田尊司さんは『愛着傷害』の第一人者でありベストセラー作家であった。
読み始めるとすぐに気づきがあった。それは「愛着障害」は人間が生きていく様々な場面に関わってくるものではないか。そして「愛着障害」の克服はその多くに適用できる処方箋となり得るのでは? そのように感じて、どんどんページを読み進めた。そしてわたしが自分ごととして想像したのは下記の一文によってであった。

それは言い換えると、医師が持つ治療のレパートリーに診断が左右されるということだ。

自分の仕事も同じではないか? もっともわたしの仕事グラフィックデザインは医師のように診断が直接、人の生命に関わるわけではないが。治療のレパートリーによって診断が左右されることに置き換えると、それまでの思考のレパートリーによって表現方法が左右されることはかなりあるだろうと思う。それはとても恥ずかしいことだと感じてしまった。そういう意味でレパートリーは広げておかないといけない。旅に出て知らない友達と会い、何かを感じる以外にレパートリーを広げる手段は思いつかいない。そうやって心をほぐした後に何かが交換されるように思う。

また本書のなかでわたしが最も強く惹かれたセンテンスを下記に引用させていただく。とても勇気を与えられた一節だった。

 医学モデルでは、「病気→症状」、つまり「病気が症状を引き起こしている」という前提に立っている。そこから「症状→病気の診断→治療→症状改善」という治療モデルが成り立つわけである。
 一方、愛着モデルでは、「愛着へのダメージ→不安定な愛着→ストレス耐性・適応力の低下→症状出現」というメカニズムを想定している。それゆえ回復モデルも、医学モデルの場合とは異なり、「不安定な愛着→愛着関係への注目→愛着の安定化→ストレス耐性・適応力の改善→より高いレベルの適応」という流れで回復を図る。
 ここで、注目して欲しいのは、愛着モデルにおける回復のゴールは症状の改善ではなく、より高いレベルの適応、言い換えると、「その人本来の生き方を獲得すること」にあるということだ。症状はそれに伴って自然に消退していく。(第1章 なぜ愛着なのか)より抜粋

「その人本来の生き方を獲得する」に向かうための旅路であると捉えるならば、今の長引いている葛藤の時間にも合点がいくし、救われた気持ちになる。子どもたちはそれぞれに生きづらさと対峙して苦しそうにしている。しかしそれは本来の生き方を探す旅に出発したからであると認めるならば、わたしは置いてけぼりを食らわないように、これまでのこだわりを捨て自分の「生き方を獲得」する一歩を踏み出すしかない。

そして本書の巻末「おわりに」の最終行に、馴染みのあるお名前があった。

頼もしい協力者である大阪心理教育センターの魚住絹代氏はじめカウンセラー諸氏に、心からの謝意を記したい。

魚住絹代さんは、わたしがメールマガジン月刊「少年問題」で、毛利甚八(故人)さんの指導のもとに、連載小説を執筆していた時の盟友であった。魚住さんはずっと少年更生の現場にたずさわっている方であり、著書も数冊出されている方なので、盟友とお呼びするのはたいへんおこがましいと思うけど。連載小説へは当初10名ほどの方が名乗りをあげ、それでも1年以上に渡って毎月の連載を続けられたのは魚住さんとわたしだけであった。わたしは毎月の執筆にとても苦しんでいたので、編集長である毛利さんの励ましの言葉とともに魚住さんの存在を心強く感じていた。だから本書の最終行に魚住絹代さんの名を見た時は大きな縁を感じた。人間は誰しも障害を持っているのだ。そのことを忘れてすぐに奢ってしまうけど。

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