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*フィクション* 頭痛薬とコーヒーと。

「薬のんだ時間がまずかったかのかなぁ…
   ごめんね。」


久しぶりのデートの日に 頭痛に襲われた私は 出がけに慌てて鎮痛剤を服用した。孫悟空の頭の輪っかの様に 私の頭を締め付けていた痛みが徐々に引き始めたのは ちょうど 彼との待ち合わせの時間だった。

彼に会えた時に痛みが引いてきたのだから 結果的には良さそうなのだけれど かかりつけの病院の処方箋で出されたこの薬は 少々効き目が強く 眠気を伴う。『自動車等機械類の運転・操作はしないで下さい』と注意書きがあるほどだ。
間違いなく 私は今 まどろみの入り口に立たされている。目の前の彼よりも フカフカのベッドを選びたい心境になっている。

忙しくて なかなか会えなかったから 楽しみにしていた 今日の待ち合わせ。折角 夜までいられるのに。
ランチ前の待ち合わせで眠いなんて 申し訳ないけれど 眠気には どうも太刀打ちできそうもなくなってきた。真っ直ぐ歩く 足元も危ないくらいだ。

「どこかでゆっくり 温かいものを飲みたいな。」

彼は 道ゆく人には分からないように そっと私を支えながら耳元で言った。

気を使わせない言葉づかいは いつもと変わらない。

こんな時でも なんで優しいんだろう ありがたいな。


歩道の左側に 重厚なドアのカフェが目についた。外のお天気の良さとは対照的に 格子のはまった窓からは 店内が薄暗くてよく見えない。静かそうなのは間違いなさそうだ。壁一面に本がしつらえてあるけど 本物なのかな。

__カランカラン

彼が少し力を入れて開けたドアは どこかから移築したかのような 年代物だった。真鍮しんちゅうのドアノブだけでも じゅうぶん写真集の表紙を飾れそうだ。


「いらっしゃいませ どうぞ お好きなお席へ。」


入ってすぐ鼻腔をくすぐるコーヒーの香りとバターのしつこ過ぎない 焼き上がる前の香りがする。
眠いのにいい香り…残酷だなぁ でも なんか幸せかも

両極端な感想を フワフワした頭で思い浮かべていると 彼が窓際のカウンター席の椅子を引いてくれた。

「ソファー席 奥にあるよ?」

私の問いに 彼は 耳元にそっと答えを返してくれた。

「もし君が寝てしまっても カウンターの方が
    他のお客さんからも お店の人にも  寝顔は
     見えないだろう?」


(  返す言葉は 「ハイ… 」以外のなにがあったのか
今も分からないくらい スマートに 庇ってくれるから
悔しすぎて 恥ずかしくて ありがとうも言えなくなっちゃうよ  )


私達は横並びで席に座り、コロンビアコーヒーと
レディグレイの紅茶を頼んだ。スイーツのメニューにアップルパイがあり 彼が追加で注文すると
注文を取りに来ていた店主と思しき男性は

「先程オーブンに入れたばかりでして お出しするには少々お時間を頂く事になります。30分程かかると思いますがそれでもよろしいでしょうか。」

彼は私の目を一瞬見て
「えぇ もちろん 待ちます。とても良い香りがしていますね。香りだけではもったいないですから。是非味わってみたいですからね」と言った。

「かしこまりました。焼き上がりまで、店内の本を御自由にお読み頂きながらお待ちください。」



程なくしてコーヒーと紅茶が席に運ばれて来た。その間に 彼は数冊の写真集と雑誌を持ってきてくれた。いずれも眺めているだけで 絵になる本ばかりだ。

「…もう ダメかも。寝ちゃうかもしれない…」
私の頑張りも虚しく ホッとした気持ちにも引きずれれて 眠りの底に引き込まれつつあった。
カフェインを摂取しても 眠気なんて吹き飛ばないことを 今 私が世の中に証明したいくらいだ。

「いいよ まだ時間はあるし。少しおやすみ。
♪ね〜むれ〜  ね〜むれ〜 愛しい  我が子〜よ …」

静かな店内。コーヒーの香りと アップルパイが仕上がってゆくバターのいい香り。ゆったり流れる 週末の午前の時間に 彼が耳元で囁く子守唄。薬の副作用だけとは言えない微睡まどろみの中で私は幸せに満たされていく。 


      

                    *フィクション* 頭痛薬とコーヒーと。