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整備士からWeb講師へ 〜人との出会いがつくるミチシルベ〜


はじめに

みなさん、こんにちは!
見た目は少し怖いが、実は生徒さんたちからは
"優しい先生"
と言われているZeroPlus講師の首藤です。
やっと私のターンが回ってきました!
最近は個別指導がメインになっていて、集団授業であまりお会いする機会がない方も増えてきたかなと思います。
今回は私の人生の転機となった経験や、なぜZeroPlus講師になったのか、そしてこの交流会に込めた想いについてお話ししたいと思います。
その前に、まずは私がどのような道を歩んできたのか、
その原点からお話しさせてください。


整備士としての第一歩

「エンジン音を聞いただけで故障箇所がわかるようになりたい!」
休日の早朝、ガレージから聞こえてくる作業音。
それは私の子供時代の思い出の一コマです。
作業着姿の父の背中は、いつも頼もしく見えました。

「首藤さんに見てもらえば安心だよ」

近所の方々にそう言われる父の姿を、とても誇りに思っていました。

「俺も、いつか親父みたいに...」

その思いが、整備士を目指すきっかけでした。
ただ、道のりは決して平坦ではありませんでした。
元々勉強が得意ではなかった私にとって、 整備士資格の勉強は想像以上の難関でした。
エンジンの構造から電装系統まで、膨大な量の専門知識。
「よーし、遊びに行こう...」
何度も投げ出しそうになりました。
そんな時、いつも思い出したのは、 ガレージで黙々と作業する父の後ろ姿。 「親父は、きっとこうやって技術を身につけていったんだろうな…」
気がつけば、エンジンの仕組みを説明する教科書に、 父との思い出が重なって見えるようになっていました。
回路図を見ながら、休日に父が直していた電装系の故障を思い出す。
内燃機関の動きを学びながら、エンジン音の意味を教えてくれた日を思い出す。
そうして必死に勉強した甲斐あって、見事、整備士資格を取得することができました。

「これから親父のように信頼される整備士になれるように頑張ろう!」

希望に胸を膨らませていました。
まさか将来、Webの世界に足を踏み入れることになるとは、 この時は夢にも思っていませんでしたが...。


予想外の人生の展開

ところが人生、思い通りには進まないもので...。
入社1年も経たないうちに、突然の辞令が。
「首藤君さぁ、お客様との会話が上手いよね。 営業向いてると思うんだ。社長も言ってたし、やってみないか? ...うん、考えてもらっていいけど、わかってるよな?」
(今の若い方々には想像できないかもしれませんが、当時の「考えておいて」って、 「明日までに心の準備しといてね👍」という意味でした...)
拒否権? そんな素敵な権利、平成の時代にはございませんでした。

そうして、油で汚れた作業着とお別れし、 翌週には首元の締め付けが妙に気になる生活が始まることに。
スパナの代わりに契約書を握り締める手には、 どこか切なさも漂っていたような...。
最初は戸惑いましたが、上司の 「整備の知識があるからこそできる営業がある」 という言葉に、騙され...いえ、新たな可能性を感じたものです。
今思えば、あの上司、 絶対に営業の人材が足りなくて 困ってたんですよね(笑)


営業マンとしての成長

営業として過ごした6年間は、本当に濃い時間でした。
最初は右も左もわからず、先輩営業の後ろをヒヨコのようについて回っていた私も、次第に自分なりの営業スタイルを確立していきました。
印象に残っているのは、ある運送会社との商談。
「整備士上がりの営業マンなんですよ」と自己紹介すると、社長さんが目を輝かせて「それは心強い!」と。
車両管理の細かな相談にも技術的な視点から応えられることが、大きな信頼につながりました。

そうして築いた信頼関係は、時には想定外の展開も...。
「話してたらかなり遅くなったな。このまま飯食ってけ」
「ありがとうございます!」
気がつけば、お客様の居間で深夜までお酒を酌み交わしたりして、 翌朝、奥様の手作り朝食をごちそうになったり。
(田舎の営業あるある...なぜかお客様の家が実家のようになっていく現象...)
でも、そんな距離感だったからこそ、単なる営業として以上の信頼関係を築くことができたのかもしれません。


重整備の世界へ

10年目。
これからの20年、30年をどう歩んでいこうか考えていた時。
ふと、自分の机の引き出しから出てきた古い整備士の資格証。

「あれ...そういえば俺、何でこの業界に入ったんだっけ?」

営業として それなりの実績も出せるようになり、 お客様との関係も良好。
でも、どこか心の片隅で モヤモヤとした感覚が消えない日々。
.
.
.
そう、完全に忘れてました。

私、エンジン音を聞いて故障を当てるのが夢だったあの頃の自分を。

「よし、もう一度、整備士として生きてみよう」

転職活動を始めて、たどり着いた先は 予想以上にハードコアな整備の世界でした。
一般のディーラーでは年に数回あるかないかのエンジン降ろし。
それが、ここでは毎日の日課。
1日1台、時には2台、エンジンを車から降ろして、分解、点検、組み込み...。 職人の世界、ここにあり!という感じの ガッツリとした重整備の毎日。

「あぁ...そうそう、これだよ、これ!」

エンジンオイルまみれになりながら、とても充実した日々。
まさに、整備士冥利に尽きる...


