見出し画像

トークイベント『日本語を教えるという経験から考える』に参加して

大阪の人は意識が高い
ではなく、関西の中でも、同じ問題意識を抱えた人たちが集まっていただけかも?

オフショアを2022年の9月に那覇の古本うららで購入してから、ずーっと追っかけて読んできた。その中にエッセイを寄稿した人たちを本当に目の前で見て感動。ほんとに存在するるんだ、この人たち。。。

今回のイベントは、
「アジアを読む文芸誌『オフショア』がお送りするトークイベント
 日本語を教えるという経験から考える」

というもの。
日本語教育に携わっている、太田さん、得能さんをゲストに、『オフショア』発行人の山本佳奈子さんが聞き手・司会となる。

それぞれの人生や仕事のなかで、どういう経緯で日本語教育に関わるようになったのか、が語られていて面白かった。
得能さんの「40代を目前にして、結構勉強しようと思えばまだできるもんだ」と、日本語教育を始められたという話には元気が出た。(わたしだってまだまだこれから勉強したいことがある!)
太田さんの、自分の好きな本を作るために、定期収入として日本語教育の道を選んだという話も、今のわたしにはじーんとくる。やっぱり、そうだよね。皆、好きなことと生活費の狭間問題を抱えている。太田さんはずっと編集やライターとして働いてきていたが、自分で好きなように文章を書いて本を作りたい!という気持ちが強くなったのだそう。
好きなことを続けていても、路線変更したくなることってあるし、実際そうしてきたという話が聞けて面白かった。

今回のテーマでもある、日本語の「教育」という視点。
教育の場面で、どうしても生まれてくる「教えてあげる」側と「教えてもらう」側の上下関係。
教える側が教えられる側をなんだかいやに子供扱いする「この子」「彼ら」呼び。(日本語教師は7割近く?が女性、半数以上が非正規で、この割合も関係しているのではないか)
単純に言語としての日本語を教えるだけではなく、日本社会での一般常識を教えることにもなる中で、地域の日本語教室で「ちゃんと自己紹介(遠足のワンシーンで)に参加しないと駄目じゃない!」「お手本になる立場なんだから、ビーサンなんて駄目よ!」という、ふわっとフラットな空気を遮る言葉。(日本語学校では、勉強しに来る場なので、指導も含まれる。地域のボランティアで運営している教室には果たしてそこまで厳密な指導が必要か?ということ。でも、構造的にボランティアだけど意識高く!と思う人にとったらそう考えがちになりやすいんだろうなぁ。否定はしないけれど、それが行きすぎた上下関係の意識を生むのは怖い。)

途中、質問コーナーで取り上げていただけた。
テキストにある「日本一高い山は富士山です」「日本の代表的な料理は寿司と天ぷらです」それにもやっとするという太田さんの言葉に対して、私はあまりピンとこなかった。日本語を勉強する人にとったら、日本らしい文章は逆にテンションが上がって楽しいのでは?

→太田さん ベトナムの人の中には生魚の寿司は食べません、という人もいる。「おしん」なんて今は知らない学習者が多い。日本人が思う日本らしさ、クールジャパンの押し付けみたいな文章が多く感じる。例文が今の世の中にそぐわなくなっていることを感じる。

得能さん 分かりやすい文章を例文にすることは、こちらとしても簡単なんだけれど…

(お二方、他にも言われていたと思うが思い出せず…)
とりあえず納得した。民放でやってるような「スゴいぞニッポンの文化!」みたいな番組に対するモヤっと感に通じるものがありそう。



実際に日本語教師として働いておられる太田さんの話で印象的だったこと。
日本語学校は法務省、ひいては入国管理局の管轄。留学ビザをもらいながら、あまり勉強していない生徒、優秀な生徒はクラスで分かれる。誰も言わないけれど、そこにふわっとした線引きがある。生徒の出席率含めて行政には報告をしないといけない。
台湾の映画に、(タイトル忘れた…)原住民の生徒が外地からきた日本語?中国語?を教える教師を刺すシーンがあるそう。行政の片棒を担いで、いつかそんな事態になってしまうんじゃないのかという恐怖がある、と。。。

教育することの上下関係、ひいては外国人を管理、指導するということ。
そういうことに携わるなかでのモヤモヤが語られていて、実は日本語教育はあまり興味があるわけではなかったんだけど、面白かった。
もちろん、楽しいことはたくさんあると、語ってくださったのも嬉しかった。しかも中国語学習者の得能さん、山本さんの話が聞けたのがなおさら。

自分も、香川県の国際交流協会で中国語ボランティア登録しているからには、いつか日本語を教える機会が来るかもしれない。そのときに、今日の話のモヤモヤを、胸に持っておくことがお守りになるかもしれない。

上下関係に関して言うと、自分もおおいに勘違いしていた部分がある。
高校時代。NHK『関口知宏の中国鉄道横断紀行』をみていると、中国の列車内で話しかけてくる中国人は概ね日本人に友好的で素朴な印象。
日本の文物を渡したら喜んでくれるんだ!という盛大な勘違いをのせて、20代前半のころ、中国鉄道で同じ二等車両に乗り合わせた子どもに鶴を折ってあげた(しかもわたしの鶴ときたら未だに折り方が分からないのでぶきっちょなのだ)ものだから、子供の微妙な顔。母親の、とりあえずお礼言っときなさい、という何かを察した空気。帰ってからもこの魔法はとけなくて、Togetter.com のまとめの「うちの親がやらかしたー!海外旅行で道行く人に日本の押し売りしてて恥ずかしい」という趣旨のスレを見て、やっと氷解したのだった。
ああ、恥ずかしい。これはまた漫画に描くぞ。


日本以外にたくさん国はあって、日本にいる外国人だからといって、日本人が上、外国人が下とかいう謎のパワーバランスなんてないのである。
得能さんが、英語話者といるときのミーティングが英語になって、もうこれでいいじゃんって思ったらしいが、そりゃそうである。日本でいるからといって日本語で話す必要はない。

紹介されていた本で、面白そうだったのは
『共生社会のためのことばの教育』 明石書店

言語権という、主語で会話する権利がある。特に手話。(岡山で言語聴覚士の資格を学んだ際は、岡山は人工内耳が多く、関西は手話文化が強いと学んだが、まさにそれだった。)子どもには、生まれながらにして手話で会話をする権利があるという話。
これも興味深い。日本でいるからといって、日本語で話すことは義務ではない。中国でいるから中国語を話すことが義務ではないのと同様に。

いやはや、すごく意識が高くてたくさん刺激をもらったトークイベントだった。
太田さんの著書も購入した。『言葉の地層』読むのが楽しみだ。

帰りのバスの車内で、中国人観光客の女の子があまりにも日本語しかアナウンスがなくて困っている様子だったので、つたない中国語で話しかけた。そして四国高速バスへ、英語表記でいいから案内用の紙を置いてもらうよう投書した。

まだまだ四国は外国人を受け入れることに足踏みしていると思う。
なんか、わたしもその中で、できることがあるんじゃないかなと思う。

この記事が参加している募集

#イベントレポ

26,098件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?