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「動けない場所からいつか明日を掴んで立つ」

 ソファで毛布にくるまっているとき、もしくは布団の中で自分をぎゅっと抱きしめているとき、頭の中をさまざまな考えがぐるぐると駆け巡ることがある。
 ああ、これは混合状態だなあ、なんて考えも嵐のように頭の中を過ぎ去っていく。
 頭の中は言いたいこと、書きたいことでいっぱいなのに、身体は動かないから、口に出すことはおろか、メモを取ることやTwitterで呟くことすらできない。
 あれをしたい、これをしたい、そんな考えが次から次へと去来する。もう頭が爆発しそうなのに、吐き出すこともできない。
 考えていることがそのままスマホなどに打ち出せる技術が開発されたらいいのにな、なんて夢想する。もしそんなことが起こったら、双極性障害の人間の頭の中で何が起こっているかが可視化できておもしろいだろう。
そういうときわたしの頭の中では星野源の「地獄でなぜ悪い」が流れ出す。

作り物で悪いか 目の前を染めて広がる
動けない場所からいつか 明日を掴んで立つ
明日を掴んで立つ

星野源「地獄でなぜ悪い」


 心が死んでしまった二十歳のころに、助けも求められない留学中に、真っ暗な部屋の中で繰り返し聴いたこの曲は、わたしの頭の中にしっかりと焼き付いている。
 わたしの記憶が確かなら、この曲は星野源がくも膜下出血での入院経験をもとに書いたものだったと思う。だから、べつに鬱の人間に向けての歌じゃない。けれどこの歌を聴くとき、わたしは確かに勇気づけられる。
 この世は地獄だ。でも、いまは動くことすらできなくても、いつかは立ち上がることができる。動くことすらできない人間にも、生きることを諦めなければ明日はやってくる。それは当然のことじゃない。わたしたちが、きょうも諦めなかったということへの対価だ。
 改めて、わたしはたくさんの歌や小説や映画に生かされてきたんだなと実感する。生きていく価値なんてないかなと思いそうになったとき、助けてくれたのは星野源の「地獄でなぜ悪い」であり、村上春樹の『スプートニクの恋人』であり、スチュアート・マードックの「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」だった。そしてその他たくさんの作品たちだった。
 いつかわたしの書いた詩や小説やエッセイが、同じように誰かの生きる助けとなってほしい。その願いをもとに、わたしは明日を掴んで立ち上がる。


混合状態についてはこちらも。

何も言葉が浮かばなくなることもあります。

それでも足掻いて生きていくしかない。


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