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はじめて自転車に乗れた日

初めて補助輪なしの自転車に乗れた日のことを覚えている。

なぜならその日が私の自我が芽生えた日でもあるからだ。

4歳だった。千葉市美浜区の公務員宿舎の、同じようなかたちの白い四角い建物がたくさん並んだ、つまり端的に言えば"団地"の中でのことだ。

2歳から芝生の上で補助輪なしで自転車に乗る練習をしていた私は4歳でもう完璧に1人で補助なし自転車に乗れるようになっていた。

それまで私の世界は、たくさんの同じような白い四角い建物、の中の一つ、自分の家のある棟の前だけだった。

自宅のある棟の前の舗装された道と、その奥の棟との間の芝生。そこだけで同じ棟の歳の近い友だちと遊ぶ、それが私の世界だった。

けれど補助なし自転車は速い。ひと漕ぎで、補助輪のついた自転車と何が違うのか、ぐん、と前へ進む。

だから、補助輪なしで乗れるようになった私は、私の小さな世界を飛び出した。

親が自宅棟の前で待っていたのか、本当に1人だったのかはもう覚えていない。けれど飛び出した。確かに1人で、自転車だけをおともに、飛び出した。

隣の棟との間に自動車も通る道があった。そこを1人で渡る。それは小さな世界の王様であった小さな私には文字通り未知の世界だった。親と一緒に通ったことはあったのだろうか。それもよく覚えていない。

道を渡った。自宅棟と同じような四角い建物。同じような棟の前の舗装された道。住んでいた棟は白と言っても少しだけ黄土色を混ぜ込んだような淡い色で、初めて前を通った隣の棟は、そのときの私の目には本当の"白"のようにうつった。まっさらな、新しい世界の白だ。

私の小さな初めての冒険はまるで順調かのように思えた。けれど4歳。初めての小さな旅。私の自転車は座礁した。

隣の棟の前の舗装された道はどこまでもは続いてはいなかった。私の小さな自転車は縁石に乗り上げ、芝生に突っ込んだ。自転車と一緒に私も倒れた。

私は泣いた。転んだ膝が痛かった。持ち上げようとした自転車が重かった。同じようなかたちが並んだ同じような道なのに、確かにそこは知らない場所で、とても心細かった。日が落ちかけて斜めから降りそそぐ太陽が今にも沈みそうで怖かった。

けれど私は少し泣いて、無理やり続きの涙を飲み込んだ。ここで泣いていても、誰も助けは来ないのだ。私が道を外れて芝生の上の茂みで泣いていることに自宅棟に居る親が気づくとは思えなかった。気づいたとしてもあまりにも私の帰りが遅かったときに、来た道を辿ってやっと見つけてもらえるのだろう。

自分で帰るのが一番早い。私はそう思った。小さいけれど、私にとっては重い自転車を1人で起こし、芝生から下ろし、また跨った。そして漕ぎ出した。

色々な記憶は曖昧だけれど、そのときは夕焼けの時間だった。少しオレンジがかった視界の中、私は自転車を漕いでいた。膝が痛かった。心細かった。けれど私が私の足で漕がなければどこにも辿り着かないことを4歳の私は確かに感じていた。

道を渡り自宅棟の前に入った。自宅は入った方の反対の端である。けれど道を渡り見知った黄土色がかった四角い建物の前にいる、ただそれだけで安心した。自宅棟の前ではいつだって私は私の世界の王様だった。だから私はもう泣かなかった。自転車を下りて胸を張って押して歩く。

四角い建物と夕焼けと痛い膝。私の一番最初の記憶で、初めて自転車に乗れた日でもある。自分の足で漕がなきゃどこにも辿り着けない。そう私の自我が生まれた日でもある。

千葉市美浜区、稲毛海岸の団地、自宅棟の前。あの日世界は少しだけ広がった。

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