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運がいいとか悪いとか

母と妹に「あなたは運が良いから」と言われて育った。
けれど私は自分が特別運が良いとは思わない。
特別運が良いわけでも運が悪いわけでもない。
でも人に運が良いと言われることの所以は何か。
を、昨日少し考えていたのでここに示す。


私は人と話すとき、どうでもいい話題の中から少しでも"良い"ことを選ぶ。
楽しいことをより楽しそうに、嬉しかったことをより嬉しそうに、面白いことをより面白そうに。
悲しかったことを「でもそれって面白いよね」「興味深いよね」と面白そうに。
人と話すなら、どうせなら楽しく話したい。プラスの感情で終わる話し口にしたい。
そうやって些細なことを、楽しそうに弾んで話すようにしている。
している、というか現在の私はそういう性質にある。
他人とコミュニケーションを取ることの目的意識の方向性なのかな、と思う。
私はどうも他の人間より自己肯定感が高くできているようで、人と話すときに他人の共感は求めていない。
そのため会話が何か起こったことの報告やそれを受けて考えたことの報告になる傾向がある。
どうせ人と話すなら、楽しい話がしたい。
マイナスな話はひとりで言語化して言葉の海に勝手に捨ておく。そしてすぐ忘れる。
結果人と話すとき、良いことしか話さなくなる。
すると常に良いことしか起こらない人間かのように思われるようになるということなのだろう。

私は全然運が良くない。自分が運が良いとはまったく思わない。
でも人に「あの人は運がいい」と知らず知らず思われていることは良いことなんじゃないかと思った。
私の努力や育ちや性質を全て"運"に回収されてしまうことに、それも近しい人間にそれをされるということにほんの少しだけ思うところはあるけれど、私はこれからも些細なことを楽しそうに弾むように歌うように話しながら生きていたいと思った。

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