短編小説『ベルガモット』①
「お前、もう飽きた」
二十三歳の秋。か弱く傷つくことなどないあっけない終わりだった。
昨日も夜遅くうちに来て泊まっていった五つ年上の彼。仕事を終え、夜の七時過ぎに帰ってきて靴を脱いでいるとき鳴った電話。
『陽一』の表示に一ミクロンもテンションは上がらないまま出ると、開口一番「別れてくれ」と言われた。
「いきなり?」
「うん、なんかもう飽きた」
「なんて?」
「お前、もう飽きた」
―そんなもん、こっちはとっくにな。
返事も聞かずに切られた電話をすぐに折り返してそう言えば、彼のプライドは少しでも傷ついただろうか?
定食を頼めば必ずついてくるみそ汁のノリで、週に一、二度夜うちへ来て当たり前のようにセックスをする。たまに都合がついた休日も、どこに出掛けるわけでもなく、ただどちらかの家に行って気が向けば暇つぶしに抱き合う。二人でいることが面倒になれば適当に自分のマンションへ帰っていく。わざわざ「不毛」という言葉を使うほど重くも空しくもない、こんな無味無臭な付き合い方半年目でこっちはとっくに飽きていた。それでも「別れたい」と吐き出すのさえ怠くて、ズルズル過ごした二年間。
だから余計に思う。たかがこんなくだらない『失恋』くらいで自分のペースを乱されたくない。当てつけ並みにいつも通り過ごそうとシャワーを浴びた。でも『なんか癪だな』もっと余裕で過ごしてやろうとバスタブをサッと洗う。勢いよく湯を入れ、脱衣所の棚に何冊か置いてある文庫本や雑誌の中から、もう何回読んだか覚えていない、いつのかもよくわからない新刊紹介雑誌を取って風呂場に戻った。バスタブの縁に腰掛けながらパラパラめくる。
本の紹介誌って、読んだその時は『ん、今度本屋行ったらこれ買おう』とか思うのに、いざ行くとすっかり忘れていることが多い。確か前にも買おうと思ったはずの一冊を『次こそは』と思いながら、半分以上溜まった湯船にドボンと浸かってすぐ思った。
―こんな時は柑橘系か。
大体のことになんの興味もない(なくなった)自分が今でもひとつだけ好きなものがアロマテラピー。
髪も体もろくに拭かず適当に部屋着を被った後、ベッド横に置いた小さな棚の扉を開けていつもの箱を取り出した。
十ミリ単位の遮光性の小瓶。なんだかんだ集めたり入れ替えたりしていくうち、五十種類くらいになった。
形容できないむしゃくしゃを感じた時いつも迷わず選ぶベルガモット精油を手に取り、ティッシュに垂らしたものを枕元に置いて寝ころんだ。目を閉じて深呼吸しながら、オレンジとグレープフルーツを足して二で割ったような切れのいい香りが自分の中に入ってきた瞬間、不覚にも少しだけ涙が流れた。
ついさっき終わった何の味気もなかったはずの付き合い。完全に冷めていたつもりなのに、それなりにショックを受けていた自分が可笑しくなって涙はすぐにひいた。
続く。。
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