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書籍『日本で最も美しい村をつくる人たち もう一つの働き方と暮らしの実践』

2022年につくった本の紹介です。帯は元エルメスパリ本社副社長で現在シーナリーインターナショナル代表の齋藤峰明さんに書いていただきました。

美しい里山の景観は人の心を動かします。
なぜならその背景には自然と共生しながら
生活の営みをしてきた人々がいるからです。
本書は今一度、私たちの原風景である
サステナブルな生活の大切さを呼び起こしてくれます。

齋藤峰明

元エルメスパリ本社副社長
現在シーナリーインターナショナル代表

https://murakara.stores.jp/items/6245479b047a9d7edd64a29e

前書き
ジュリアーノナカニシ
(本書企画者/ グラフィックデザイナー)

わたしが"「日本で最も美しい村」連合"と名乗る団体の運動に共感したのは、あるウェブサイトで目にした一文からでした。

 〜NPO法人「日本で最も美しい村」連合は、2005年に7つの町村からスタートしました。 当時は、いわゆる平成の大合併の時期で市町村合併が促進され、小さくても素晴らしい地域資源や美しい景観を持つ村の存続が難しくなってきた時期でした。私たちは、失ったら二度と取り戻せない、そんな日本の農山漁村の景観や文化・環境を守りつつ、最も美しい村としての自立を目指す運動をはじめました。「日本で最も美しい村」連合と言います。お手本にしたのは「フランスで最も美しい村」活動。今、イタリア、ベルギーなども加え、地域文化の活性化は世界的なムーブメントになっています。(後略)〜

 弱きを助けるために立ち上がった7人のサムライのようで、その運動にとても共感しました。2007年5月のことです。そこから(通称)美しい村連合の個人サポーターとして村へ出掛けていく機会が増えました。
 わたしが初めて訪ねた「日本で最も美しい村」は、当時「葉っぱビジネスのまち」として話題になっていた徳島県上勝町。日本全国の美しい村々から首長さんはじめ美しい村連合の有志が、年に一度結集する総会&フェスティバルの会場でした。人口2,000人ほどの四国の山あいの辺境の地に、同じく日本中の辺境の村々から、故郷の美しさの存続のために集い、困りごとや目指すべき方向を共有する時間を持つ。それはとても温かく、また刺激的な時間でした。
 その上勝町は、町内から出る焼却・埋め立てごみをゼロにするという目標を掲げ、日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言を2003年に行っていました。町長のメッセージは「上流に住んでいる私たちは、下流に住む人々の水を濁してはいけない」。
 しかし2011年3月11日の東北大震災では、東京電力福島原発1号機の放射能漏れ事故により、「日本で最も美しい村」連合に加盟した直後の福島県飯舘村が全村避難となりました。その翌年の2012年6月に飯舘村を訪ねた時のことです。村は静まりかえっていて人気は無く、見えない放射能に怖さを憶えながら一人役場を目指しました。車を降りて、役場前に設置されている線量計を見つめていた時、軽トラックに乗った農作業姿の男性が近づいて来て、何者かわからないわたしに向かって言いました。
 「失ってみてよくわかったなぁ。山と畑に囲まれて、ポツリポツリとみんな離れて暮らしていて、夜は真っ暗。きれいな空気とうまい水しかない。そんなもの売れないしと思って、村でずっと60年以上暮らしていたけれど、それがなによりも大事な宝ものだったんだなぁ」
 その言葉に美しさの真実があると思いました。そこから、わたしは村へ出掛け続け、お聞きした内容を季刊紙として纏めての発行を始めました。
 最初はわたし一人の手弁当で始めた季刊紙づくりですが、まるで桃太郎のように旅先で仲間が増えていきました。人との「ご縁」、それがとても不思議であり今日まで発行を続けられています。
 奈良県の吉野町を取材したのは2018年4月の中旬。吉野山の桜は少し前に満開を終えていましたが、金峯山寺に続く参道や家々の軒先を風に舞ったピンクの花びらが染めて美しかったのを憶えています。その日が暮れた吉野山で、吉野山観光協会の東会長のお話しを聞いていた時、はっとしました。
 「加盟する町村、それぞれがお互いを宣伝し合うなど連携を取り合って『美しい村に入って良かった』と思える価値観を打ち出す必要があるんじゃないでしょうか? 例えば新聞のように、一度読んで捨てられてしまうものでなく、永久保存できるガイドブック。うちに泊まったお客さんが自分の部屋に持ち込んで、読みたくなるような立派なもの。それを読んで、じゃあ他の美しい村にも行ってみようか、となるような。そうしたお互いの連携があってこそ、『美しい村連合としての価値』があると思います」(東会長)
 今回の書籍は、この時の東会長の言葉により発想を得たものです。季刊紙は2022年1月末現在で38号まで発行しています。これまで40カ所の最も美しい村を訪ね、250組余りの方に取材を受けていただきました。その記事のダイジェスト版が本書になります。
 また、2018年の晩秋にフランス南西部、オクシタニ地方の最も美しい村を取材した際には中世の巡礼路「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の要所として有名な村「コンク」を訪れました。そこで観光協会のアンさんと懇意になり、翌2019年にはアンさんを吉野町と曽爾村にお連れすることができました。アンさんは来日直前に利き手を骨折、わたしは家族に大きな困難を抱えていた時期であったのですが、ススキが金色に輝く曽爾高原を一緒に歩きながら、最も美しい村での人間らしい時間を楽しむことができました。
 何よりも旅の魅力は人との出会いです。そしてどの村でも感じることは、人との出会いの場所が美しい山里や漁村であれば、自分の心が素直になる。他者の考えを受け入れやすくなる。これが私の美しい村体験です。だから日本中を美しい村にしたい。
 誰もがおおらかで、子どもや女性の笑顔が日本中の辺境の村から世界に伝播していく。日本国憲法の前文に掲げられているように「平和」で世界を牽引できる国も夢ではありません。そんな世界の在り方が村の暮らしから見えてきます。


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