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志村けんさんから学んだこと

志村けんさんは、生前、インタビューの中でこう語っています。

「どこまでがアドリブでどこまでが稽古したものか、わからない空気のほうが面白い。でも、アドリブまでも稽古している。私が見た舞台で、志村けんがまちがったのよ、とお客さんが言ってくれる。スタッフまでだまされて、救急箱とかをもってくる。」

ドリフの有名なシーンで「志村後ろ!」と子どもたちが志村けんさんに声をかける場面があります。子どもたちは、前のめりになって、志村けんさんにおばけやミイラが後ろに現れたことを教えるのです。もちろん、稽古の結果、真剣にとぼけることも、振り返る間も練習済みです。子どもたちは、「志村けんは真剣にわかっていない」とだまされたのです。
私が敬愛する故有田和正先生は「教え上手というのは、技術を技術に見せません。技術を人間性のように見せるのです。」と語っています。有田先生の言っていることは、志村けんさんと同じことを言っているのではないかと思います。有田先生の技術、というのは、志村さんの稽古したアドリブのことです。ふたりとも、上手にとぼけて、子どもたちをよくだましている。その結果、前のめりになって、志村さんは舞台を、有田先生は授業で、前のめりの子どもたちを育ててきました。

これらを日々の授業で一番表現できるのが、漢字練習だと思っています。
まず、漢字の筆順をあえて間違います。子どもたちは、だらしない先生を信頼しません。正しい筆順を先生に教える気満々で、私が間違うのを待ち構えています。わざとらしくではなく、真剣に間違ったふりをします。ユーモアのある子は、
「先生、わざとまちがっているんですよね?」
と聞いてきます。ここがチャンスです。
「(素の感じで)え?いや、本当に間違えた…(ここからはわざとらしく)い、いやいや。そ、そうそう。君たちが気付くかな、と思ってわざとまちがったんだよ。うんうん。よく気付いたね。」
と、大げさにやります。この時、参考にするのは、嘉門達夫の鉄棒のお手本を見せる先生あるあるの中の「失敗した時に、先生が言う一言。今のは悪い見本!(あるある!))」です(若い人、わからくてごめんなさい)。
すると、子どもたちはますます、
「先生、本当に間違えている。」
と、だまされてくれます。
それから、コンテストを行うこともあります。全員起立した状態で始めて、間違った子は座る、五つの漢字の筆順を間違わなかった子だけが、最後まで立っていられるのです。むきになっているから、こういう時にわざと間違うと、本当に楽しい。必死に食い下がってきます。座っている子も、先生が間違っていないか、筆順を確かめてくれます。こうすることで、全員が漢字練習に参加します。
さらに、今年一番楽しいと思ったのが、漢字の読み方も伝えないで、漢字スキルの順番で次は?次は?と言っていくパターンです。普通は読み方を伝えてから空書きをして私がチェックしますが、そうしませんでした。これが楽しかった。スリルもあるし、ダメだった子から座っていくから、ますますむきになってきます。あえて、
「ちがうね、はい残念でした!!」
と言ってうそを教えると、座った子どもたちは必死にスキルを見始めます。大盛り上がりになって、先生にだまされないように、必死になって覚えてくるようになるから面白いのです。
 子どもたちが正解していたら、僕は思い切り悔しがるようにしています。足を踏み、じだんだをふんで、怒るふりをします。
「先生より頭がいい小学生なんて、いてはいけない!」
と言いながら、最大限のほめ言葉で怒ります。ますます子どもたちは喜びます。
先生をおいこしてやろう。こんなおっちょこちょいな人間、すぐに追い抜いてやろう、となります。
日々のこうした取り組みの中で、子どもから前のめりになって学んでいく学級が出来上がると思っています。志村けんさんの言葉を借りると、稽古。有田先生の言葉を借りると、技術。これらの繰り返しの中で、子どもたちは「自分にうそをつかない子ども」になっていきます。子どもらしいひらめきと多様性があるクラスを作れたらといつも思っています。

                     三浦健太朗

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