コロナ禍で訪れた転機

そんな生活が3年ほど続いた頃、 世界中を揺るがす出来事が起こります。
そう、コロナです。

当初は「まさか自分の仕事に影響が...」 なんて思っていましたが、甘かったですね。
整備の仕事も徐々に減少。
会社の状況も日に日に厳しさを増していく...。
先行きの見えない状況に、地元に戻ることを決意しました。

失業保険を受給しながら次のキャリアを考えていた時、 何気なく広げた地図に愕然。
「えっ...地元から主要都市まで車で1時間半? 通勤だけで往復3時間!?」
「いやいや、それはさすがに...」
実は、私の実家がある場所がすごいんです。
「超弩級のど田舎」とはまさにここのこと。
携帯の電波?そりゃもう"圏外"が当たり前。
山々に囲まれた自然豊かな場所...というのは、 まぁ要するに「不便です」という 美しい言い換えだったりするわけです。

その時、運命はからかうように、スマートフォンに(珍しく電波が入った時に) 「在宅ワーク特集」の記事が飛び込んできました。

人生って不思議なもので、 どん底だと思った時に、 思わぬ形で道が開けることがあるものです。

「そうだ...場所を問わない仕事... Web制作を学んでみよう!」

エンジンの分解・組み立ての経験は、 きっとプログラミングにも活かせるはず...!
...なんて、その時は楽観的に考えていました(笑)

まさか、HTMLタグの閉じ忘れが、エンジンのボルト締め忘れ以上に致命的だとは知らずに...。


運命の出会い 〜ZeroPlus〜

いざ、Web制作の世界に足を踏み入れてみると、不安が押し寄せてきました。
「30代後半からのキャリアチェンジ、間に合うのかな...」
「若い人たちについていけるだろうか...」

エンジンなら自信があったのに、 画面に映るプログラムの文字の数々に、 最初は完全にフリーズ。

そんな時に出会ったのが、ZeroPlus。
「プログラミングスクール」という言葉に 最初は少し抵抗がありました。
「スクール?いや、おじさんがスクールって...」
でも、学習を始めてみると、思いもよらない発見が。
なんと、整備士時代の経験が意外な形で活きることに気づいたんです

  • トラブルシューティングの考え方 (エラー文を見て原因を特定する... これって、エンジン音での故障診断と同じでは?)

  • 順序立てて物事を進める習慣 (手順書通りのエンジン分解... まるでプログラムの実行順序のよう)

  • 新しい技術を学び続ける姿勢 (新型車両の構造を学ぶように、 新しい技術もどんどん吸収していけば良いんだ)

そして何より、同期との出会いが 大きな転機となりました。
「同じように転職を目指している仲間がいる」
「年齢も経歴も様々な人たちが集まっている」
営業時代に鍛えた 「初対面の人と話す力」も役立ちました。
気づけば、オンライン上でも 活発にコミュニケーションを取れるように。
「エラーで困ってます...」という同期の相談に 「あ、それ俺も昨日ハマりました!」 なんて会話が飛び交う。

その環境が、不安でいっぱいだった私に 大きな勇気を与えてくれました。
「年齢なんて関係ない。 みんな、同じスタートラインに立っているんだ」

整備工場のレーンで1人黙々と作業していた日々から、 チャットやmeetで盛り上がりながらコードを書く日々へ。
この変化は、私にとって新鮮な驚きでした。


フリーランスチームでの経験

ZeroPlusの同期と「チームやってみない?」
そんな何気ない会話から始まったフリーランス活動。
最初の案件は今でも忘れられません。
納期まであと3日というところでの 「あれ?なんかおかしくない?」
深夜のオンラインミーティング。
画面共有しながら、みんなで 「ここはこうじゃない?」 「いやいや、そうすると今度はこっちが...」
そうこうしているうちに、いつの間にか夜が明けていました。

思い返せば、整備士時代に先輩から教わった言葉がありました。
「焦れば焦るほど、余計に時間がかかる」
エンジンの組み立て時にボルトの締め忘れがあると、また一から分解してやり直し。

だからこそ、一つ一つの工程を丁寧に確認する習慣が身についていました。 その経験は、コードを書く時にも 活きているような気がします。
チームメンバーと確認し合いながら、 一行一行丁寧にコードをレビュー。
チームの中で互いの強みを活かし、弱みを補い合えることの大切さ。
まさにチームとしての活動は、とても充実してました。

講師としての今 〜導くことの喜び〜

ある日、Twitter(現X)を眺めているときのこと。
ZeroPlus在校生の「この実装で困ってます...」 というツイートが目に飛び込んできました。
即座にDMを送信。

「オンラインで相談のりますよ!」

当時の私は、在校生の困っているツイートを見かけると、 すぐに連絡を入れて一緒に解決していました。
時には深夜まで画面共有しながら...(笑)
そんな中で特に印象に残っている あるオンライン相談。
その時の私の説明が、なぜか昔の整備士時代の先輩を 思い出させるものでした。
「まず、全体の流れを理解しましょうか。 例えばだけど...」
気づけば、自然と整備士時代によく使っていた例え話を交えて説明していました。
「あ!なるほど!」
その瞬間の相手の表情。
まるで、初めて自分でエンジンを 組み立てられた時の、あの喜びに似ていました。

「そうか...俺、またここで 誰かの力になれるんだ。」

なぜ講師になったのか?

