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発熱と記憶

熱が出ると臓器の一つ一つが重さを主張してきて内臓の存在感が増す。
風邪をひくといつも、小学校1年生のときの保健室のベッドを思い出す。
なめ猫のポスターの貼られた棚で仕切られたベッドスペース。
あれは転校前の学校の保健室か、それとも転校後の保健室か今になっては記憶はあやふやだ。
けれど清潔な白い、いやに糊のきいたシーツと布団の間でぼんやりとなめ猫のポスターを眺めながら親の到着を待つあいだの、節々の熱さや内臓の重たさのことは今でも覚えている。
よく熱を出す子どもだった。扁桃腺が大きいらしく、風邪をひくとすぐに喉が腫れ、いつの間にか熱が上がり保健室を経てよく早退していた。
母はよく熱を出すことについて「未熟児だったから」と話していた。
今になって思うと関連性はとても低い。けれど自分も親になってわかる。悔やんでいる事柄一つ一つに原因を見出してしまいがちな接続が、わかるようになってしまった。

小学校のカーテンには遮光性なんてない。黄ばんだ薄い、かつては白だったのであろうカーテン越しの明るい保健室。窓の外の運動場から聞こえるたくさんの子どもの声。隣のベッドの上級生から渡されるメモ。まぶたの上の重たい熱さ。自分がいつか大人になるだなんて信じられなかった関節の痛み。
微熱に炙られてうとうとしていると、まるで昨日のことのように思い出す。

けれどいつしか私は大人になっていて、「お母さんが熱あると娘ちゃんが学校行けないんだから月曜日までには治してね」と自分が産んだとは思えないほど風邪をひかない子に言われている。
喉が痛い。まぶたの上が重たく熱い。臓器がやけに重さを主張してくる。
寝室の隣のリビングで子どもと夫がゲームをしている声が聞こえる。
うとうとしながら白い光の保健室と賑やかなゲーム音のリビングのあいだを漂う。
今が何時でここがどこなのか曖昧な感覚に、ああ熱があるなと体温計の示す数字だけでなく理解した。

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