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SDGsはトレンド

「SDGsはトレンド。10年したら違うことが言われているだろう」

昨日Clubhouseでそう言ったんですが、非常に誤解されそうなのでその意図を説明しておきます。

SDGsの考え方を一過性のものだとは思っていません

「持続可能な社会」の重要性は、僕自身1980年代後半にマリ共和国北部で活動するNGOで働いていた時からいつも言い続けてきました。
活動地域で暮らす人々がよりよい暮らしができるようになればそれにこしたことはないですが、そこは
今そこにいる人たちが明日もそこに居られる
という当たり前にあるべきことさえ困難な地域でした。
今の営みを消さず、それがウェルビーイングの方向に向かっていくようにするという目標がSDGsであるなら、それには大賛成です。

「持続可能な社会」は必要不可欠

企業にとってその存続、つまり経済活動を続けていくことは絶対的な課題です。かつてはそのために大きな搾取も行われていました。しかし自然環境の変化と情報と物流のグローバリゼーションの中で、搾取というやり方が機能しなくなってきました。
今、企業は、持続可能な社会の構築をその存続のための十分条件として認識し始めました。次々に企業が積極的にSDGsに取り組んでいるのは、企業自身の存続のためと言えます。

しかし一方で、イメージ戦略のため、大義名分(自分たちの活動目標のための手段)として、あるいはベンチャーキャピタルからの投資を引き出す口実としてSDGsを唱えているケースもまだまだあるように感じています。

それほど遠くない未来に、SDGsは自分たち自身が生きるか死ぬかその存続を左右するものとして、当たり前のわざわざ言うまでもない価値観になっていると僕は思っています(願っています)。その時には新たな課題と目標が立ち現れ、それがSDGsに取って代わります。

これが、「SDGsはトレンド。10年したら違うことが言われているだろう」と言う言葉を通して伝えたかったことでした。

おまけ:持続可能な「開発」の怖さ

ついでに、持続可能な開発を試みることの怖さについて触れておきたいと思います。

僕は物質循環(将来は人工的になされるのでしょうが現在は地球環境に依存しています)の恩恵とそれに基づく地域ネットワークが「持続可能な社会」の絶対条件だと思っています。
そこで始めた「新しいこと」が環境バランスや社会・経済的なネットワークを壊して、そこでの暮らしが成り立たなくなり、生まれ育った土地を離れなることを余儀なくされる危うさを僕は常に怖く思っています。
複雑系、バタフライ効果・・・人智でその結果は分かりません。その怖さを常に強く自覚していたいと思います。

国際協力のいろいろなプロジェクトを見てきましたが、確実に成功事例よりも失敗事例が多いです。
失敗が多いこと自体は仕方がないと思います。ビジネスでもやったことが確実にうまくいくはずありません。重要なのはそれで会社が揺らいでしまわないことです。
国際協力ではその土台が問題です。外からやる側は、失敗してもその土地を去ることができます(外部者の土台は揺らがない)。
しかしそこに生きる人々にとっては、その失敗が「持続可能な社会」を消滅させるかも知れません(土台がなくなる)。
今、右も左もSDGsといって「新しいこと」を手がけていますが、現地に暮らす人たちの目線でこの怖さをしっかりと自覚して欲しいと思います。

新しいこと」の影響についてもうひとつ。
ベンチャー企業やスタートアップ企業がイグジットやハーベスティングをゴールとした場合、それはどこまで新しいことの影響をフォローとリカバリーできるものになっているのか不安を抱いています。数年ではその影響が見えないこともあるでしょう。
例えば、今アフリカにおける日本人による起業が盛んです。10年後くらいにその状況を振り返ってまとめてみてみたいと思っています(生きていれば)。
自分がその中に入っちゃっている可能性もありますが・・・

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