映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想 ネタバレ含む。
2023年の年の瀬。
たまたま、上映時間と買い物の時間噛み合ったので評判が高いという噂を聞いていた『ゲゲゲの鬼太郎』の映画を観るチャンスと噛み合った。
公開してから1ヶ月以上経っていた年の瀬前のど平日。1日の上映数は2〜3回程と、公開から1ヶ月以上経った作品としてはなかなか多い方ではないだろうか。
年始公開の作品予告案内が始まる時間ギリギリで劇場内に。
客席を見回して見ると、既に複数回鑑賞したと想起される女性客が複数。私と同じ様に映画の評判を聞きつけて観にきたのかと思わせる様な風体の30〜50代男性が複数。
田舎のシネコンの館内としては「なかなか入ってるなぁ」と思わせる客数だ。
冬休みにも関わらず子供や学生っぽい層はおらず、映画好きが集っている感じがあり、この客入りと客層を見た時点で作品の面白さへの担保されるというものである。
作品全体の構成としては
「横溝正史的ミステリー+妖怪+バディ物」
『犬神家』やんけ!と思わせる設定の中、ハッキリ言って物語の展開としては予想出来るものだった。ただ、それぞれのシーンの描き方は丁寧だし、観てて全く退屈しないのが良かった。
おそらくこの作品が『ウケた』のは、水木とゲゲ郎のイイ感じの関係と、物語全体の流れが今(鬼太郎誕生)に至っていく原点であると納得させている事だと思う。
この作品があったからこそ、今の鬼太郎が人間を助けて、様々な事に警鐘を鳴らしてくれている納得感があるのだ。
作中で気になったのが
煙草の使い方
物語を観ながら感じていたのがやたらと煙草を吸ってるシーンが多い事。特に序盤〜中盤。
主人公の水木はどこかしこにタバコを吸っており、ポイ捨てに対しても何ら疑問に思わず、咳き込む子供が居てもお構いなしな姿勢は自然な行為として描かれていた所。
序盤あまりにも喫煙シーンが多い為、「コレは何かの伏線か?それともメタファーか?」と考えながら観る事となってしまっていた。
結果それほど伏線になっていなかったかもしれない。私自身は超嫌煙家であり、喫煙者に対して良い感情を持っていないのだけれども、作中において水木の喫煙には嫌味な表現はなく戦後の世界では自然な姿として描かれていた様に描写されていた。昭和において仕事をする上でもっと上にいくための、正に一服の清涼剤として扱われていた。
それに煙草をアイテムとして見るとなかなか雰囲気を表現しやすいモノである。ルパン三世の次元大介の煙草には男らしさやハードボイルドを感じるし、ブラックラグーンのシガーキスでは大人の距離感が表現された名シーンだと思っている。
タバコをアイテムとして捉えると色んなモノを見せてくれる。
そして劇中のこういう煙草表現も昭和の世界観ならではなんだろう。
私の知識としては水木先生は超ヘビースモーカーだったと記憶している。
煙草が令和の時代では考えられない程に当たり前に身近にあった昭和初期。
それを戦後の雰囲気を残す昭和初期から高度成長期の合間の時代間をしっかりと表現するアイテムとして使われていたと思う。
また最初水木はゲゲ郎を邪険に扱っているのだが、『相手に煙草を分け与える』という行為を通して水木とゲゲ郎との距離感を縮め、「バディになった。」という表れになっていた。
逆に龍賀克典から勧められて吸った葉巻は咳き込んでしまい、まともに吸えなかった事は資本主義の成功者への拒絶となり、水木のその後の行動を示唆していた様にも見える。
煙草を通じて時代とキャラクターの相関関係をしっかりと表現していたと思われる。
うーむ、煙草を使って時代や水木の心情の推移を表現していたのかなぁ。
物語全体としては先述の通り、ある程度予想も想定もし易かった。
「妖怪よりも怖いのは人間の欲望」ってのは正直言ってありきたりなモノ。
そういった中で、ゲゲ郎の行動原理は妻を探す事という愛に起因し、それに充てられた水木は資本主義社会でのし上ろうという欲望から徐々に解き放たれ、最後はそれを「つまらねえ」と一笑に付すのは爽快である。
その愛の果てに鬼太郎の生まれる経緯をエンドロール中で見せたのがこの物語、タイトルの真骨頂だと思う。