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問いを問いとして持ち続ける

ごきげんよう。キョンコロ先生です。

キョンコロ先生は未だに疑問に思っていることがあります。

キョンコロ先生が小学校2年、3年の時担任をしてくれた先生のことです。

その先生は当日28歳、若くて素敵な先生だとはじめは思っていました。

絵も上手だし、教材も工夫してお作りになり、大変運動の得意な方でした。

実はまるまる2年間担当されたわけではなく途中、お子さんをお産みになるために産休をおとりになりましたので、その数カ月は別の先生が私たちの担当をしてくれました。

その時に私は何かを感じてしまったのです。

産休でいらした先生はいわゆるベテランの先生でした。

一番印象的だったのは、忘れ物が多い私達のクラスをみて忘れ物をしないために、忘れなかったらシールを貼るカードを使って私たちが忘れ物に対して意識を持てるように工夫してくださった事でした。

キョンコロ先生は忘れ物をしたら叱るとか、勉強しなかったら叱るという図式になんとなく疑問やストレスを感じてしまうタイプだったので、叱られないようにしようとついついかんがえてしまい、自分のために、みんなのためにそれが必要なことだということに思いが至りませんでした。

産休の先生はそういう事に対していつも工夫を凝らしていらっしゃって、問題が起こったら「知恵で収める」ということが素晴らしい事だと教えてくださったように思いました。

しかし、時は過ぎ、元の先生が戻ってきました。

元気な赤ちゃんをお産みになって、お帰りになった先生が再び担当された時、クラスはまた忘れ物が多くなりました。

そして、仰ったのです。

「前の先生がやっていたようなカードがないと自分で持ってくるものもわからないのか!」

と大声で。

確かに、忘れ物をしないようにするのは私たち生徒の責任で行うことです。

でも、おさないキョンコロ先生にはその先生が工夫をしていないと感じました。勝手かもしれないけど、そう思ったのです。

更に、どんなことを家庭学習したのか?をチェックするカードを配布して、自作の消しゴムハンコでその頑張りをチェックするということも始めました。

基本的には主要4科目と言われる教科の予習や復習を行わなければいい評価のハンコを押してくれません。

キョンコロ先生はその時、手芸に夢中で、フエルト手芸の本を毎日のように読み、作れそうなものを本を見ながら作ったりしていました。

当然、毎日先生が望む勉強は出来ていませんでした。

何を学習したか?には遊んだ内容を無理に科目に結びつけ「図工」とか「家庭科」とか「音楽」とか書いてお茶を濁していました。

評価の良くないスタンプが帰ってくると嫌な気持ちになりましたが、それで奮起するタイプではなく、好きなことをやりたいという思いでいっぱいでした。

成績はそんなに悪くなかったので、どうしてこの先生は勉強を無理にさせて好きなことをやらせてくれないのかな?とか、学校で勉強している事がわからないなら問題だけど、学校で習ったことをわかっている上に、家庭の生活まで先生があれこれいう必要があるのかな?と先生に対する疑問でいっぱいでした。

家庭学習チェックシートの最後の提出を終え、それが帰ってきた時先生からのハンコは「もう少し」でした。そして、横には「最後くらい、『 エラい!すごい!』と言わせてください」とお言葉が書き添えられていました。

私はやはり、この先生の言葉に奮起する気持ちは起こりませんでした。

この人は自分で工夫する事を教えてくれたこともあったのに、工夫を誰かの幸せのために使う事まで、考えなかったのかな?

今思えばきっといろんな事情があってこのようなご指導に傾いたのでしょうけれど、私にはこの若い先生が長期的な視点に立ってものを見ていないという感触がありました。もちろん今になって「長期的な視点がない」ということはできますが、当時は言葉にならないザラザラした不快感を抱いていました。

未だに「感謝している」とは言えない感覚が残ります。

ただ、私を教壇に立たせるための原動力の一つになった経験ではあります。

学習に対する工夫というのは正解はありません、産休の先生の行った「成果に対して報酬を与える方法」にも、若い担任の先生の「良くなかった成果に対して罰を与える方法」にも短所と長所はあります。それをどちらがいいか?という話ではなく、「どうしてそんなことをするのかな?私ならこうするのにな」という問いと解決策を考えるきっかけになった事で、私は教育の世界を目指すことになったのです。

しかも、その「どうしてかな?」という問いはかなり長いあいだ心の中にありました。今もあります。思い出しては考え、答えをだし、また思い出してはまた別の答えにたどり着くこともあります。

受験勉強は答えがあるから直ぐに終わってしまうという考え方が世の中にはありますが、本当はどうしてその答えが出るのかを考えるとかなり長い間考える必要があるんです。

もちろん、テストの実施時間内に解かなければなりませんからスピード処理が必要になってきますが、高速で答えを出すには自分で考えて答えを出す過程で出てくるパターンを沢山覚えなければなりません。

その、「自分で考えて答えを出す」というパートをおろそかにしないで学習を続けて欲しいと思っています。

「どうしてかな?」と心の中に問いを持ち続けるのはとても辛いけれど、それを考える過程で湧いてくる自分らしさを大切にね。

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