【感想】映画:「悪は存在しない」(※ネタバレ含む)

始まりは、とにかく〝音〟が気になる映画だった。

見上げるアングルの空と木々が延々続き、合間に出演者の名前がクレジットされる。その間もずっと不穏な音楽は続く。

不快で気分が悪くなりそうで、必死にイヤフォンを探した。けれど肝心な時に見つからない。

やっと見つけた!と思ったら、森の中を一人歩いていた子供と彼女を探しに行った父親がいつの間にか出会い、一緒に歩いている光景に変わっていて、唐突にその音が止んだ。

シーンの切り替えに驚くと共に、呆気なく不快な音から解放されて複雑な気持ちになった。

映画のラスト、主人公が取る行動が物議を醸しているが、私はその少し手前に挟まれたカットが謎で、誰かにあれは何だったのか?と訊きたかったけど独りで見に行ったからそれも出来ず、だから、何かわかれば…とパンフレットを買ってみた。

でも結局わからなくて、謎のまま。パンフなんて買わずもう一度見るべきだったかも知れない。

でもあの音はもう聴きたくないから、謎のままにしておくのが良いのかも。

主人公の意外な行動は、私の見解では「たまたま」の結果なのだろうと思った。

「たまたま」が引き起こした突発的行動。

下地になる様な諸々があったにせよ。

それが芸能事務所から来た男、高橋の発した『なぜ…?』って問いについての答えかと思う。

私はそこにはあまり疑問を抱いてなくて、それよりも現場にあった血は誰の物なのか?女の子?鹿?って疑問が湧いた。

そして最後、またあの空を見上げるアングルで木々の中をひたすら歩いているのであろう、男性の呼吸音。それが巧(主人公)のものなのか?芸能事務所から来た男のものなのか?群青色より少し青に近い、あの空の色は何時頃の空の色なのか?

そこが知りたいと思った。

「たまたま」の結果起きたそれは、どうやってあの世界の中に集約されて行くのか?黛さん(芸能プロダクションの女性)はどうなってしまうのか?が気になった。

全く唐突に終わる。

グランピングの施設を建てようとしている土地についての「鹿の通り道なんだ」って巧の言葉に、芸能プロダクションから来た男女は自分側のメリットデメリットの範囲からしか反応しない。

それに対して巧も、「いや、そういう事ではなくて…」と混ぜっ返して説明を試みない。

前提がすれ違うまま、会話は流れて行く。

人間都合しか考えていない。

「(鹿は)別の場所を見つければいい」

後から来て奪おうとするくせに平然と言い放つ。

必要悪と。

鹿都合は無視。

サバイバルがかかっている時、人は躊躇なくそれを選ぶ。

私だってそうだ。

〝共存〟とか言うけど、一方的な人間都合。

勝手にルールを作ったもん勝ち🏅

それは常に起きている。

ところであの父親(巧)は、常に娘の〝お迎え〟を忘れていて、だから彼女にとって父親を待たず独りで帰ることは日常化していた。

父親の心は最愛の、そして唯一の身内の存在から離れて常に何かに占められていた。

グランピング計画が持ち込まれたりのなんやかやは、「たまたま」訪れた何かだった。

「たまたま」を寄せ集めて成り立っている「便利屋」が巧の仕事だ。

その「たまたま」の中で娘は行方不明になる。

世界は「たまたま」に満ちていて全く予定通りなんかじゃない。

そのような幻想があるかの様に飼育されて来ただけだ。

「たまたま」私はそれを見た。

下から見上げる様なそれと思っていたけど、ずっと空や木々に見下ろされていたのかも知れない。

いや、その中に生かされていた。

鳥の羽を拾う様に「たまたま」を拾って。

娘を一緒に探してくれる仲間の一人が辿る道の、整備された水の流れが何故か印象的に映った。(それも〝たまたま〟見つけて、後から追加したシーンだという)

箱が壊れてしまったら、予定通りの生産性や効率なんか望めない。

「たまたま」それを信じることが出来ていただけ。

幻想を。確固たる何かが存在するというまやかし。

原因なんて後付けのでっち上げでしかない。

本当は説明なんか出来ない。

たまたま「それ」は起きた。

偶然出会った鹿を追っている内、鹿撃ちの銃に誤って撃たれた娘。

その彼女を前に父は何を思い、どんな行動を取るか?

大自然の前に、どんな事もちっぽけに感じられてしまう。

大きな何かに抱かれて赦されている様な。

それがあのアングルなのかなって思う。

天を仰ぐ時に思うこと。

手負の動物だけが凶暴になるという巧の言葉。

それを何ていう言葉で表現していたか思い出せない。

韓国バージョンが一番気に入った🇰🇷






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