あたたかくて、あつかった山一。

美容室にて、輪郭が酷く歪むほどのお度数のめがねを外すと、全てのものは単純化した図形として捉えるしかなく、デッサンをするんだとしたら有用なのかもしれない視界が広がる。(「お度数」は、めがね屋さんのスタッフさんがそう呼んでいるのを聞いて気に入った言葉である。)

いつもは目もくれない雑誌が見れるiPadで、今日はとある雑誌が思い浮かんで検索をかけた。
iPadの画面を拡大して、小学生の音読の姿勢でまじまじと読むのはミュージック・カルチャー・マガジン『Rolling Stone Japan』

BREIMENというバンドのベースボーカル高木さんと、hamaiba監督(わたしのnoteではハッピーバード監督と勝手に命名させていただく)との対談が載っているらしい。

対談では、エリアの再開発によって取り壊しが決まった、2人とその仲間が7年間に渡って拠点としていたアパート「山一」の歴史、そして、山一というコミュニティを軸に繰り広げられる2人のクリエイティブな話がまとめられており、ライターは山一という場所について「社会の狭い価値観から外れた人たちも許容した場所・山一」と紹介していた。

ルームシェアをしたこともなければ取り壊しの通知を受け取ったこともないわたしには、きっと文章としてしか理解出来ていないことがたくさんあるように感じたけれど、「今、いつでも来ていい場所とか居ていい場所って世の中にないんだよ。」というハッピーバード監督の言葉はなんだかわたしにもちゃんと分かれたような気がした。
ハッピーバード監督が山一について「社会のどこにも居られない人がここにいる。」と話しているのを読んでは、「山一は、わたしにとってのマスターのところみたいなものなのかな。」と思ったり、高木さんについて「人生のレールを思いっきり変えてくれた。」と話しているのを読んでは、「ハッピーバード監督にとっての高木さんは、わたしにとっての友人みたいなものなのかな。」と思ったりした。

今日はそんな山一の契約最終日。
「さよなら 山一」という写真展示をするとのことで、わたしは契約最終日にして初めて山一にお邪魔することになった。

中に入ると、山一での日常の写真が部屋の間取りに対応して壁いっぱいに貼られていて、切り取る日常やカメラを向ける視線、生活の色から山一のカルチャーがよく伝わってくる。
オトコの集まる家だけあって際どい写真が多く、気に入っている1枚を聞くとみんな揃ってギリアウトな写真を指し、みんな揃って「アートです。」と言うので「Pinterestとかに載ってそうだね。」と感想を伝えておいた。


展示には、たくさんの人が「お邪魔します。」というご挨拶と共にあそびにきた。

展示にあそびに来た人たちに、「おすすめの写真はどれですか?」と聞かれ、同じく展示にあそびに来たわたしはオロオロとしたり、わたしとのツーショットをお願いされ「???」を浮かべながらも一緒に写真に写ってみたり、「マネージャーですか?」と尋ねられ「違います...!」と答えたりしていると突然、わたしの、山一と、山一のみんなとのよく分からない関係を突きつけられたような気がした。

わたしはマネージャーでなければ住人でもファミリーでもなくて、「おともだち」というのはなんか違う気がするけれど、「知り合い」はちょっと寂しくて、出会いは仕事だけど今後仕事として関わることは、もうないかもしれなくて。
わたしは目的がなければ会うことはなくて、連絡しなければ会うことはなくて、時間が合わなければ会うことはなくて。

ここに思い出なんかないのになんだか居心地が良くて、ついつい居座ってしまうけれど、居れば居るほど、ここに思い出がある人たちが心底羨ましくて、わたしにはここに思い出がないことに寂しくなった。


そういう疎外感、孤独感が襲いかかってくるほどに、山一は山一のみんなのものだった。


そして、その感情はきっと、展示としてこれ以上ない体験だった。



みんなあたたかくて、部屋はあつくて。
高齢者の方が、暑さに気づかず熱中症になって亡くなってしまうなんて二ュースを見るけれど、もしこの部屋の暑さに気づかぬまま死ぬんだとしたら、わたしには惜しくて、きっとわたしは、あつい、あつい、と全身で山一のあつさを噛み締めながら死ぬだろう。


山一の隣には「出逢い」というスナックの看板が下がっていた。

While Writing
『リーガルリリー/キラキラの灰』

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