「困っている人を放っておけない性格」なんです(笑)

でも、それ以上に大きな理由があります

  1. 技術的な問題解決の喜びを共有したい

    • 自動車整備で培った論理的思考

    • 営業で身につけたわかりやすい説明

    • そして今、プログラミングの知識

    • この全てを活かして、誰かの成長を 後押しできないだろうか

  2. キャリアチェンジの不安を経験した者として、 同じ境遇の方々を支援したい

    • あの時の不安な気持ち

    • でも、必ず道は開ける

    • その確信を、経験者として伝えたい

  3. 人が成長する瞬間に立ち会える喜び

    • エラーと格闘していた人がある日突然、自分で解決できるように。
      その瞬間に立ち会えることほど嬉しいことはありません

整備士時代、私には心強い先輩がいました。
営業時代、素晴らしい上司との出会いがありました。
Web制作への転身時も、たくさんの仲間に支えられました。
そして今度は私が、誰かの人生の転機に立ち会える存在に。
この偶然を、確信に変えていきたい。
「エンジンのボルトを締めるように、一つ一つ丁寧にプログラミングを。 私が先輩から教わったように、今度は私が次の世代に伝えていく」

それが、私の新しい使命なのかもしれません。

「有機的な人間関係」という宝物

「有機的な人間関係」という言葉をご存知でしょうか?
私が整備士として働いていた時、エンジンの不調を診る際によく考えていたことがあります。
エンジンの部品は、単に「繋がっている」だけではダメなんです。
適切なタイミングで、適切な力で、お互いが協調して動く必要がある。
そして、人との関係も実はそれによく似ているように思うのです。
今までの人生を振り返ると、私の転機には必ず大切な人たちとの出会いがありました。
単なる知り合い以上の、深いつながり

  • 気心が知れている

  • 困ったときに頼り合える

  • 定期的に会話する機会がある

  • お互いの成長を喜び合える

そんな関係性が、私のキャリアを支えてくれました。

整備士時代、熱血な先輩から教わった「焦るな、基本に戻れ」という言葉は、今でも私の心の中で生きています。
営業時代には、深夜まで付き合ってくださり、家族のように接してくださったお客様との出会いがありました。

重整備の現場で出会った職人肌の同僚たちからは、その黙々と作業に向き合う姿から、プロフェッショナルの在り方を学びました。

そして今、Web制作の世界で出会った仲間たち。
年齢も経歴も違えど、同じ目標に向かって切磋琢磨した日々は、かけがえのない財産となっています。

#ZeroPlusとナニスル ~交流会への想い~

だからこそ、今回の交流会には特別な想いを込めています。
皆さんにも「有機的な人間関係」を築くきっかけを見つけていただきたい。エンジニアとして成長するために必要なのは、実は技術力だけではありません。
むしろ、切磋琢磨できる仲間との出会いこそが、長い目で見たとき、何より大切な財産になると信じています。
私が歩んできた道のり——整備士から営業、そして再び整備の世界へ。
そして今、Web業界で新たな挑戦の日々を送っています。
一見バラバラに見えるこの経験も、実は全て、人とのつながりという太い糸で結ばれていたのかもしれません。

おわりに

実は、これまでの経験が思いがけない形でエンジニアとしての今の自分を支えていることが、よくあります。
整備士時代に身についた「締め付けトルク感覚」は、今でもキーボードを叩く力加減に活きているような気がしますし(笑)、「エラーが出たときのデバッグ作業」と「エンジン不調の原因特定」の考え方が驚くほど似ているなぁと感じることも。

そして、この交流会で皆さんにぜひ体験していただきたいことがあります。それは、異なるバックグラウンドを持つ仲間との出会いです。
エンジニアの世界は、実に多様な経験を持つ人たちの集まり。
その一人一人が持つ独自の視点や経験は、必ずや皆さんの糧となるはずです。

エンジンには整備マニュアルがありますが、人との出会いにマニュアルはありません。

でも、だからこそ面白い。

この交流会では、ぜひ積極的に様々な方々と交流してみてください。
思いがけない共通点新しい視点との出会いが、きっとそこにあるはずです。

何年後かに、『あの交流会での出会いが転機だった』と振り返るかもしれません。

そんなわくわくする予感とともに、この交流会が皆さんにとって、かけがえのない出会いの場となることを心から願っています。

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