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「なりたい自分になる!」

わたしはよく、「なりたい自分になる」という言葉を口にする。色々なところに書いたりもする。これはもとはといえば、『違国日記』の主人公である朝の言葉だ。もうすぐ28歳になろうかといういい大人が、高校生と同じことを目標にしていていいのかという気持ちもないではないが、しかしこの年齢になってもまだ「なりたい大人像」が見つからないのも事実だ。

思い返してみれば、ここ数年になるまで、どんな人間になったらいいのかということ自体、考えてこなかった。子どもの頃は漠然と、大人になったらどこかの会社に就職して、人並みに働いて年を取っていくんだろうなと思っていた。子どもは欲しかったけれど、ひとを好きになるということもまだあまりよく分かっていなかったし、誰かと人生を共にする想定はあまりしていなかったように思う。

しかしまあ、現実は思ったようにはいかなくて、一度もまともに働いた経験もないまま、気がついたら海外にいて主婦になっている。やるべきことはあまりなく、頻繁に会える友達もいなくて、時間だけは切って売れるほどある。そういう状況だと、内省する時間はそれこそ腐るほどある。

そしてふと気がついたのだ。このまま漫然と、何者にもなれず、何も成さないまま、老いて死んでいくのかと。それは焦りに近かった。

周りの友人たちは、皆望みの職業に就いて、幸せな結婚や恋愛をしている子も何人もいて、充実した人生を送っているように見える。もちろんひとに見せる姿だけが全てではないと分かってはいても、わたしのようにモラトリアムをずるずると延長させたまま、10代の若者のようなことで悩んでいるひとは同世代にはいないように思える。

そう、わたしはたぶんまだ大人になりきれていないのだ。だからいい年をして、「なりたい大人像」を探したりしている。

先日ヨガをしていて、ビデオの中のインストラクターの言った「なりたい自分や、叶えたい理想を思い浮かべましょう」という言葉に、思わず涙しそうになった。

わたしがなりたい自分は、一体なんだろう。

わたしは、大丈夫になりたい。ひとりでも生きていけるくらい、精神的にも経済的にも自立したい。おだやかな気持ちで日々を過ごし、いつでも安定していたい。自然が近くにあるところに住み、自分の食べたいものを自分で作り、日々の暮らしを大切にしたい。家族や友達とも、穏やかで過不足ない関係を築きたい。ひとを大切にし、自分も大切にしたい。泣き暮らすのも、不安に苛まれるのも、もう終わりにしたい。わたしは自分の足で立ちたい。自立した人間になりたい。そしてそう、もちろん物書きになりたい。自分の書いた小説や詩やエッセイで、食べていけるようになりたい。

言葉にするのは簡単でも、行動に移すのは難しいだろう。でももう言葉にしてしまった。さあ、行動あるのみだ。



ヤマシタトモコ『違国日記』祥伝社


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