見出し画像

子どもが言うことを聞かない

子どもが言うことを聞かなくて困っている

反抗期は正常進化

よくよくかんがえてみると、自分にも子どもの時代があったし、今ふり返って見ると「あの頃は反抗期だったな~」って思う方がほとんどではないでしょうか。

そう、そもそも子どもってそういうもんです。特に中学生くらいになったら反抗期になるので言うことなんか聞かなくなります。(最近は中学で反抗期らしい反抗期がなかった子が、高校生で反抗期デビューしてしまうケースも多いですけどね)

文字にして見ると「そうだよね」ってほとんどのお父さんお母さんが思われるのではないでしょうか。「そうそう、そんなことは分かってる」と。

でも、いざ我が子のこととなるとどうでしょう。塾でたくさんの親子関係を見てきましたが、子どもが「正常に」反抗期を迎えているにもかかわらず、親の方が関わり方を変えられないケースをよく見ます。

子どもの世界は変わっているのに

まずはいったんそれはOKとしましょう。ついこの間までかわいかった子がどんどん変わっていくのについていけないのは当然のことです。親は子どもをずっと家の中だけで見てきていますが、子どもはたった10数年で、親子→家の周り(公園)→保育園→小学校→中学校と、大きく住む世界・環境を変えてきています。大人だって10年で5回転職してたらなかなかなもんですよね。色んな意味で。子どもはそれをやっているわけです。

お父さんお母さん方が我が子のために、毎日色んなことを考えて心を砕いていらっしゃるのは痛いほどよく分かります。しかし幸か不幸か、子どもにとって親はいつも気にかける存在ではありません。まして中学生や高校生くらいになると、親は生活のうちのほんのごく一部に過ぎません。空気のような存在です。必要だけど気にしない。1日の大半を外で過ごして、親と話をする時間なんて1日数分ってのが普通じゃないでしょうか。

上司に人生そのものを否定されるみたいな

ことの是非はともかくとして、1日数分しか会話しない相手に自分の全てを知っているように言われたらどう思うでしょう?会社勤めをしている方なら、こう想像してみてください。1日数分、必要最低限の業務でしか関わらない上司にあなたの生活そのものをくどくど説教されるのです。最悪ですよね。

これがまさに「子ども目線」です。もちろん、上司と親では設定が違います。上司は自分の人生を知らない他人であり、親は自分の人生を見てきている唯一無二の家族。違うんですが、子どもから見たら同じだ、という話です。

もちろん、おとうさんおかあさんを責めているのでも悪いわけでもありません。お子さんのことを1番知っているのはお父さんお母さんに他なりません。当然です。だからこそいろいろ言いたくなるし、怒りたくもなるもんです。ただ目線を変えると、見える景色が全然違います。ここにすれ違いの原因があります。

お父さんお母さんが言ってくれた、やってくれた事に本当の意味で感謝出来るようになるのは10年以上先の話です。今はまだその時ではありません。これは受け入れざるを得ない真実です。みなさんもそうだったでしょう?

では、どうすればいいか

子どもとの距離を取ること

さて、長々と書いてしまいましたが、結論です。

お子さんが言うことを聞かなくなった時は、子離れの時です。お子さんから少し距離を取ってみてください。

ここがちょっと難しい所ですが、「距離を取る」というのは親が我慢して子どもの好きにさせるとか、子どもの言いなりになって意見を言わないということとは違います。言うべきことは言えばいいし、正すべき所は正すよう言ってください。それは親の役目です。

では、距離を取るとはどういうことか。

多分、ですよ。僕のイメージでしかないですが、ちょっとだけでいいのでお父さんお母さん自身が「自分のための時間」を持ってくれるといいのではないかと思います。

長く続いた「訓練」の時代

ちょっと話が飛びますが、、、

日本の教育・・・というと大それた言い方ですから「子育て」と言い換えてもいいかもしれませんが、日本では長いこと「親の・家の・日本の価値観を植え付ける訓練」が「よし」とされてきました。哲学・社会学用語ではこれをdisciplineと言いますが、「規律・訓練・鍛錬・懲罰」の意味を持ちます。子どもは未熟であり人間として成り立っていない。だからきちんとした人間に作り上げるのだ、というニュアンスを持ちます。現代的な意味での「教育」とははっきり区別されています。

このdisciplineという言葉自体はもちろん西洋のものですが、日本でも似たような考え方をつい最近まで持っていました。例えば「赤子」という言葉があります。あかご、と読むのが一般的ですが戦時中は「せきし」と呼ばれ、子どもは全て「国(=天皇)の子」として「立派な国民」にする事が大切だと言う考え方をよしとしてきました。家父長制度(父親が家庭の頂点であるという考え方で、古くは儒教に由来します)の過激版ですね。今の親世代のさらに親世代(今の70歳前後世代)はそんな時代の直後に生まれています。その影響は2代・3代を経た今の親世代も少なからず受けているわけです。

しかしこの20年ほどで子どもをとりまく環境は一気に変わりました。

「子どもといえども人格を持った1人の人間である」という見方です。「子→個」となったのです。当たり前に聞こえるかもしれませんが、実はごく最近のことなのです。余談ですがちょうど「子供→子ども」となった時代と重なります。文字通り子どもへの見方が大きく転換した時期です。(現在は文科省が「別にどっちでもええ、子供でいいやろ」って言ってます)

今のお父さん・お母さん世代のみなさんは、まさにこの過渡期を、子どもの時は「子」として訓練され、大人になってからは我が子を「個」として教育しなければならない、そんな難しい世代を生きていらっしゃるわけです。

親が自分の時間を持つこと

話を元に戻します。

僕の考え過ぎかもしれませんが、子どもの「個」は尊重されているけど、親の「個」はあまり尊重されていない気がしてなりません。親が個としての人生を生きること、結構大事なことだと思います。そしてそれが結果的に子どもの成長を促すことになるのではないか、と思っています。なにせ「親」を見て子どもは大人になっていくのですから。

そう言う意味も含め、少しだけ「自分自身のためだけの時間」を作ってみてはいかがでしょうか。何も難しい事はありません。家でゆっくり本を読む時間、趣味の何かをする時間、自分だけが見たいテレビを見る時間。そんなのでOKです。その間は子どもを放っておいてください。

ほとんどのお父さんお母さんは、こういう時間を持っていらっしゃらないのではないかと、ちょっと心配しています。旅行、バーベキュー、何でもいいですがそれって1番に子どものことを考えちゃってませんか?いや、それはそれでOKですが、それとは別で完全なる「自分のための時間」をあえて作って、それを楽しむ姿を見せてあげてください。その代わり子どもに皿洗いでもさせればいいと思いますし、やらなさそうでしたら好きにゲームでも何でもさせればいい。家にいるとそんなこととても出来ないという方は、1時間ファミレスや喫茶店にでも行ってしまいましょう。

「そんなことしたら、よけい家事が大変になる」という声が聞こえてきそうですが、、、夫婦で家事分担でもいいですし、子どもに500円渡して皿洗いや洗濯をさせるでもいい(各県の最低賃金が時給900~1000円くらいですから、まぁ妥当でしょう)、とにかくまずはそんなことをやってみませんか?そうして少しだけでいいからお子さんから距離を取ってみるのをお薦めします。実践された方からは意外と好評を博していますので、多分悪くないと思います。

余談ですが子どもにお小遣いを渡して何かをさせるときは、「評価を決めた上での後払い」にしておきましょうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?