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私と恋愛① -恋愛し/できないと気付いたきっかけ-

本noteでは主に性別移行にまつわる投稿が中心ですが、私は同時にアロマンティックアセクシュアル当事者でもあります。簡単に言うと「他者に恋愛感情を抱かない」「他者に性的に惹かれない」セクシュアリティです。性的マイノリティは「LGBT」と一つに括られて語られがちですが、性的指向と性自認はそれぞれ独立した問題です。例えば、男性として生まれて性自認が女性だからと言って、全員が性自認に対する”異性”たる男性に惹かれるとは限りません。私のように「そもそも恋愛的に惹かれることの有無」だって関わってきます。現在は悩みとなるシチュエーションが少なくなってきてはいますが、私のセクシュアリティを形成する一要素である恋愛に関して2回に分けて述べていきたいと思います。
※なお今回の記事は、(特非)にじいろ学校さんの主催で5/2にtwitter上で行われた #おうちで交流会Aroの部0502 に参加した際の私のツイートとブログ記事の再編となります。

自分が恋愛感情を抱かない人間だと気付いたきっかけについて。端的に言うと「色恋沙汰と縁無く過ごしていたら同性愛疑惑を持たれ、調べていった結果自認に至った」とでもなりましょうか。当事者の中には恋愛を経て自認した方もいますが、私の場合はそうではありませんでした。「非モテの拗らせ」と紙一重の、自認過程としては珍しい方だと思います。


未分化な憧れ

中学校の頃から、周囲ではいわゆる恋話(コイバナ)が増えてきました。当時からこれらにピンと来ず入っていけない感覚はなんとなくあったと思います。女性に対して抱いていた感情はあったものの、それは自身の性別・男体への違和に由来した「こうなりたい」という意味での憧れ。当時は今ほどはっきりと言語化できてはおらず、でも”恋愛としての好き”とはどこか違うような感覚は頭の片隅にありました。この未分化な願望を区別できたのは、高校を出た後くらいだったように思います。

一応恋愛については「皆がそうしたい(と感じるはずの)もの」という義務感から、特に高校時代はやってみようと考えていました。しかし私自身がいわゆる"非モテ"だったこともあってか、女性からのアプローチは皆無。自分も前述の「どこか違う」感覚があったのか、いわゆるアプローチを仕掛けようという気にもなりませんでした。そもそもアプローチって何をどうやるのかすらわからず。そもそも自分に恋愛感情が向けられ告白されるという想定自体が無いものですから、今現在でさえ仮に告白をされたら「え、私なんかに?嘘でしょ!?」と取り乱してしまうでしょう。それをされない自負はありますがね。なので、当時の周囲からの認識は恐らく「モテない草食系男子」或いは「草食系男子というカテゴリにすら入れない何か」だったと思います。ただ少し違うのは、奥手とは別の話として恋愛へのモチベーションが持てなかったことでしょうか。草食より寧ろ「絶食系男子」という言葉の方に親和性を感じていたことは覚えています。


欠陥品か

大学に進学してからは男体への違和に由来した願望を恋愛とは別と捉えることができてきましたが。しかし”典型的トランス当事者”のような生育歴を歩んでは来ず、容姿も既に著しく男性的だった私には「自分はGIDではない!」という謎の確信がありまして。それ故に自身のことは「恋愛に興味は無いが性癖の歪んだ変態非モテ男」と捉えていました。オーケストラ部というかなり大所帯のコミュニティに所属していたことや学科の男女比が「男:女=2;8」くらいだったことから、部活の友人や原家族からは"浮いた話"が一向に無いことをずっと不審がられていました。部活の合宿で行われていた「野郎飲み」なる飲み会も、色恋沙汰どころか『誰々とヤりたい』といった話が飛び交う噂を耳にし、4年間参加することはついぞありませんでした(この辺は恋愛romantic以外にも性愛sexualの話が絡んでくるので今回は省かせて頂きます)。
そして学部生活終盤。当時はネットでゲイをネタにしたコンテンツの流行期。そのせいか、色恋と無縁の私は友人から"ゲイ疑惑"を持たれることに。その場では取り繕いつつも、自分は本当にゲイなのだろうかと暫くは思い悩む時期が続きました。男性と恋愛やその先をしたい訳じゃない。かと言って女性ともしたくはない。皆がするはずのことができない。「女一人好きになれない」自分は欠陥品ではないかとの思いと共に学部生活を終えました。なお、これは当時私が使っていたそのままの言い回しですが、「男は女を抱いてこそ一人前」なホモソーシャル的価値観に囚われていたことが窺えますね。ここでの「女」は特定の誰かではなくtrophy wife的な概念だったと思います。荒っぽい考え方に支配されていたものです…。


見つけたその言葉

修士課程に進学すると実習や研究の関係で僅かながらジェンダーに触れる必要性が出てきました。また、音楽関係でオープンリーゲイの方とご一緒する機会があったり「放浪息子」のアニメが放映されていたりもしていて、必然的に自分の性別や恋愛に意識を向けざるを得なくなりました。調査の合間に少しずつこの辺のことを調べだして、まずはゲイでないことを確認。「恋愛 できない」で調べてもモテテクの記事や掲示板の喪男スレが出るばかりでしたが、確か「性自認」や「ジェンダー」を加えて検索して「アセクシュアル」を見つけました。それが自分に当てはまること!この時初めて「自分はおかしくないんだ!」と思えて、随分とホッとしたことを覚えています。そして働き始める頃には「自分は恋愛をしない人間である」との自認をハッキリ持つようになりました。なお、いわゆる広義のアセクシュアルがromanticとsexualに分かれること、恋愛感情の有無が白と黒に分けられないことを私が知るのは、身体への違和感や将来について考えるのと同じくだいぶ先の話になります。
しかし、自認をしたからと言って悩みから解放されるわけではありません。数度の仕事上での挫折や原家族との確執を経て実家を出ても前職在職期間の半分くらいまでは、色恋沙汰に縁が無いことによる周囲からの”アドバイス”に随分と悩まされました。今となっては実家との関わり以外で「恋愛し/できない」ことによるネガティブな出来事はありません。ただ、老後のことを思うとパートナー関係や居住形態に関する問題は無視できないなぁとぼんやり思うわけです。
 

今回はひとまずここまで。次回は巷に蔓延る恋愛に関するコンテンツや考え方について述べていきます。

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