父が泣いた日は、セナが死んだ日。
父がいた。
正確には今もいる。
どこにいるかはわからない。
私が小一の時に、
母と父は別々の道を歩むことになったからだ。
思い出はほとんどぼんやりとして断片的だ。
だが、その中でもいくつかははっきりと思い出せる。
まず母は厳格な人で、
お菓子やソーセージなどの加工肉を、
私には食べさせなかった。
それらを可哀想に思ったのだろう。
父は母が何かの用事で外していると、
「内緒だぞ」と言ってジャーマンポテトを作った。
父のジャーマンポテトはちょっとだけカレーの風味がした。