他人の頭の中を覗きたい
中高時代、しょっちゅう友達の筆箱の中身を見せてもらっていた。
ひとによって中身が全然違っているのが、とても興味深かったのだ。
パステルカラーの蛍光ペンを何本も入れているひと。折り畳み式のはさみやホッチキスまで持ち歩くひと。トーンカッターやつけペンのペン先を入れているせいで、筆箱が凶器みたいになっていたひと。
中身が多くても少なくても、どちらもそのひとの人柄や興味のあるものが見えて、とてもおもしろく思えた。
その延長で、ひとのノートを見るのも好きだった。
昔流行した『東大ノート』という書籍は、色々なひとのノートが載っているので、舐めるように読んだ。
ノート術の本なんかも、ノート術そのものを学ぶことにはあまり興味がなくて、ただ他人のノートを覗けるのが楽しくて読んでいた。
美術館でたまに画家や芸術家の手書きのノートが展示されていると、嬉しくてたまらない。
そういえば子どもの頃から、母がたまに買ってくるファッション誌は、モデルさんや読者たちの鞄の中身を載せたページが一番の楽しみだった。
いまでもインスタやnoteで、ひとが自分の鞄やノートの中身を公開していると、食い入るように見てしまう。さすがに大人になると筆箱の中身を公開するひとがいなくなるのは残念だが、愛用の筆記具が紹介されていたりするとやはりつい見てしまう。
そういえば、インテリアについての本でも、実際に誰かが生活している部屋の写真が載っていると永遠に見ていられるし、カルチャー誌で「本棚の写真公開!」なんて書いてあると絶対買ってしまう。
この衝動はどこから来るのだろう。
共通しているのは、「他人の頭の中を知りたい」「他人の生活ぶりを見たい」という気持ちだ。
それは一歩間違えばストーカー的行為になってしまうし、実際わたしはネトストの才能があると思う。(決して自慢できることではない)
でもきっと、同じような欲望を抱いているひとは少なくないはずだ。だからファッション誌では定期的に鞄の中身を紹介する企画が組まれるし、ノートの手書きページを公開する投稿は人気が絶えない。
もしかしたらこういう欲望・衝動が、エッセイ好きに繋がっているのかもしれない。いまは有名人のエッセイだけじゃなくて、いろんな形でいろんなひとが書いたエッセイや日記を読むことができるので、とてもいい時代になったと思う。
他人の目を通して世界を見ることは、「人生が何回かあったらな」と夢想する気持ちをちょっとだけ治めてくれる。わたしはこれからも色んな人の頭の中をちょっとずつ覗いて生きていきたい。
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