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続・日記がうまく書けない

日記について、まだ考えている。
(前回の記事はこちら)

自分の日記を自分で読んでいて楽しくないというか、わたしが書きたいスタイルになっていないということが問題なのかもしれない。

というのも、『曇る眼鏡を拭きながら』にも日記の話が出てきて、おやと思ったのだが、行動のみ・時事ネタのみでも日記としては十分成立するらしい。この本で気になったのは、3年日記・5年日記というもの。もちろん存在はずっと知っていたけれど、実際につけているというひとを知らなくて、なんだか意味があるのかなあなんて穿った目で見ていた。でもわたしの日記は(紙でつけている方は特に)持病の経過観察が主になっているから、もし毎年同じ時期に具合が悪い、というようなことが分かるなら意義は大いにあるかもしれない。気に入ったデザインが見つかれば試してみるのも良い。

ちなみに紙の日記は、現在はウィークリータイプのスケジュール帳を使っていて、一週間の様子が俯瞰できるので、これはこれで気に入っている。

冒頭の話題に戻るけれど、少し前に日記のスタイルを変えてみた。

今まではだいだい、朝起きてから夜寝るまでのことを順番に羅列するように書いていたけれど、一日の中で印象的な出来事をピックアップして、それに対して考えたことや思ったことを書くようにすることにした。(また説明的になりすぎている。いけない、いけない。)

これで少しは読んでいて楽しいものになっているといいのだけれど。ただしこの方法ではやはりうまく書けなくて、最近は最初のスタイルに戻りつつある。

そうそう、わたしは小学生のころから現在に至るまで、エッセイを読むのがとても好きなので、他人の日記を読むのも好きだった。

出版されているものでいうと、銀色夏生さんの『つれづれノート』シリーズは高校時代にどハマりして、何冊も読み漁った。忘れられない一冊となっているのは、二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』。わたしが日記でたまに引用を用いるのは、この本に学んだ技術だ。最近でいうと、柿内正午さんの『プルーストを読む生活』は通販で買って実家に届けてあるのをまだ読めていないが、垣内さんの日記ブログはおもしろくて時々読んでいる。ほんとうは『差異と重複』も読みたいけれど、今のところ手に入るめどはない。noteでもくどうれいんさんが『日記の練習』シリーズとして毎月連載していたときはいつも楽しみにしていた。そのほかにnoteでフォローしている方の日記を読むのも好きだ。

「紫乃と美甘の読書会」のエッセイ回でも話したことだけれど、わたしがエッセイを好きなのは、他人の生活を自分で体験してみたいと思うからだ。日記とは、エッセイというジャンルの中でもその最たるものだと思う。

そう、つまりわたしが日記に求めているのは、単なる生活の記録ではなく、読みものとしておもしろいエッセイなのだろう。だから自分で読んでいておもしろいと思えないものを、公開する日記としては認めたくないのだ。

読んでいておもしろい日記を書くというのは、もはや自分のための行為ではなく、他人のためのパフォーマンスといえるだろう。そこに虚飾はなくても、「書かない」ということが虚栄になることもある。あるいはこれが自己顕示欲の現れだとしても。それでもやはり公開するからには、大勢の鑑賞に堪えうる文章を書きたいというのが、物書きのはしくれを自称するものとしての矜持だ。



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